表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/85

第十一章 1話

 彰は沖房と弥一を先に戻らせて篠田に使いを出していたため、数日をかけてのんびりと戻った篠田では、すぐに湯殿の準備が出来ていたり、豪勢な馳走が並んだりと至れり尽くせりだった。

 篠田の者達の反応はまちまちだったが、珍しく朝熙が自ら律花の元へ赴いて褒美だと言って自分で見繕った着物を渡した事から言っても、朝熙に関して言えば相当に上機嫌である事が窺えた。ただ、律花が蘭子からの伝言を伝えた時は、とても嫌そうな顔をしたのだが。

 朝熙の上機嫌の理由は、八尋が戻って来た事ともう一つあった。義巳が、今度の事で八尋の恨みを買ったかもしれないと怖れ、篠田を離れて安曇に戻って行ったと言う事だ。「あの腹の立つ面を見なくて済むと思うと清々するわ」と朝熙は晴れ晴れとした顔で言った。

 反して、とても不機嫌だったのが桂だ。八尋が篠田へと戻った報告を朝時にしに行くのに律花も同行したのだが、嬉しそうに顔を綻ばせて労いの言葉をかける時朝の横に控える桂の凍てつく様な視線に、律花はただ身を硬くしているしかなかった。

 報告が終わって部屋に戻ってから彰にそれをこぼすと、彰は笑って「桂にとって時柾様は当主の座を揺るがすかもしれない目の上のたんこぶだからね」と言った。それから、真面目な顔になって考え込むようにする。

 「でも、律、一応警戒してジンは連れて歩いた方が良いかもしれない。桂は意外と執念深いから、また殺されそうになったなら目もあてられないよ」

 ―――特に、今は時柾様にとって律は前以上の存在だろうから。

 彰は心の中で自らの言葉にそう付け加えた。

 安曇から戻る道中で、二人の間が確かに変化したように思う。それが何か、はっきりとは分からなかったが、それでも本人達よりは察する事が出来た。彰はそれを、思いの外嬉しく思った事に、自分で驚いたものだ。

 彰の忠告に律花は大人しく従った。ジンを連れてこれから北見に戻ってきた事を報告に行くと言う。彰は頷いてそれを許可し、自分はとある部屋の側に控えている事にした。この部屋で八尋は今、沖房と面会中だ。


 「夕姫が、謝っておられましたよ」

 お互いにしばらく沈黙していた後、とうとう沖房がぽつりとそう切り出した。これと言って何の感情も含まない、落ち着いた穏やかな声だった。

 「一番大切なのは時柾様だったのに、自分はなんて事をしてしまったのだろう、と悔いていらっしゃいました」

 八尋はしばし沖房を見据えたまま沈黙していたが、やがて大きく息を吐くようにして返答する。

 「そうか」

 姉の真意は分からない。自分には、分からなくなってしまった。だけど、それでも沖房の言うその言葉はどこか信じられるような気がした。

 「お前は、悔いたのか?」

 八尋は構える風でもなく、自然に沖房にそう尋ねた。沖房は少し目を泳がせた後、考え込むようにしながら注意深く答える。

 「悔いは、しませんでした。あなた様をあのような目に遭わせる事には大変抵抗を覚えましたけど、どちらにしろ私は義任様に逆えなかったので。ああするしか道はございませんでした」

 「そうか」

 それを聞いて、八尋は軽く目を伏せた。

 まだ幼かった頃、沖房と姉と三人で色々な事をしたのを思い出す。結局八尋は、その二人ともを失ってしまったわけだけれども、その思い出は、思いの外胸に懐かしく残るものだった。

 目を開いた八尋はやがて言う。

 「俺にとって、お前は父親も同然だった」

 沖房がはっと瞳を見開いて、目の前の八尋の顔を凝視する。だが、八尋の顔からは何も読み取る事ができなかった。

 「姉上程ではなかったけれども、お前の事もそれなりに慕っていたんだ」

 八尋は淡々と話す。沖房は耐え切れずに顔を伏せた。

 「だから、以前と同じようにはお前を見る事が出来ない。お前を許すことも一生できないだろう。……だが、大切なものを第一に考えるお前の気持ちを分からないわけでもない」

 思わぬ言葉に沖房は思わず伏せていた顔を上げた。その先にあったのは、意外にも穏やかな瞳をした八尋の顔。

 「お前にとって俺が一番ではなかったのは仕様がない事だ。人は、色々なしがらみに縛られて生きている。俺が姉上のためならば律の手を振り払ったように、お前も父上のために俺を殺そうと思った。俺の目からそれは裏切りに映ったけれど、お前にとっては苦肉の選択だった。それは、きっとどうしようもない事だったんだ……」

