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第六章 2話

 「蘭子様、これから時柾様の元へお仕えしたいんですけど良いですか?」

 律花が切り出すと、蘭子は不審な顔をした。

 「何言ってるの? なんでお前が時柾様の元へ?」

 「えっと、戻ってきて良いって言われたので」

 「戻ってきて良いって、お前、時柾様の何なの?」

 「一応、臣です」

 蘭子は益々不可解な顔をして律花を見る。

 「本当、意味の分からない子よね。お前も。ならば何故朝熙様の所へいたの?」

 「色々あって時柾様を怒らせてしまって、朝熙様に匿って貰ってたのですが、やっとお怒りが解けたので」

 律花が言うと蘭子はいまだ納得が行かないような顔をしていたが、あっさりと頷いた。

 「まあ、良いわ。時柾様がそれを望むなら。どうせお前は剣術くらいにしか使い道もありやしないし。時柾様に宜しくね」

 その口ぶりが八尋と面識のあるような口ぶりだったので律花は不思議に思って問いかける。

 「あの、時柾様とお知り合いですか?」

 「お前、なんなの。時柾様にお仕えしているのならその位知っていなさいよ。あのお方の姉君のお輿入れされた家はわたくしの実家よ」

 驚く律花に蘭子は呆れたような視線を送る。

 「本当に、全然知らないのね。わたくしの実家は篠田と強固な血縁関係を結んで置こうとわたくしを篠田に差し出し、代わりに時柾様の姉君を迎え入れたのよ。言ってみれば人質交換ね。まあ、本当はわたくしでなくて妹が時柾様に輿入れする筈だったのだけど、わたくしが朝熙様をお見かけして心を奪われてしまったから父上にお願いしてわたくしにして頂いたのよ」

 「じゃあ、時柾様のお姉さんは今は蘭子様の実家にいるんですか?」

 「そうよ」

 頷いて蘭子は言う。

 「だからこそ、この間義巳様をお迎えに行く時もわざわざ時柾様が行ってらっしゃったんじゃないの。姉君は城から出る事は叶わないから、せめて自分が赴こうって」

 「そうなんですか」

 ―――八尋のお姉さんってどんな人なんだろう。

 話を聞くだけでも、相当八尋に大切にされている事が分かる。小さい頃からずっと八尋の側にいた人。「八尋」と呼ぶのもこの人と律花にだけ許された事だと聞いた。

 「とにかく、あの方が安曇にいる限り、時柾様は安曇には手を出せないわね。この上ない人質よ」

 蘭子の言葉がそう、締めくくった。


 蘭子に改めて挨拶をして、荷物を持って八尋の部屋の側に新しく与えられた、というよりも戻ってきたのだが、律花の部屋に行く。部屋で荷物を整理していると、障子の向こうから彰が声をかけた。

 どうぞ、と返事をすると、彰は追加の着物を持って律花の部屋に入ってきて、それを畳の上に置く。

 「はい、このくらいあれば良いでしょう」

 礼を言って、持ってきてもらった着物に目を通す。ふと、その中に混じっている道着に目が行った。

 「これは?」

 律花の問いかけに、彰は「ああ、それは」と笑む。

 「どこで習ったか知らないけど、律花の剣術の腕が上達していたようだから、剣術を習わせてやれ、と時柾様がね。……妻競いの時はすごかったね」

 律花が曖昧に頷くと、彰は問いかける。

 「ところで、誰に習ったの? 随分良い師匠らしいから、律が望むならその人にこちらから改めて頼んであげるよ? ちゃんと報酬もだして」

 その言葉に、律花は戸惑う。もしかしたら、北見の事は口に出さない方が良いのかも知れない、とも思ったのだが、以前から教えてもらっていて何もお礼を出来ないのは心苦しかったのも事実なのだ。

 ―――朝熙様の臣らしいけど、八尋の事も知っているみたいだし、いいよね。

 律花はそう考えて口にする。

 「北見さんって人です」

 その途端、彰の顔が驚きに変わった。

 「北見が? 剣術を?」

 ―――あれ、やっぱりいけない事だったのかな?

