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第六章 5話

 部屋から出るとすぐに胸の中の黒いものが四散するのが分かった。律花は今度こそ安堵して、ようやく到着した八尋の部屋でへたり込んだ。その様子で、もう大丈夫だと判断したのだろう、腕を放して八尋は事情を問おうと口を開く。だが、言葉を発する事は目に入った律花の様子のために阻止される事となってしまった。

 部屋にへたり込んだまま、律花は青褪めてがたがたと震えていたのだ。嫌悪するように放り出された短刀が離れたところに転がっている。

 「どうした?律」

 できるだけ柔らかい口調になるように注意しながら八尋は問う。律花はその言葉に、ようやく八尋に視線を向けた。

 「どうしよう、八尋」

 出された声は、思いも寄らぬほどにか細い声だった。今までの律花の口調からはとても信じられない。

 「恐いよ。私、人殺しになっちゃうトコだった」

 ぎゅ、と自らの体を抱きしめるようにして、声を絞り出すように言う。

 「私、さっきの人知らないのに、見た瞬間に憎くて憎くて仕方がなくなって、そんな事したくないのに体が勝手に殺そうとしてた」

 八尋は震える律花の手を取って、安心させるように握ってやる。律花はそれを、縋りつくように強く握り返してきた。

 しばらくそうしていて、ようやく律花の震えが収まった頃に八尋は尋ねる。

 「心当たりは全くないのか?」

 八尋の問いかけに、律花はこくりと頷く。

 「以前の知り合いなどではないのか? 忘れてしまう前の、など」

 言った八尋に律花は軽く睨む。

 「前に言った事、八尋は信じてないかもしれないけど、本当なんだから」

 「先の時代から来た、というやつか」

 八尋が言うので律花は頷く。

 「朝熙様の戦で雷のことを教えてあげられたのがその証拠でしょう? 私のいた時代では、それが常識だったから知ってたの」

 八尋はじっと律花を見て、それから嘆息して言う。

 「突拍子のない話だとは思うが、お前が嘘をついているとも思えないし、何かで混乱していると言うわけでもなさそうだからな。信じられないとは思うが信じねばならないんだろうな」

 それでも少々腑に落ちない口調に律花は苦笑する。ようやく、苦笑できるほどの余裕が生まれたのだ。

 「でもね」

 律花は真面目な顔に戻って言う。

 「私、最近変な夢を見るんだ」

 「夢?」

 律花は頷いて考え込むように言う。

 「夢の中で、私はきっと別の人なの。それで、見たこともない人と見たことのない場所にいるの。そこで、私は巫女で。……さっきの人と一緒に居た事もあった」

 八尋の眉が不審そうに顰められる。律花は続けた。

 「変なことに聞こえるかもしれないけどね。私の推測では多分、この体の持ち主はその人なんじゃないかと思うんだけど」

 「ちょっと待て」

 八尋が咄嗟に口を挟む。

 「体の持ち主?」

 その言葉に、律花は頷いた。

 「うん。この体、私じゃないんだ。鏡を見て初めて気づいたんだけど。……似ていることは似ているから、もしかしらた血縁はあるのかもしれないけど、私の体ではないよ」

 「律の体は?」

 「もしかしたら、この体の本当の持ち主が入ってるかもしれない」

 夢でそんな光景を見た。

 八尋は複雑な顔をして律花を見つめる。

 「信じられない?」

 律花は言って、伺うように上目遣いで八尋を見上げた。

 八尋は少し黙り込んでいたが、やがて息を吐いてから言った。

 「確かに、話としては信じ難い話だが、信じてみても良いとは思っている。……律は、信じて欲しいのだろう?」

 律花は一瞬驚いたように目を瞬かせたが、次の瞬間、強張った顔を安心したように緩めて頷いた。

 八尋は苦笑して「それで?」と話の続きを促す。律花は表情を戻して続けた。

 「それでね、さっきの人達がこの体の持ち主の事を知っているようだったら、話を聞きたいと思ったの。そうしたら私がここに来ちゃった事情も分かるかもしれない、と思って。でも、実際は……」

