第六章 1話
来た時と違い、帰りは時間がかかったが楽に篠田へ帰り着く事が出来た。
数日間ゆっくりと駕籠に揺られ、到着したと言われて降りれば、城の前で出迎えるように彰が立っていた。その姿を確認して律花は思わず少し後退る。ここを発つ直前は無我夢中だったから気にならなかったが、冷静になってみるとやはり少し彰は恐い気がする。そんな律花の様子に、朝熙は苦笑した。
「安心して。別に律に危害を加えようと言う事ではないよ。むしろ、逆だから」
そう言って、駕籠から降りた律花の前まで歩いて泊ると、微笑んで言う。
「お勤めご苦労様。時柾様が是非律に会いたいと言っているんだ。もし、律が嫌じゃなかったら来てくれないかい?」
「八尋が?」
驚く律花に彰は頷いて言う。
「直にお礼をおっしゃりたいそうだよ」
律花は更に驚く。てっきり、まだ八尋の怒りは解けていないと思ったのに。
「一緒に来てくれるかい?」
確認する彰の言葉に、勢い良く頷く。
「八尋が良いって言うなら喜んで」
その言葉に彰は安心したように笑って、それから律花についてくるように言って城の中に入っていく。律花も後に続いた。
まずは案内された湯殿で長旅の汚れを洗い流してから、用意された着物に着替える。蘭子の所で着ていた着物なので、当然女物だったが文句は言っていられない。それを着こんで出て行くと、彰が待っていた。
八尋の部屋へ案内される道で、前を歩いていた彰がふいに、口を開く。
「君を殺そうとした事は、俺は謝らないよ」
急な話題に面食らって返事をし損ねた律花に構わず、彰は至って普通の口調で続ける。
「俺は主人の言う事を忠実に聞く事にしているからね。時柾様の命令なら大概の事はする」
その言葉に、律花は眉を顰めて言う。
「なんでそんなに忠実に?」
―――命令とあれば、人殺しも平気でする程に。
「臣下は主人に忠実じゃなきゃ駄目でしょう?」
彰は当たり前の様に言って、それに、と続ける。
「時柾様は実際、理想的な主だと思うよ。有能だし、人をカス扱いしないし」
律花が不可解な顔をすると彰は苦笑するように言う。
「結構いるんだよね。忍をカス扱いする人って。忍ってね。元々人間とさえ見られてないくらい軽蔑される事が多くてね。まあ、そんなに気にしてないけど、でも、気にしてないとは言ってもやっぱり人間扱いされないよりはされる方が心地良いだろう?」
その言葉に、律花は横から口を挟む。
「あの、そもそもその忍って言うのがどんな人たちなのか、良く分からないんです」
「忍が?」
彰が意外そうな顔をして少し首をかしげる。
「改めて説明するのも難しいなあ。まあ、金で雇われて主人の望む働きをする人って事じゃないかな。諜報やなんかが主流だそうだけど、俺みたいにお世話から何からしてるやつも少なくない」
「お金で雇われてるんですか?」
律花が驚いたように言うので彰は苦笑して頷く。
「そうだね。忠義なんてものはあまり存在しないからなあ。権力にもあまり執着はないし。だとしたら、手ごろに遊べて安泰な生活を得るためにはお金、でしょう?……時柾様の場合は本人からお金を頂いたわけではないけど」
意味が分からなくて首をかしげる律花に彰は言う。
「当時はまだ時柾様のお母上が生きてらしたから前当主様もそんなにあからさまに子供を分け隔てする事ができなかったんだよ。奥方の後ろについているお家って結構脅威だからね。だから、他の若君にと同様、お父上からの贈り物として俺が遣わされたんだ。時柾様が十の時だったかな。俺だってその時はまだ十五だったかその位だったけど。契約は十年間だったかな。結構な額のお金を頂いた」
その話を聞いて、律花は医者の家で聞いた事をふと思い出す。
「八尋のお母さんの話、少し聞いたんですけど」
