第七章 1話
山を下ってからしばらく馬で駆けると、集落が見えてきた。もうここは木野の領内なのだろう。男の緊張が幾分か和らいでいることを感じ、そう推測する。
いくつかの集落を通り抜けた後、一つの集落の前で男は馬を止めた。大きな川べりの集落で、それまで見た集落よりは幾分か大きいように見えた。男は律花に少し待っているようにと言い置いて、そそくさと集落の中に入ってしまう。
集落の入り口に立って中を見渡しながら、律花は妙な違和感を感じていた。何とははっきりと言う事が出来ないのだが、篠田で見かけるような集落とはどこか違う。
男が入って行った集落の中で一番大きい家から老婆が出てきて、こちらに向かって歩いてくるのを見ながら、律花はようやくその違和感の正体に思い至った。
―――女の人がいないんだ。
気を付けて見ると、見かけるのは男ばかり。
―――女の人は、皆家の中に入ってるのかな。
そんな事を思っているうちに、老婆は律花の目の前まで到着していた。
老婆はじっと律花の顔を見据える。律花も負けずに見返した。
―――この人、見たことある。
どこで、といえば言わずもがな、例の夢の中でだ。確か、律花に向かって巫女だのなんだのと言っていた。
「ほう」
しゃがれた声で老婆が言う。目は面白そうに細められて、皺皺の顔が引きつるように笑む形を作る。
「これは面白い。おぬしは朱子ではないな」
言葉の意味が分からず、怪訝な顔をする律花に老婆は自分の出てきた家を指す。
「立ち話もなんだ。入ってゆっくりと話そう」
言われるままに、律花はそれに従った。
家の中は広々としていて、集落に暮らす身分の者としては大分良い暮らしをしているのではないか、と伺わせる作りだった。何より、他の家が茅葺屋根なのに対し、この家は瓦の屋根の、普通の屋敷の体裁をしている。
律花に座るように指示して、老婆は茶を汲んで持ってきてくれた。それを律花の前に置くと、正面に腰掛けてまたもやじろじろと律花を眺める。しばらくそうしてから、おもむろに口を開いた。
「見事なもんだな。完璧に中身だけを入れ替えている」
その言葉には感嘆が含まれているように感じて、律花は不審気に眉根を寄せる。老婆はそれに気がついたように言う。
「お前さんの体は、お前さんのもんではないだろう?違うかい?」
「知ってるんですか?」
驚いた律花の言葉に老婆はにやりと口を歪める様に笑う。
「そりゃ、わしもそれなりの巫女として通ってきている。そのくらいは見えるわな。お前の体には今、朱子が入っているのか? だが、お前、それにしてはえらく朱子に影響を受けておるな」
これ以上話を続けられても、根本が分からなければ意味が分からない。律花は慌てて口を挟む。
「あの、詳しく話してくれませんか? この体の持ち主は朱子さんって言うんですか? なんでこんな事になったんですか?」
律花の言葉に、老婆は少々哀れむように律花を見る。
「お主は、何も分からず、本当に朱子に利用されただけなのだな」
律花が頷くと、老婆は言う。
「宜しい。ならば教えよう」
そう言って、老婆は思い出すように軽く目を伏せる。それから口を開いた。
「お主のその体の本来の持ち主は、朱子というおなごだ。朱子はこの集落で生まれ育った巫女だよ。巫女と言っても、そんじょそこらの巫女と一緒にしてもらっては困る。朱子やわしは本物だ」
「本物?」
意味が分からずに問い直す律花に老婆は少々誇らしげに頷く。
「この世には、ごく稀にだが、見えないはずのものが見えたり、聞こえないはずの声が聞こえたりする人間が生まれる事がある。そういう人間は、先を読んだり占いをする事に長けているから、巫女となって成功する場合が多い。……この集落は、血統のせいか、割合そんな者がしばしば生まれてくる。それでも、数十年に一度やひどい時など数百年に一度なのだが。そんな者は巫女が引き取って教育する事になっておる」