 そこまで言って、律花は一瞬身震いをした。先ほどの事が思い出されたのだ。

 「多分、この体の持ち主はさっきの若い方の人を恨んでるの。それで、私までそれに飲み込まれそうになったんじゃないかな。あの人達と話せば、帰る方法も見つかるかもしれない、って都合の良い事考えてたんだけど」

 残念そうに律花は言う。

 「そういえば、律は家に帰りたいと言っていたな」

 八尋がまさに今思い出した、というように言うのに、律花は頷いた。

 「うん、そりゃあね。家族とか友達とか、皆が居るところに帰りたいよ」

 ―――みんな、元気かな。

 思い出すと、急に懐かしくて恋しくなる。そんな律花を見て、八尋は言う。

 「律は、家族と仲が良かったのだろうな」

 その言葉で八尋が家族に恵まれなかった事を思い出し、律花はハッとするが、八尋はこだわりない様子で続けた。

 「ならば、やはりあの者達とはもう一度会わなければいけないな。律が殺したくなるのはあの、若い男の方だけか?」

 「うん」

 律花が頷くと、八尋は言う。

 「ならば、もう一度会ってあの若い男だけ殺しても、もう一人から話は聞けるだろう」

 その言葉にギョッと目をむいて律花は八尋を見る。八尋は肩を竦めた。

 「冗談だ。本当に律は誰かが殺されるのを好まんな」

 「当たり前だよ」

 律花は大きく息を吐いてから、八尋の方へ身を乗り出して続ける。

 「私の時代では、人を殺すのってすごい罪なんだよ。そう簡単に殺したり殺されたりするもんじゃないのが普通なの」

 ―――そりゃあ、ニュースなどで戦争や殺人事件だって扱っているけど。 少なくとも自分がいた場所で日常生活を送る上では殺人とは無縁の生活をしている。

 「律は、良い場所で育ったのだな」

 八尋は納得したように言う。

 「だから、そのような性格になったのだろう」

 「どういう意味?」

 「褒めているんだ」

 八尋はそれだけ言って話を戻す。

 「ならば、もう一人の男だけを召して話を聞くのが妥当だろうな。手配してやろう」

 そう言って、八尋は立ち上がる。律花も慌てて立ち上がろうとしたが、八尋に止められてしまった。

 「無理をしないでもう少しそこで休んでいろ。どうせ、もうすぐ夕餉だから彰が呼びに来る」

 律花が返事をすると八尋は部屋を出て行ってしまった。


 夕餉も終わり、律花は自分の部屋へ戻る。戻って蝋燭に明りを灯すと、縁側に向かう障子の向こう側から聞き覚えのある声がする。律花は驚いて障子を開けた。

 顔を出したのは、可憐な顔を綻ばせた千鶴姫。

 律花が驚いて目を見開くのを見て、千鶴姫はころころと笑う。

 「律、時柾様の所に戻ってきたのなら、なんでわたくしの所に挨拶に来ないの? 待っていても来ないから、とうとう私の方から赴いてしまったわ」

 冗談めかしたようにそういう千鶴姫に、律花は慌てて言う。

 「ごめんなさい。色々ごたごたしてて……あの時は、庇ってくれて有難うございました」

 千鶴姫はにっこりと笑んで言った。

 「良いのよ。あれはあんな侍女を連れて行ったわたくしの方が悪かったのだし。律は木野の間者などではないと思っていたわ。殿の誤解が解けて良かったわね。あの時の侍女はすぐに里に下がらせたわ」

 その言葉に返答しようと開きかけた口を、律花がハッとした様に噤んだのは、千鶴の後ろに控えている人物に気が付いたからだ。律花は思わず側にあった柱に強くしがみ付いた。そうでもしないと、自分がまたどんな行動を起こしてしまうか分からなかったから。

