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第八章 6話

 自室で目が覚めて、律花は大きく溜息をついた。一晩経って落ち着いても、自分の中での答えは出てこない。

 ―――囚われていた女の人達は、いまも怯えてるんだろうな。

 そんな事を考えながら夜のうちに彰が用意していてくれた久しぶりの男物の着物を身につけ、律花は部屋を出る。

 出たところで、彰が待っていた。

 「律、お会いしたいとおっしゃる方がいるんだけど」

 その言葉に、律花が怪訝そうに首を傾げると、彰はいつものように笑んで言う。

 「あちらの部屋でお待ち頂いてるから、早くね。無理に起こさなくても良い、と半刻程お待ちくださっているんだから」

 その言葉に、急かされるように示された部屋に行く。部屋の中には、清丸がちょこんと腰をかけていた。

 律花が入ってきたのを見ると、改まった様子で姿勢を正す。

 「お前に頼みがある?」

 「頼み?」

 腰掛けながら律花が問い返すと、清丸は頷く。

 「父上の事だ。昨日見たことを、絶対に口外しないで欲しい。特に、父上の耳に入るような事だけは、絶対に避けてくれ」

 頼む、この通りだ、と清丸は律花の前で頭を下げた。

 意外な行動に、律花は呆然と清丸を見る。

 偉そうで生意気で、そして矜持の高い子供だと思っていた。おまけに律花を嫌っていた。それなのに、その矜持までも押し殺してこの少年が嫌いな筈の律花に頭を下げているのが信じられない。

 「清丸様は、朝時様がやっている事を知ってるんですか?」

 律花の言葉に、清丸はびくり、と体を強張らせたが、それでもこくりと頷いた。

 「知っている」

 搾り出すような、痛々しい声。

 ―――どんな気持ちなんだろう。大好きなお父さんがあんな事をしてるって。

 律花には到底見当がつかない。

 「父上がもし、それをご自分で分かった上でなさっているのなら、俺だって諌めたかもしれない。でも、違う。父上はご病気で、自分が何をなさっているのか全く分かっていらっしゃらない。なのに、自分が知らぬ間にあんな事をしていたと知ったら、父上はきっと壊れてしまう。……父上は、戦に出るのも苦手なほどにお優しい方なんだ」

 必死の様子の清丸を律花はじっと見つめている。

 ―――何が正しいのか、分からなくなってきてしまった。

 人を殺したのだから、朝時が悪いと簡単に思えれば良いと思う。だけど、朝時は殺したくて殺しているわけでもなくて、逆に普段の様子から見れば人を殺す事を嫌悪している。

 「まだこの病気が始まったばかりの頃、父上が急に暴れだした為に母と俺が怪我をした事がある。大した怪我ではなかったけど、正気に戻った後、父上は泣いて俺達に詫びていた」