戸惑い勝ちに口に出すと彰は少し困ったように苦笑した。
「聞いたのか。そうだね、時柾様はお母上にも愛されてはいなかったけど、でも、お父上にそれを知る術はなかったな。あのお二人は仲が良いとはとても言えなかったから」
「じゃあ、八尋はずっと一人ぼっちだったって事ですか?」
それではあまりにも哀れな気がする。
だが、その問いに彰は首を横に振った。
「いや、姉君様がいらっしゃったからね、時柾様には。お二人とも親に見向いて頂けなかったせいか、いつも寄り添うようにしていて、仲の良いご姉弟だったな」
「その、お姉さんは今は?」
見かけた事がない、と思って問いかけると彰は肩を竦める。
「何年か前にお父上の命令でお嫁に行ってしまったな」
「でも、その時にはもう彰さんはいたんですよね?」
律花の問いかけに彰は意図がつかめないまま頷く。律花はそれを見て安心したように微笑んだ。
「なら、八尋は一人ぼっちではなかったってことですね」
彰は呆れて目の前で笑う律花を見た。
―――なんて楽観的な。
「言ったでしょう? 俺は金で雇われてるだけなんだから、時柾様の心の支えになるような人間じゃないんだよ」
「でも、誰も寄せ付けない八尋が彰さんだけはいつも側に置いてるじゃないですか」
「確かに、俺が絶対に契約を違えないっていう一種の信頼関係は成り立ってると思うけどね、それ以上のものでもない」
あの姉弟の仲睦まじさを、そしてそれを失った時の八尋の様子を目にしてしまったら、とても自分が契約以上の者になれるとは思えない。八尋はあれから、全くと言って良いほど笑わなくなった。いつも、無表情を装って、他人に内を決して覗かせない。
律花は不満そうに、まだ首をかしげているが、彰はその話題はこれで打ち切り、とでも言うように話を変える。
「それより律。俺からも礼を言おう。時柾様を救ってくれて有難う。あのままあの男に殺されていたかもしれないと思うとぞっとするよ」
「殺された? 八尋は病気なんじゃないんですか?」
不穏な単語を聞きとがめた律花に、彰は肩を竦める。
「まあ、城の中で時柾様の身の回りの世話をする人だけが、全てが流行り病に掛かってるほど安曇が人手不足だっていうのなら仕方のない話かもしれないけど」
律花の背筋が冷たい物を走る。彰は続ける。
「断ろうにも言わば敵陣のど真ん中だからヘタにそう言う事を言えば、体裁を傷つけられたとかなんとかでいちゃもんつけられて逆に不利になる事は分かっていたから、どうしようもなくて大人しくしてるしかなかったんだけど」
「酷い……」
律花が思わず漏らした言葉に彰は失笑する。
「そんなものだよ。義巳様だって当主の座を狙っている。あの人は平気でそう言う事をする人だから、律も気をつけるんだよ」
そこで、彰は足を止めた。不審に思って見れば、話し込んでいるうちに八尋の部屋の前まで来てしまった。彰が後退して律花を前に押し出す。
「じゃあ、俺はここで失礼するよ」
「え?」
突然の彰の宣言に、引き止める暇もあらばこそ、彰はさっさとどこかへ行ってしまう。
しばらく恨めしそうにそれを見やってから、覚悟を決めて、律花は障子に向き直った。
「八尋? 入って良い?」
「ああ」
返事を聞いて障子を開くと体を横たえていた八尋が半身を起こすのが見えた。平然とした顔をしているが、顔色も悪く、抑えているらしいがそれでもまだ息が荒い。
律花は慌てて側に寄ると言う。
「横になってて。まだ辛そうだし」
「だが、それでは……」
「見てるこっちが痛々しくて嫌なの」
有無を言わせぬその口調に、八尋は渋々また横になる。
―――よかった、恐くない。