 律花の様子に気が付いて、千鶴姫は気遣わしげに言う。

 「先ほど、廊下で出会ったの。迷っているようだから、どうしたのかって声を掛けたら律の部屋を探しているって言うから連れて来てしまったのだけど、拙かったかしら?」

 『大いに拙かった』などと返答も出来ないので、律花は曖昧な表情を浮かべて千鶴の連れて来た人物二人を見た。それは、昼間謁見したあの男達だ。

 「アカネ」

 若い方の男が言った。とても、必死な様子で。

 「あの時は、悪かったと思っている。だけど、話を聞い……」

 「お願いです、その人をどこかに行かせてください」

 言葉を遮って律花は叫ぶように言った。

 「お話は、もう一人の人から聞きます。お願いです」

 胸の中に込み上げてくる黒い感情に耐えるのが精一杯でそれ以上の事は考えられない。

 律花のあまりの必死な様子に、二人組は戸惑ったように顔を見合わせ、中年の方が若い男にひとまず去るように伝えた。未練を残した様子ながら、若い男の姿が消えると、律花はほっと息をついてその場に座り込んだ。

 「千鶴姫様、ごめんなさい。この場は席を外して貰えますか?」

 律花の異常な様子に戸惑った風だった千鶴姫がその言葉に我に返った様子で頷く。

 「わかったわ。だけど、律、無理はしないでね。具合の悪いようだったらお医者様にお見せするのよ?」

 気遣わしげにそう言って去っていくその姿を見送ってから、律花は残された男に顔を向けた。男は先ほどからじっと律花の方を注視していた。律花と目が合うと、居住まいを正して言う。

 「そなたはやはり、朱子(アカネ)殿なのだな」

 ―――この体の持ち主は、朱子って言うの?

 無言で先を促す律花に男は言う。

 「三太に対する憎しみは分かる。だが、ひとまず抑えてくれないだろうか。我々はそなたに謝罪をしに来た」

 「謝罪?」

 訝しげに問い返す律花に男は大きく頷いた。

 「ああ。本当にすまなかったと思っている。だから、一先ず木野に戻って呪詛をといてはもらえないだろうか」

 意味がつかめないまま、律花はもう少し情報を引き出せないかと男を見る。その視線に、何を勘違いしたのか、男は慌てたように付け加えた。

 「そんな都合の良い事を、と思うかもしれないが我々は本当に後悔しているのだ。そなたの家族もそなたの事を待っている」

 「……さっきの人は?」

 「三太の事か?そなたが望むならどのようにでも処罰しよう。とりあえず、そなたが本当に朱子殿か見極めるためだけに連れて来ただけだ」

 律花はしばらく黙って、考える。

 ―――木野についていく、って言って篠田に帰って来れる保障はないし、私には朱子さんの記憶なんてない。

 「ごめんなさい。きっと私にその呪詛というのはとけません」

 その言葉に、男は訝しげな表情をする。律花は続けた。

 「私は、川で溺れる以前の事をすべて覚えていません。だから、多分無理です」

 「嘘だ」

 語調も荒く、男は即座に言った。

 「ならば、何故篠田の軍について神鳴をおこして見せた」

 「あれは……たまたまです」

 「たまたまなどと言う事があってなるものか」

 男は更に強く言う。

 「あの将がお前を巫女だと言って見せたのを覚えているんだ。あれは、確かにお前だったと見ていた何人もが言った」

 「その時、私は気を失っていました。だから、知りません」

 言った律花の肩を男は強く掴む。指が食い込んで律花は思わず小さく悲鳴を上げた。構わず男は凄みのある声で言う。

 「お前のせいで、もう何人もの者が死んでるんだ。呪詛のために消えた娘達だけでなくとも神鳴で打たれた兵達も」

 ―――え?