 そんな思いを、もう二度とさせたくはない、と苦しそうに清丸は言う。

 「何か、人を殺さないで済む方法はないんですか?」

 律花の言葉に清丸はわからない、と答えた。

 「桂は自分の思ったとおりにしか事を進めない。俺や母が何かを言えば鼻で笑って退ける。桂がちゃんと言う事を聞く人間は、父上だけだ」

 その言葉に、律花は顔を曇らせる。清丸は暗い顔のままに続けた。

 「だが、桂の言うとおりにして置けば、父上は苦しまずに暮らせるのだ。父上には非はない。病がいけないんだ。たのむ、律」

 またもや頭を下げた清丸を戸惑ったように見やって、それから律花は深い溜息をついた。

 「私が何かをするのは止められています。きっと、口外はしないと思います」

 自分に出来ることは何もない、という事もある。この件に関しては納得の行かないものが残るが自分がどうにかできる事でもない、と嫌と言う程諭された。

 律花の言葉に清丸の顔が安堵に緩むのを見ながら律花は言う。

 「だけど、このままずっと、こう言う事を続けていくんですか?」

 律花の言葉に、清丸は視線を床に落とした。

 「わからない。何ができるのか、どうしたらいいのか。俺が出来る事は、父上の側にいることだけだ」

 もう一度、律花に口外しない事を釘を刺してから立ち上がり様に言う。

 「それから、お前は時柾殿の臣だから多分大丈夫だとは思うが、桂には一応用心した方が良い。今までに父上の事を知ってしまった世話係りは皆、桂に殺されてしまった」

 忠告するように言い残して、清丸は去って行った。

 律花は清丸の去った後も、その場にしばらく俯いていたのだった。


 激しい痛みを胴に感じて、律花は床に倒れこんだ。胴着の上から横腹を押さえて見上げると、北見が鋭い瞳で律花を見下ろしている。

 「今日はここまでにする。……身が入っていない稽古など、いくらしても無駄だからな」

 言って竹刀をしまい始める北見を、律花は倒れ込んだまま起き上がろうともしないで溜息をついて見ているだけだった。今、続けてもらった所で稽古に身が入るわけがないとは分かっていた。色々な考えが頭に渦巻いて、もやもやとして集中できない。

 北見はさっさと片づけを終えると律花など顧みずもしないで道場を後にしようとする。だが、去り際にふと思い出したように足を止めた。

 「そういえば、志摩様がそなたに遊びに来て欲しいと言っていた」

 「志摩様が?」

 怪訝な顔で首をかしげる律花に、北見は頷く。

 「そなたが時柾様の不興を買っていた時は、立場的にも堂々とそう言う事をするのは良くなかったが、今のそなたなら大丈夫だろう。あの方も寂しい思いをしているだろうから時々訪ねて行ってくれ」

 ―――そういえば、最初に北見さんと会ったのは志摩様の所でだった。

 思い出してふと疑問に思う。

 「北見さんと志摩様ってどんな関係なんですか?」

 何気ない気持ちで聞いた律花に、北見は一瞬眉をひそめる。それから、ふいと顔を逸らして言った。

 「恩人だ。志摩様のお陰で私は今、こうしていられる」

 それ以上は、何を問うのも許さない、という雰囲気を漂わせて北見はすたすたと歩き出す。

 それを見送った後、律花ものろのろと起き上がると、片付けをして道場を後にした。

 ここ数日は八尋の仕事があまり忙しくないため、稽古の時以外、いつも彰と八尋と三人で居る事が普通だった。それが、今の律花にとって苦痛だ。二人は律花が落ち込んでいる事を知っていて、それ故に何かとさりげなく気を使ってくれるのが悪い気がする。何でもないように振舞っているつもりでも、律花のそんな演技に騙されてくれる二人ではなかった。

 おまけに、忙しくないと言う事は、暇をもてあます、と言う事で、忙しくしていない分余計な事を考える時間が増え、さらに気が滅入るのだ。稽古の時間は少しでも忘れられるか、と思ったのだがこのざまだ。