「朱子さんも、そんな人だったんですか?」
律花の言葉に老婆は頷く。
「朱子の力は、わしでさえ圧倒される程に強いものだった。占いをすれば必ず当たり、予知夢や虫の知らせ、などといった事は日常のように程によく見た。まじないをする力も相当なものだったよ」
本人が意識しているかどうかは知らないが、その口調にはうっすらと羨望の色が含まれていた。
「この国は、巫女を戦に取り入れるために殿様達にえらく重宝される。朱子の未来は洋々と開けていたな。だが」
そこで、老婆は少し言葉を切る。そして、律花に問いかける。
「そなた、この国の贄の儀式は知っているのか?」
「少しだけ聞いた事があります」
律花が答えると、老婆は頷く。
「国を守るために水の神に乙女を差し出す儀式だ。お主も見ただろう、この集落のすぐ側を通っている大きな川を。あの川はこの国にとって大きな恵みにもなっておるし、恐れにもなっている。氾濫などされては城下にまで水が届く事にもなりかねんからな。だから、そうならないように乙女を贄として差し出す」
律花は思い出してぞっとする。では、あの川には今までに何人も女の子が沈められたと言う事なのだろうか。
「その乙女を決める託宣というのを、巫女がやる事になっている。三日間潔斎をしてから専用の場所で寝泊りすると、声が聞こえるというものでな。その声とは生まれた年号や日付、それに場所などが下りてくるのが殆どだから、それを木野の領主様の家臣が探し出す。そうして儀式に則ってその乙女を捧げるのだ」
「その託宣を、朱子さんが?」
夢で見た光景を思い出して、律花は言う。老婆は頷いた。
「わしもそろそろ引退を考えていたから試しにやらせてみたらあっさりと選びおった。力がそこまで及ばず選べない巫女と言うのも多いし、例え選べても年号しか分からないのも多い。だが、朱子は完璧にそれを読み取った。口には出しはしなかったが、おそらく誰か人物の特定まで出来ていたのだろうよ」
律花は納得する。夢で感じた苦い思い。あれはその時の朱子の心情だったのだ。
「ただ、それは朱子が思いもしないほど朱子の側にいた人物だった」
「チサ」
夢のせいか、その名前は驚くほどすんなりと律花の口からこぼれ出た。老婆は驚いたように目を見開いて、それから溜息をつく。
「やはり、そなたは朱子の影響を大きく受けておるな。そうだ、チサだ。あれはこの集落で一番の豪農の娘だったんだが、朱子と仲が良くてな。それと三太でよく一緒に遊んでいたよ」
「三太?」
問いかけるような律花の口調に老婆は意外そうに言う。
「ほれ、お前を迎えに行っただろう。あの男だ」
―――あの、保科に似た男の子か。
律花が納得すると、老婆は続ける。
「朱子は巫女としては優秀だな。だが、人としてどうかと問われればわしは決して頷けない。朱子は、下りてきた託宣を違える事なく伝えた。例えそれが幼い頃から親しくしていた友が殺される事だと分かっていても」
律花はまたもや夢の光景を思い出す。律花に向かって怒鳴っていた女の子。あれが、チサだろう。
「チサは怒り狂った。あれも、勝気な女だからな。しかも、一人娘なものだから、あれの親も大層可愛がっていてね。さっきも言ったとおり、あの家は大きな豪農の家だ。金だけはたっぷりある。それで、色々な者に金をばら撒いてな。まず、木野の家臣たちを自分の味方につけ、その後地元の者に金をばら撒いて自分の味方につけた。そして、最後に……」
と老婆は律花の顔をじっと見つめる。
「先ほどの三太、あれを利用した」