 沖房は驚きを禁じ得なかった。いつから、この人はこのような考えを出来るようになったのだろう。自分が知らぬ間に、こんなに成長をしていたとは。

 「律と約束をした。もう、お前を牢に閉じ込める事はしない。どこなりとも行って良い。……もし朝時がそれを望むならば、お前が朝時に仕えるのも自由だ」

 時柾が父親を殺した日、時柾はその手で沖房を牢へと閉じ込めた。自らが先代当主を討ったのにも関わらず、時柾はあっさりと朝時が当主の座を継ぐ事を承諾した。だが、一つだけ条件を出したのだ。それが、この沖房を牢から決して出さず、拷問を受け続けさせる事だった。朝時が何とかして宥めようとするのにも聞く耳を持たず、それだけは譲らなかった。それが、こんなにもあっさりと……。

 「しかし……」

 口を開きかけた沖房に首を振って制して、八尋は立ち上がる。

 「安曇の城では助かった。……それから、姉上の言葉、嬉しかった」

 そうだけ言って部屋を後にする八尋を、沖房はしばらくじっと見送って、それから静かに目を伏せた。

 沖房の眉間には、何かを堪えるように、悔やむように、深い皺が刻まれていた。


 部屋から出た八尋は、入り口の所でにこやかに待っていた彰を見つけて眉を顰めた。

 「お前、最近盗み聞きが趣味になったのではないか?」

 その言葉に、彰は大仰に心外だ、という顔をする。

 「以前からこう言う事はしていましたよ?ただ、時柾様がそれほど聞かれては嫌だ、と思うお話をなさらなかっただけで」

 その言葉に、八尋は呆れた顔で溜息を付いた。

 彰は飄々として、そんな八尋を先導して歩きながら言う。

 「それよりも、もう一人の協力者の褒美のお話なんですけど」

 もう一人の協力者、というのは弥一の事だ。今度の事で、当然弥一にも褒美が下る事になっていて、彰はすでにその要求を聞いていた。

 「身分を上げて欲しい、って言ってるんですよ。それから、他の誰でもなく時柾様の臣が良いって」

 彰が言うと、意外にも八尋はあっさりと頷く。

 「望みどおりにしてやれ」

 「いいんですか?」

 彰は驚いた顔をした。

 八尋は、以前から絶対に特に親しい者以外は側に置かない事にしている。だから、臣などつけないようにしていたのに。それが身元を調べる事もなく、疑う事もなくこんなに即座に了承してしまうとは。

 「あの男が仕えたいのは俺、と言っても内実は律と一緒に居たいだけだろう? 俺は、俺を慕っているという奴は信用できないが、律を慕うという奴の気持ちならば分かるような気がする。律は何か、人を惹きつけるものを持っているからな。だから、心配する必要はないだろう。それに」

 言って八尋は涼しい瞳で彰を見る。

 「どうせお前の事だから、その男の身元に怪しい点がないか、程度は調べているだろう?」

 その言葉に、彰は少し目を見開いたが、すぐに破顔すると言う。

 「有能ぶりを評価して頂いているようで、光栄の至りです」

 八尋は苦笑して頷くだけだった。


 手土産を片手に北見に帰城の報告をして、稽古を再会して欲しい旨を願い出るなど一通りの事をし終わって、律花は北見の部屋を後にした。沖房を律花が誘った事が耳に届いていたらしい北見は渋い顔で、その事について律花の八尋への配慮のなさについて小言を言ったが、それ以上の厳しい叱責はなかった。そろそろ、北見も律花の言動に諦めかけている。

 律花は部屋に戻るために渡り廊下を歩きながら北見の様子を思い返す。北見は、もし今度の事で沖房が釈放される事を聞いたらどう思うのだろう。喜ぶだろうか? それとも……。

 そこまで考えて、ふ、と思考を中断させたのは見覚えのある姿を向かいの廊下に見つけたからだ。律花は咄嗟にその人物を呼び止める。

 「三太」

 律花の声が聞こえたのか、向かい側にいる男が怪訝そうな顔できょろきょろと周囲を見渡し、律花を認めて驚いた顔をした。

 「律。戻っていたのか?」

 律花はその言葉に頷いて、あわててそちらに行こうとする。向かう途中で、渡り廊下の手すりに隠れて見えなかったもう一人の人物に気が付いた。

 「清丸様」

 律花が言うと、最後に会った時の事を思い出したのか清丸は複雑そうな顔をした。だが、二人に追いついた律花が微笑みかけて挨拶をすると、途端に元の尊大な態度に戻ってしまった。

 悪態をつこうとした清丸を笑顔で柔らかく制して三太は律花に問う。

 「どこかへ行く途中か?」

 「ううん。戻る途中」

 相変らず三太の側に寄ると朱子の影響か、すこし気分が悪くなる。だが、それでもなんとかそれを制する事には慣れてきた。律花は至って平然とした口調で言う。

 「それよりも、三太こそなにやってるの?」

 ―――こんな所で清丸様と。

 律花の問いに、三太は苦笑して答えた。

 「なんか変な事になっちゃってな。朝時様が清丸様の次の世話係が決まるまで世話係をやってくれないか、って。俺、本当は木野に戻ろうかと思ってたんだけど、どうしても、って引き止められちゃって。俺みたいなどこの馬の骨とも知れないヤツをよくもまあ、雇う気になれるもんだよな」