 ―――志摩様の所に遊びに行ってみるのも良いかもしれない。

 あのサッパリとした明るい人と話せば、少しは気が晴れるような気がする。

 そんな事を考えながら部屋に戻ろうと、律花は歩き出した。


 渡り廊下を渡る時前方から見覚えのある姿が近づいてくるのを見つけて、律花は体を緊張で強張らせた。

 冷たい表情を張り付かせたまま、正面から歩いてくるのは紛れもなく桂だ。

 桂とはあの日以来、顔を合わせていなかった。あの時の桂の行動や、後の清丸の言葉を思い返せば警戒せずにはいられなかった。

 ―――まずいな、よりにもよって一人の時に。

 だが、そうは思っても今更避けられない。

 背筋に冷たいものが走る。何事もなく、通り過ぎることが出来るようにとそれだけを思いながら、どんどん距離を縮めて行く。

 とうとう、二人がすれ違う。

 「分かっているとは思いますけど、あの事は他言無用。もしも、したらどうなるかは分かっているでしょう?」

 低い、聞こえるか聞こえないか程度の大きさで囁かれる声。律花は背筋に震えが駆けるのを止められなかった。

 桂は振り返りもせずにそのまま去って行く。律花はしばらくその場に留まって、震えを止める努力をしなければいけなかった。

 ―――悔しい。

 娘達の事に対して、桂に対しては並々ならない怒りを感じている筈なのに。実際に目の前にすれば竦んでしまって返答する事さえままならない。

 ―――情けない。

 律花は強く唇を噛み締めた。


 そのまま、律花はジンの所に行く。以前の習慣が戻って、道場での稽古の後はジンを放しに行く事が日課となっているからだ。

 ジンは律花を発見すると、伏せていた体を起こして尻尾を振った。だが、近づいていくにつれ、その様子は不審気なものへと変わって行く。そして、律花がジンの所に辿り着いた時には、低く唸り声さえ発していた。

 律花は怪訝な顔をする。

 「どうしたの?」

 殺気だった様子のジンに問いかけた時だった。一際大きな唸り声を上げると共に、いきなりジンが律花に飛び掛ってきた。

 「え?何?」

 律花は焦って避けようとするが、ジンはもう子供ではない。敏捷性にも長けているし、力も強い。簡単に圧し掛かられてしまう。

 「どうしたの? ジン」

 律花は慌てて声を上げるが、ジンは気にも留めない様子で素早く律花の着物の袖を口に挟むと、そのまま勢いよく袖を引っ張る。びりり、と音がして、律花の肩の縫い目から袖が裂けた。ジンは律花から退くと、その袖を首を振って遠くに跳ばした。