 彰の反応に、急に不安になり、律花は慌てて言葉を付け足す。

 「もしかして、いけない事だったんですか?だったらごめんなさい。朝熙様には内緒にしておいてくれませんか?」

 そんな言葉が耳に入っているのか、彰は考え込むように「そうか、道理であんなに成長したもんだ」などと呟く。そして、律花に目を向けた。

 「律、良い師匠に巡り合ったね。北見はその道では一流だよ。時柾様にお尋ねして、お許しが出たら正式に律の師匠をしてくれないか申し込んでみよう」

 ―――まずい事、しちゃったかな?

 思ったものの、もう後の祭りのようだ。

 彰が立ち上がって部屋を出て行こうとするので、律花ははっと思い至って言う。

 「八尋のところへ行くなら私も一緒に行きます。さっき、誤解を解き損ねちゃったから」

 「誤解?」

 怪訝そうな彰に律花は言う。

 「私は木野の間者なんかじゃないって」

 「それならもう解けてると思うよ」

 彰は言うが、律花は首を振った。

 「でも、隠していた事があるんです」

 「そういうこと」

 彰は納得したように言って頷く。

 「うん、じゃあ一緒に行こうか」

 そう言って、律花を立たせる為に手を差し伸べた。


 彰から「北見」という名前を聞いた時、八尋も一瞬驚いたような顔をした。それから複雑そうな顔をして律花の方を見る。

 「律、なんで北見に剣術など教わる事ができた? なんと言って口説いた?」

 「口説いたって、北見さんの方から教えてくれるって言ったんだよ」

 その言葉に、八尋は益々複雑な顔をした。だが、律花の不思議そうな顔に気が付くと説明するように言う。

 「俺達が何を言っても、北見は刀を握ろうとしない」

 「嘘。だって、私が見た時は北見さん、1人で素振りしてたよ」

 勢いで言ってしまってから、ハッと口を噤む。

 ―――そういえば、これ、口止めされてたんじゃなかったっけ?

 だが、八尋はしっかりとその言葉を聞いてしまったらしい。彰と顔を見合わせる。

 「北見は、他に何か言ってたか?」

 問い詰めるような八尋の視線。後ろでにっこりと笑っている彰からもそこはかとなく威圧感を感じる。

 ―――ああ、さっきから私、口を滑らせてばっかりだ。

 「言ってないよ。言ってない。ただ、その現場を目撃しちゃった時に剣術の稽古を付けてくれるって言われて」

 律花は慌てて取り繕うように言う。八尋はまだ疑わしそうな目で律花を見ていたが、少し肩を竦めて言った。

 「まあ良い。北見にまた刀を握りたくなったら俺の所に来い、とだけ伝えてくれ」

 それを聞くと、彰は立ち上がる。

 「じゃあ、俺は早速北見に律の弟子入りのお願いを伝えてくるよ。律、ごゆっくり」

 そう言って、返事をする間もなく、彰は去ってしまう。

 八尋は律花の方に体を向けた。半身は起こせるようになったが、まだ全快はしていないので布団に半分入っているままの状態で。

 「それで? 律。何か話があるそうだが?」

 「うん」

 律花は緊張しながらも、改まってしっかりと八尋を見る。

 「誤解を解いて置きたくて」

 「誤解?」

 「八尋、あの時私が視線を逸らしたから不審に思ったんだよね。私が八尋を騙していたんじゃないかって」

 ああ、あれか、と八尋は言って八尋は首を振る。

 「あれは俺が間違っていたようだ。悪いと思っている」

 「違うって、話は最後まで聞いてよ」

 そう言って、真剣な瞳で八尋の顔を見る。

 「私はね、一度前に八尋に会ってるんだよ」

 八尋の顔が不審気になる。律花は続ける。

 「私はあの日、前も話したことあるけど、もっとずっと後の時代からこっちに来ちゃって、しかも向こうでプールで溺れて気が失って目が覚めたらこっちの川岸にずぶ濡れで寝かされてたの。それで、そこに八尋がいたの」