 言って三太はからからと笑う。

 律花がなんとも言えない顔で清丸を見ると、清丸は後ろめたそうに目を逸らした。

 「でもまあ、新しい世話係が見付かるまでって事で受けたんだ。……律、代わってくれないよな?」

 その言葉に、律花は慌てて首を振った。

 「ごめん、それは無理。でも三太、どうして木野に戻りたいの? こっちに安曇の事をばらした事がばれたら大変なんじゃない? それに、三太は木野が嫌いなんでしょう?」

 律花は尋ねると、三太は居心地悪そうに苦笑した。

 「でもさ、俺がここに居座ってたらまるで俺がこういう待遇を望んで木野の情報を漏らしたって思われそうじゃないか。せっかく善意でそう言う事をしたのに、それはちょっと悔しいんだよな。今でも結構篠田のヤツラに木野を裏切った男として良い目では見られてないしな」

 「そんな変な意地張るよりも命の方が大切でしょう?」

 律花の咎めるような言葉に三太は明るく声をたてて笑う。

 「大丈夫だよ。誰が漏らしたかなんてばれやしない。それに、俺みたいのが長くいちゃあ、朝時様にだって悪いだろう。木野の者で、しかも百姓出身で。朝時様は俺を見ると親しげに声を掛けてくれるけど、側に居る家臣の人とかはすごく嫌な目で俺を見るからな」

 律花は溜息を付く。三太は何でも筋の通そうとする傾向がある。だからこそ、律花は木野の集落から脱出する時に三太に救われたのだ。それは好ましい性格だとは思うが、少し心配になる。だが、説得するのも無理だろう。するのならきっと、朝時が何度もやっている。

 「三太は、良いヤツだね。保科にも見習わせたいよ」

 「保科?」

 首を傾げる三太に律花は言う。

 「昔私が住んでたところにいた知り合い。三太にそっくりなの」

 「へえ。律とは仲が良かったのか?」

 言われて律花は思案するようにしながら言う。

 「昔はそれなりにね。でも、ここ数年、めっきり生意気になっちゃってすぐに色々な事でつっかかって来てたから、口喧嘩ばっかりだったな」

 思い出してふと懐かしくなった。確か、律花がこの時代に来た日も保科と口喧嘩をした。憎たらしいと思っていたが、会えないとなると案外懐かしいものだ。あれから色々ありすぎて、もう、あの時保科と口喧嘩したのは何十年も前の事のように思えてくる。

 「うーん、俺は少しそいつの気持ち分かるかもなあ」

 律花が首を傾げると、三太はあっけらかんと笑って言った。

 「好きな子には突っかかっちゃうってヤツだよ。俺も律何年か前に経験したような気がするよ。なんか、照れ臭いんだよな」

 その言葉に、律花は顔を顰めて首を振る。

 「そんなんじゃないと思うけどな。保科は三太とは違ってもっと子供っぽいし。……ところで、三太達はどこへいくつもりだったの?」

 ―――子供っぽいからこそ、だよ。

 内心でそう反論しながらも、律花が話題を切り替えたのにわざわざ蒸し返す事もなかろうと三太は質問に答える。

 「それがさ、朝時様が発作を起こしてしまうらしくって、清丸様をつれて奥方の所へ行く途中」

 その言葉に、律花の顔がサッと青褪めた。

 「どうした?」

 三太の言葉に律花は首を振ってなんでもない、と言う。

 「とてもなんでもないって顔じゃないぞ?」

 重ねて三太は尋ねるが、律花はやはりなんでもないと繰り返した。

 「それよりも、私も付いて行って良いかな? 朝時様の奥様に、久々に会ってみたいな」

 その言葉に、清丸がびくりと身を竦ませた。だが、三太はそれには気付かずににこやかに頷く。

 「ああ。奥様は優しいお方だから喜ばれるんじゃないかな。是非一緒に行こう」

 三人で連れ立って歩き始めた時、ふと三太が思い出したように言う。

 「そういえば律、桂さんを見なかったか?」

 「見てないけど、なんで?」

 三太はそうか、と困った顔をする。

 「朝時様が発作を起しそうだって言うのに、珍しく桂さんの姿が見えないんだ。采配がわからないなりにとりあえず、朝熙様の下男の方に取り次いでもらって朝熙様はお呼びして置いたけど、不安だから一応桂さんにも言付けをしておこうと思ったんだけどな」

 「そう」

 律花は複雑な顔で相槌を打つ。打ちながら朝時の部屋を思い浮かべた。

 今日もまた、あの部屋で誰か知らない女が犠牲になっているのだろうか……?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