 「なんなの……?」

 律花がわけがわからない、と言った顔で少々打った頭をさすりながら起き上がる。ジンは、もう元のように殺気は打ち消し、大人しく座っていた。

 律花は怪訝に思ってジンが放り投げた袖に近づく。途端、ジンがまた唸った。

 その時、放った袖が動いたような気がして、律花は目を凝らす。

 確かに、動いている。じっと見ていると、その中から次第に何かが現れて来るのがわかった。光沢のある茶色と白のまだら模様。日の光を受けて、てらりと光る体。

 ―――蛇。

 律花は目を見開いてそれを見る。

 それは、体をくねらせながら袖の下から這い出して、律花の方に鎌首をもたげて威嚇してきた。ジンがまた、激しく吼える。

 ―――このせいだったの。

 「どうしたんだ?」

 ジンが最近では珍しく激しく騒いでいたのを不審に思ったのか、下男の誰かが声を掛けてきた。律花が蛇の方を指すと、下男はぎょっとした顔をした。

 「マムシじゃねえか。咬まれなかったか? あいつに咬まれると厄介な事になるぞ」

 「大丈夫です」

 律花が言うと、男は「そうか」と頷き、人を呼ぶ。それから、下男数人がかりで退治にかかったようだった。

 ジンはそれを見ると安堵したのか、どこかへ行ってしまう。

 律花は自らの部屋に戻る道すがら、先ほど桂とすれ違った時の事を考えていた。


 着物の袖がない事を見咎め、律花の話を聞いた八尋と彰は、律花が話終わると二人して渋い顔をした。

 「やっぱり、桂は出来れば律の事は始末しちゃいたいみたいだね。大方、すれ違う時に律の袖の中に滑り込ませたんだろう。咬まれなかったのは運がいいとしか思えないよ」

 律花もそれには同感だった。着物は袖がだぼついているから、それが救いになったのだろう。

 彰がうーんと唸って考えるように言う。

 「かと言って、俺達からは桂に何か申し立てる事は出来ないしなあ」

 悩む風の彰の隣で八尋が口を開いた。

 「それにしても、ジンはお手柄だったな」

 それから、少し考える風にして言う。

 「律、ジンを行儀良くさせられるか?」

 律花はその問いに怪訝そうに首をかしげながら答える。

 「わかんないけど、多分大丈夫だよ。最近はジン、結構お行儀良いでしょ?」

 その言葉に頷いて、八尋は言う。

 「ならば、ジンを城内でも連れて歩け。そのくらいは許しを取る事も出来るだろう。彰も俺もずっとお前の側で守ってやれると言うわけではないからな」

 次の日から、律花はジンを引き連れて城内を歩くようになった。八尋が桂を通さず朝時に直接願い出る、という強硬手段に出たので桂の妨害に遭わずにすんだ。


 桂は唇を噛み締めながら廊下を歩いていた。

 出来る事ならば、不安の種は全て取り除いていた方が良い。そうでなければ、何がいつ仇を為すか分かったものではない。だから、律花の事も彰、八尋の目の届かない場所でさっさと殺してしまおうと思ったのだ。例えそれで二人が何か訴えようとも自分がやったと言う証がなければ二人にもどうしようもあるまい、とわざわざまどろっこしい手を使ってまで。

 だが、その手は失敗し、律花は警戒を更に強めた。

 ―――悪運の強い事。

 こんな事ならば、もっと確実な方法で仕留めるべきだった。相手が小娘だと思い、侮りすぎた。

 普段は無表情を意識しているのだが、それが少々崩れて桂の表情には微かな苛立ちが浮かんでいた。

 その時、ふと自らを呼ぶ声を聞いて、桂は振り向いた。見ると、細い目にわざとらしい笑みを浮かべた男が立っている。桂は慌てて表情を取り繕ったが、内心で嫌悪感を抑えることができなかった。

 ―――下種が。

 目の前の男が、朝時を病の事で脅しているというだけで、桂にとっては十二分に憎い相手だ。今にも始末してやりたいが、朝時の立場を考えればそのような事もできっこないだろう。

 桂は無表情に男に対峙する。

 「何か御用でも? 義巳様」

その冷たい口調に、義巳は気分を害した様子もなく笑みを浮かべながら言う。

 「あの娘を殺すのに、失敗したそうだな」

 無遠慮な物言いに桂は少々眉をひそめた。

 男はそんな桂など気にも留めないように続ける。

 「そもそも、そなたは器が小さいな。あの娘を始末したいのなら、その上の者から始末した方が早いだろう」

 あまりにもあけすけな言い様に、桂は義巳を睨みつける。だが、義巳は動じた様子はない。

 「どの道、時柾は朝時にとってもこの先害を為しかねない者だろう。兄上を殺したのもあいつだ。いつ、朝時を殺して自分が当主の座に着こうと考えるか知れたものではない」

 その事は、常々桂も思っていた。だが、何しろ朝時はどうも自らの兄弟達に愛着を感じているようなのだ。下手に手出しをすれば桂まで朝時に不興を買いかねない。

 そんな桂の思考を読んだかのように、義巳は続ける。

 「そなたも本当に、了見が狭い。直接そなたが手を下さずとも、時柾を始末する方法くらいいくらでもあろうに」

 笑みを浮かべながら、目の奥は笑っていない。その顔で義巳は続けた。

 「手を組まないか? 桂。そなたはわしが当主の座を狙っていると懸念しているのだろう。その点はわしも否定しない。だが、とりあえずは協力して目の上のたんこぶを除くこと。それをしてから、わしとそなたは改めて争いなおそうではないか」

 自らの本心を隠そうともしないその面の皮の厚さに桂は少々呆れたが、それが逆に信憑性を感じさせた。

 桂は鋭く義巳を見て言う。

 「……もしも裏切って、朝時様の害になるような事があれば、私はどんな事があってもお前を殺す」

 それが、承諾の言葉だった。

 義巳は頷いて、口元に更なる深い笑みを浮かべた。

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