顔を思い出すだけでも、黒い感情が渦巻きそうだ。律花は少し深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「元々、朱子が幼馴染の三太に想いを寄せているのは周囲も気が付いていた。それで、チサは三太と朱子が懇ろな仲だという噂を故意に立てたんだ。先に言っておくが、巫女とは神と結婚する者として、人と交わるのは禁忌に当たる。人と交われば、その場で力は失われる、と。本当かどうか知らんがな。そして、更に理由をつけて朱子を物置に呼び出し、そこに三太と二人で閉じ込めた」
その言葉を聞いて、律花はとっさにその先を予想して身を硬くした。
老婆はそんな律花に構わず言葉を続ける。
「二人が物置から出て行った時には、周囲はチサの引き連れてきた集落の者達に囲まれていた。何をしていたか、と問う者もいなかった。……それからは一気に巫女としての朱子の権威は失墜した。おまけに三太が、あれが初めてではない、以前からなんども朱子とそう言う事はしていた、と言ったので託宣さえ本当は適当に言ったのではないか、という噂が広まった……巫女は大抵、自分の事は占えないから仕方がないのだが、巫女としての力が薄れたから皆が物置を囲んでいる事も悟れなかったのではないかとも言われたしな」
律花はただ黙していた。なんと言って良いか分からなかったのだ。
「朱子は必死になってあの時、何もなかった。自分は巫女だから節度を守ったのだと言ったが、相手にする者はいなかった。朱子は暇を出されて実家にしばらく引きこもる形になった。その間に、チサの方は暗躍していた。チサは実際、色気もあるし早熟な娘だったから贄の乙女の謁見の際、当主に気に入られていた。それに上手く付け入り、自分は巫女が信用出来ないと訴えた。それで当主が調べさせれば集落の者や家臣たちは口を揃えてあの者は信用できない、と言う。悩んだ当主にチサは更に入れ知恵をした。代わりに巫女が贄と同じ事をして、帰してくだされば本物の巫女だと言う事ではないのか、と」
―――あの、夢の光景。
「それで、朱子さんは川に流されたんですね」
「その通りだ。だが、それで終わりではない」
巫女はじっと律花を見据える。今までのらりくらりとした口調だったのが、突然真剣なものとなった。
「朱子は流される直前岸辺にいる者達に向かって呪いの言葉を吐いた。この国の者、全てを許さない、と。誰もがその声色にゾッとしたと言う」
律花も、夢の中でその声を聞いたように思う。いや、あれは夢だとはとても思えなかった。それほどに、生々しく耳に残る声だった。
「それでも、それには他の者もそれほど気を止めなかった。変だと気が付いたのはそれから暫く立ってからだ。初めの頃はそんなに目立たなかったが、数ヶ月するとそれはとても酷くなった」
「それ?」
老婆のもったいぶった口調に促すように言うと、老婆は頷く。
「おなごが、消える」
―――そういえば、京に行く途中で会った女の人もそんな事言ってた。
ふとそんな事を思い出す。あの人も確か、それは巫女の呪いではないかと言っていた。
「特に、始めはこの集落や周辺の集落からだった。おなごがある日ふ、と消えてそのまま戻らない。今では集落のものは余程の事がない限りおなごを外には出さなくなった。すると、今度はどんどん城下へとそれは進んでいく」
さらに、と老婆は続ける。
「お前の出現だ。篠田との戦に行った者達が帰ってくるなりわしの所へ詰め掛けた。そなた、皆の前で神鳴を落として見せたらしいな。わしが出来るのは神鳴の予想までだが、向こうは神鳴を落す事が出来る、と兵達はたいそう怯えていた。それで占ってみれば、なるほどこれらの事は全部朱子の恨みが原因で生み出された事だと出た」
その言葉に、律花は身震いする。朱子の話を聞くうちに忘れていたが、本当はそれを償うために来たのだと言う事を思い出した。
「皆は、この呪いをどうにかして解いて欲しいと言う。しかし、呪いというのはかけた本人しか解く事ができない。だから、お前を呼び寄せたのだが……」