 聞いた言葉に律花は不審を覚える。

 ―――そんな、まさか。

 だが、そんな律花の様子に構わずに男は続ける。

 「今更知らぬ存ぜぬは通らない。責任は取って一緒に来てもらうぞ。罪を償え」

 律花は思わず男の手を振り払おうとするが、男の指はがっしりと律花の肩に食い込んで離れない。

 「放してください」

 律花は懇願するように、半ば叫ぶように言うが、男は放さないどころか、益々つよく律花を掴み、吼えるように言う。

 「ならば一緒に木野に来ると言え」

 「やめて」

 その時、がさりと植木が揺らめいて、人がそこから現れた。

 「何をしている」

 厳しいその声に、男は一瞬びくりと体を強張らせた。男の手の力が緩んだのを感じて、律花は慌てて振り解いて、声の方に駆け寄って素早くその人物の背に隠れた。男はその人物を確認すると慌てたように平伏した。

 「君は、木野の使者だね。こんな場所で我が主君の寵臣に何をしているんだい?」

 決して強い語調ではないのに、どこか凄みのある口調。男は平伏したままぞくりと震える。

 「申し訳ございません。巫女殿に是非お願いを聞いていただこうと嘆願しているうちに熱が入ってしまいまして」

 男その言葉に対し、見下ろす彰の語調はあくまでも柔らかい。

 「それは、言い訳にならないね。君がこんな場所まで入ってくる事自体がとても無礼な事だ。俺としては、素早く自分の部屋に戻って裁断を待ちながら、これ以上事を荒立てない事をお薦めするよ」

 その言葉に、男はまたもやびくりと体を強張らせる。

 「行っていいよ」

 その言葉が発せられると同時に、男は素早く立ち上がって駆け出した。

 男の背中が完全に消えるまで見送ってから、彰は振り返って自分の背に隠れている律花と向かい合う。

 「それで、なんでこんな事になってるの?」

 律花は俯いていたが戸惑うように口を開いた。出だされた言葉は質問の答えではない。

 「彰さん、聞きたい事があるんですけど」

 「どうぞ?」

 彰が答えると、思いつめたような怯えたような目を彰に向ける。

 「朝熙様の戦の時に、私が気を失った後何が起ったんですか?」

 強張った口調。彰はさらりと答える。

 「朝熙様が律のお陰でお勝ちになったじゃないか」

 「そうじゃなくて」

 律花は泣きそうな声を出す。

 「もしかして、私が朝熙様にあれを教えたせいで木野の兵が雷に打たれた、なんて事ないですよね」

 その声は震えていた。彰は内心で溜息をつく。

 ―――あの男、余計な事を律に吹き込んだな。

 律花のあの時の様子を思い出す。恐怖に支配されながらも、律花はそれに打ち勝つほどに人が雷に打たれるのを見たくない、と言った。朝熙に勝って欲しい、ではなく。

 「残念ながら、そう言う事だよ。律」

 彰のその言葉に、律花は大きく目を見開く。顔から血の気がみるみるうちに引いて行った。

 「私は、そんなつもりじゃなかったのに」

 誰も、雷になんて打たれるような事がないように、なるたけ人が死なないようにと、そう思って朝熙に助言したのだ。例え敵方だとしてもそれは同じだ。

 呆然と、律花は呟く。

 「私、人を殺しちゃったんだ……」

 それも、あんな残酷な方法で。今でも、あの無残な様子はまざまざと思い出す事ができるのに。

 「律、あれは朝熙様のやった事だよ。律のせいじゃない」

 彰の言葉も律花に届いてはいないようだった。律花は青褪めた顔で先ほどの男の言葉を思い出す。

 『罪を償え』

 ―――木野に行く事が、私の罪を償う事に繋がるのだろうか。

 木野では何か、問題が起きている口ぶりだった。それがこの体の持ち主ならおさめられるかもしれない事なのだろう。失ってしまった命を取り戻す事はできないけど、自分が行く事でもしかしたらこれ以上命が奪われる事を防げるのではないだろうか。

 ―――だったら、行かなくちゃ。

 人を殺すという重さがこれでもかと言うほど律花に圧し掛かってくる。今すぐに大声で喚いて泣きたかったが、心の中で燻る重い鉛のような物がそれさえも許さなかった。

 「律、明日になって冷静に考えてみれば分かる事だよ。今日は疲れているんだ。もう寝なさい」

 彰は律花の肩をとんとん、と優しく叩いて部屋に入るように促す。律花は大人しくそれに従った。

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