 八尋が記憶を探るように眉を寄せたので、律花は身を乗り出して畳み掛けるように言う。

 「私は、あの時真っ赤な着物を着てた。八尋はちょんまげのお供の人を連れて馬に乗って、確か鎧も着てたよ」

 その言葉に、ようやく八尋が思い至ったように目を見開いた。

 「まさか、あの時溺れていた娘か」

 「多分、そう。私は八尋に溺れてたのを助けてやったのを礼も言わないか、とか怒られたから」

 八尋はその時の光景を思い出す。戦が終わった後だったが、誰かが自分の事を狙っているという情報を彰が聞きつけてきたから、供を一人だけつけて、あまり人のいない場所で体を清めようと川の上流まで馬を走らせたのだ。鎧を脱いで、いざ、血を洗い流そうとした時に川からそれが流れて来た。始めは、赤い着物が流れてきたのかと思い、それからそれが人だと分かった。ぐったりとしていて、もう既に死んでいるのかもしれなかったがとりあえず引き上げてみたのだ。引き上げて見た印象は着物を着る、というよりはすっかりその豪奢な着物に着られてしまっている、という感じのまだあどけない少女。それを見た供の者がきっと木野の贄だろうと言った。それで、少し興味が沸いた。

 他の人々のために殺される娘というのがどういう気持ちなのか、じっくりと聞いてみたい気持ちがあったのだ。連日のように周囲から命を狙われ続けている自分としてみれば、多少の同情心もあったのかもしれない。

 だが、目を覚ました少女はまるで八尋の質問の意味を理解していない雰囲気で、会話もろくに出来ないようだった。だから、すぐに飽きて置いて来てしまった。

 「あの時の娘が、律?」

 正直、顔はよく覚えていなかった。いや、その時の事さえこうして言われなければ忘れ去っていた筈だ。

 律花は頷いて言う。

 「八尋に置いていかれて私は何も分からないからとりあえず歩いたの、そうしたら集落で気を失って、起きたらおばあさんに私は木野から流されてきた贄だろうって言われた。それで、ここには木野の者には恨みを持つ人がいるから気をつけろって言われて、その夜に殺されそうになって、逃げた先の山で八尋と会ったの。その時は、八尋が助けてくれた人なんて知らなかった。でも」

 律花は一瞬、ためらうように言葉を切る。それから意を決したように一気に言った。

 「日が照って、八尋の顔を見たら思い出した。八尋が助けてくれた人だって事。だけど、言わなかった。そうしたら八尋はじゃあ私に借なんてないって置いて行っちゃうって思ったから。だから、それが後ろめたくて咄嗟に視線を逸らした」

 八尋は一瞬、呆気に取られたような顔をした。目の前の律花は恐々というように自分の顔を見ている。

 ―――どうしてそんなつまらない嘘ごときでそこまで罪悪感を持てるのだろう。

 それが、不思議だ。世の中にはもっと酷い事をしても平然としている人間なんて五万といる。

 ―――なんなんだろう、こいつは。

 八尋にとって律花は全く不可解なものだった。土の中から助け出された時も、医者を呼ぶために京にまで行った時も、損得や利害などといった単語はこの少女の中には皆無のようで、ただ、感情に任せてそれをする。

 出会った時も、土の中から掘り出されて初めて聞いた律花の邪気の全くない声に戸惑った。今まで周囲にいた者達は大抵が何かしら内に抱えていたのに、この少女はまったく素直で平和な声を出したから。当たり前の様に笑って当たり前のように怒鳴って当たり前の様に泣いたから。疑心暗鬼で汚れきった自分の目からは、こんな存在があるというのは信じられなかった。だから、ついてくるのを許したのだ。でなかったら、たとえ恩人であろうと何が何でも追い返しただろう。

 「気にするな、律」

 もはや、感心するを通り越して呆れる気持ちさえ出てくる。それでも、こうして言わなければ気に病むのだろう。

 「だって、私が八尋を信じてなかったって事なんだよ?」

 律花はまだ気にしているようでうじうじとそんな事を言う。

 「そもそも、信じられるような人間ではないからな。……全く、そんな事で誤解を招くような態度をとる方が紛らわしいから止めて欲しい」

 「……うん」

 ようやく、安堵したように律花は頷く。

 「疑った俺も悪かったが。もう、これでこの話しは良しとしよう」

 言ってから、ふと気が付いて八尋は付け足す。

 「ジンの事を、お前が怒っていなければ、と言う事だが」

 ―――そういえば、ジンは八尋の命令で山に放されたんだ。

 「いつかは山に帰っちゃう筈だったんでしょ? だったら、殺さないでいてくれたからいいや」

 律花が笑うと、八尋も安堵したような顔で苦笑した。

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