老婆はそう言ってじろじろと値踏みをするように律花を見る。
「お前は朱子ではない上に、おまえ自身には何の力もないと来た」
「あの、あなたには朱子さんと私を元に戻すことは出来ないんですか?」
律花は少し期待して聞いたのだが、期待に反して老婆はあっさりと首を振った。
「先ほども言った通り、朱子の力は大したものだった。わし一人の力じゃどうあっても追いつかん。もし、お前にも朱子の半分の力でもあったらどうにかなったかもしれないが」
「どうして、朱子さんはこんな事をしたんだろう」
律花は途方に暮れたように溜息をつく。復讐をしたいのなら、わざわざ律花と入れ替わる必要はない筈だ。呪いだけをかければ良いのだから。
その言葉に、老婆は返答する。
「朱子は心に傷を負った状態だった……家族も何の抵抗もなしに朱子を木野の殿様に引渡し、好きだった男は友と謀って陥れ、集落の者は皆、よってたかって朱子を不審の目で見た。朱子の信じていたものは、全て朱子を裏切った。だから、どこかに逃げ出したかったのだろう。快く朱子を受け入れてくれる場所に。何故、その場所にお前を選んだのか知らんが、おそらくお前は朱子と血のつながりがあるのだろうな。だから朱子も入りやすかったのだろう」
それに、と老婆は続ける。
「あのまま朱子が流されて、もし生きていたとしても篠田に流れ着くのは当然だった。若いもんは篠田には本当に鬼が住むと信じられているのだから、ただ恐かっただかもしれんな。どちらにしろ、朱子はこれ以上傷つくのを恐れていたんだよ」
「それで、あの、どうやったら私は元に戻れますか?」
律花の質問に、老婆は一瞬皮肉な笑みを浮かべて、首を振る。
「どうしようもないね。唯一考えられるのは、朱子がその気になったら、という事だが期待は出来ない。お前自身にも力がないどころか、朱子の影響を受けている有様じゃあね」
「あの、さっきから影響を受けてるって何のことですか?」
律花は不思議そうに問う。老婆は呆れたように言った。
「お前、夢や何かで朱子を見るだろう? そうして、朱子はお前に付け入ろうとしている。自分と同じ思いを共有しろ、とな。それでお前にも木野を憎ませたい、という所だろう。お前も意志が強い方な様だから、普段は跳ね除けているのだろうが、心が弱っている時などはやはり干渉を受けてしまうんだろうな」
なるほど、と納得して律花は問う。
「それで、この国の朱子さんの呪いを解く方法ってないんですか?」
「有るかどうかはわからんが、やってみる価値がある方法はある」
「あるんですか?」
絶対に、先ほどのように「ない」、と即答されると思っていたのであるかもしれない、と言われたら当然試して欲しいと思う。
「どんな方法なんですか?」
弾んだ律花の声に老婆は複雑そうな顔をする。そして、律花から目を逸らしながら言う。
「それは、朱子の体を壊してしまう事だ。つまり、お前を殺せば……」
咄嗟にその言葉の意味がわからず、律花は一瞬呆けた顔をする。そんな律花に、老婆は開き直ったように告げた。
「お前に、死んでもらうしかないんだよ」
老婆が立ち上がったので、律花は本能的に逃げようと体を動かした。だが、動かしたはずの体がぴくりとも動かない。
老婆は冷たい瞳で言う。
「敵領で出された茶なんて、口にしないのが常識だと思うがね」
体が痺れて思うように動かない。
「止めて」
近寄ってくる老婆に懇願するように言うが、老婆は歩みを止めなかった。
「大丈夫、すぐには殺しはしない。皆の前で処刑しなければ、皆も安心すまいからな」
老婆が律花の顔に何か香炉のようなものを近づけた。甘い匂いがし、息を止めた時には遅かった。律花は急速に襲ってくる眠気に抗う事は出来なかった。