恐れていたのとは全く違い、まるで今まで離れていたのが嘘のように自然に会話を出来た事が嬉しかった。それでも、とりあえず謝罪をしてしまおうと律花が口を開きかけたその時、一足早く八尋がぽつりと言う。
「すまなかったな」
「え?」
思いがけない言葉に、律花はぽかんと口を開ける。
「命を賭けてまで助けてくれたそうだな。医者に聞いた。着いた時には酷い有様だったと」
顔は腫れ、全身傷や泥だらけでとても見れたものではなかった、と。医者は八尋にそう言ったのだ。
八尋は律花の方は見ず、天井を見ながら淡々と言葉だけを紡いでいく。
「お前は、おかしな娘だな。何故殺そうとした俺を危険を冒してまで助けてくれる? 何故、そこまで俺ごときのために……」
「だって、殺そうとされたのは私が誤解されたからだし。……それに、八尋は『ごとき』じゃないよ。私は八尋が死んじゃうのはすごい嫌だったから、だから頑張ったのに、そんな卑下するような事言わないでくれない?」
驚いたように八尋は律花の顔を見上げた。律花は腹立たしそうに続ける。
「そんな言い方したら、私が頑張ったのはなんだったの? って事になるよ。もっと自信持ってよ。私は、八尋が死んじゃったら嫌だよ。彰さんだってきっと嫌だって言う」
八尋はしばし、そんな律花を黙って見ていたが、それから小さく息を吐いた。
「……そうか、それは、有難いな」
少し間違えれば皮肉にも聞き取れそうな台詞。だが、その口調から全くそのようには聞こえなかった。
それから、しばしの沈黙。
「律、俺の元に戻ってきてくれないか?」
唐突なその言葉に、律花は耳を疑った。
「戻ってきていいの?」
「俺がそれを頼んでいるんだが」
「なら、戻ってくる」
律花が言うと、八尋は満足そうに頷いて、それから手を伸ばしてそっと律花の頬についた擦傷に軽く触れる。
瞬間、どきり、と心臓が跳ねた。
「痛いか?」
「え?……ちょっとだけ。もう、治りかけてるから」
「おなごの顔に傷をつけてしまって、すまない事をしたな」
その言葉に、律花は焦ったように目の前で手をぶんぶんと振り、弁解をするような口調で言う。
「大丈夫だよ。お医者さんも痕は残らないって言ってたし」
心臓がいつもより少し早く打つのを不審に感じながらも、なんでもないことのように答える。
「それに、痕が残ったら八尋に責任取って貰うし……」
冗談で言ったのに、八尋は軽く苦笑して肯定してしまう。
「そうだな」
その表情にもまた、どきりとする。律花は焦ったように立ち上がった。
「じゃあ、戻ってくる準備もあるからとりあえず一端戻るね。お大事に」
頷く八尋に笑いかけて、部屋を出る。知らず、ホッと肩の力が抜ける。
「どうだった?」
いつの間にやら側にいた彰が急に声を掛けたので律花がギョッとした顔をするが、彰と分かって嘆息する。
「驚かせないでください。……今度からまた八尋の所に戻って良いって言われたんで、宜しくお願いします」
「それだけ?」
「はい、それだけです」
彰は少しの間じっと疑わしそうに律花の顔を見つめる。
―――まあ、今は問い詰めないであげようかな。
「了解したよ。すぐに部屋や着物を準備しよう」
「お願いします」
ぺこり、と頭を下げて、とりあえず自分に割り当てられている部屋に戻るために歩き出す。
歩きながら、ふと医者の所にいた女の言葉が脳裏をよぎった。
『好きなんでしょう? 時柾様の事』
―――まさか、ね。
苦笑して頭からその考えを振り払う。
八尋は結局、自分とは別世界の人間なのだ。元の時代に戻ってしまえば自分とは関係のない昔の人。
そう考えて一瞬ちくりと胸が痛んだか、あえて考えない事にした。
―――私は、いつか元の時代に戻るつもりなんだから。
今はまだ、方法が分からないからこちらにいるだけで、方法が分かり次第必ず。




