第五章 6話
目が覚めると、知らない部屋に寝かされている事が分かった。痛む体を起こして律花は大きく溜息をつく。
―――もう、どっちが現実だかわかんないや。
しばらく呆けていると、障子が開いて中年の女が入ってきた。律花の姿をみて柔らかな笑みを浮かべる。
「目が覚めた? 気分は?」
「体は痛いけど、気分は良いです」
律花が答えると苦笑して「そりゃあねぇ」と言う。
「あんな全身に怪我こさえて。先生の助手の方が看てくださったからじきに良くなると思うけど、その方も呆れてたわよ。まあ、その様子があの頑固な先生の気持ちを動かしたんだから大したもんだけど」
「あの、それでやひ……時柾様は?」
その不安そうな口調に、女は安心させるように微笑んで言う。
「すんでのところで助かったらしいわよ。先生があんたに知らせてやれってわざわざ文をくだすったんだから」
律花はほっと安堵の息をついて、それからふと気が付いて尋ねる。
「あの、私、どのくらい眠ってたんですか?」
「かれこれ三日間ほど。まあ、熱も出ていたし、しょうがないわよね。顔の腫れも引いたようだし良かったじゃないの。お嫁に行けなくなったら大変だものね。傷も、しばらくは残るけど治らない傷ではないっておっしゃってたわよ」
そうまくし立ててから、じっと律花の顔を見る。
「それにしても、時柾様にもやっと、こんなに想ってくれる人が現れたんだね」
感慨深そうに言う女に律花が戸惑うが、女はそのまま続ける。
「なんの縁か知らないけどね、私は昔、時柾様の母君にお仕えしていた時があったんだよ。あの方は体が弱くて、それでお医者様のお世話になる事が多かったから、あの方が亡くなった時にこちらで使っていただくきっかけになったんだけど。……あの方が亡くなったあと、私達は皆篠田から撤退してしまって、時柾様があそこに残るのに少し心配だったの」
「あの」
律花は気になっていた事を尋ねようと口を開く。
「時柾様のお母さんってどんな人だったんですか?」
女は少し困ったように曖昧に笑みを浮かべた。
「お美しい方だったよ。ただちょっと弱い方だったのよ。……あの方はね、ご実家の方に想う方が居たのに、お父上のご命令で篠田に嫁がされたの。それで、篠田の何もかもを拒んでしまったのよ」
「何もかも?」
律花が反芻すると、頷く。
「そう。何もかも。篠田の血を半分引く時柾様やその姉君も」
律花は絶句する。と言う事はつまり、八尋は実の母親にも拒まれていたという事だ。
「時柾様は誰からも愛される事なく育った。だから、貴方のような人が現れて嬉しいのよ」
「あの、私は別に……」
―――八尋にも嫌われてしまったままだし。
その言葉に、女は揶揄するような笑みを浮かべた。
「別に? うわ言で散々『八尋』って言ってうなされていた人が別に?」
律花は赤面する。女は声を立てて笑った。そして、言う。
「あのね、時柾様の幼名を呼べる方は少ないんだよ? そんな呼び方を許される程親しく出来た人なんて、そういない。時柾様の姉君くらいよ。その呼び名が許されただけでもあんたは大したもんなの」
「でも、私、八尋に嫌われちゃったんです」
「どうして?」
「私が、八尋を裏切ったと思われちゃって」
女はじっと律花の顔を見つめる。
「本当に裏切ったのかい?」
「違います」
咄嗟に大きな声で否定して、それからばつが悪くて顔を伏せて言う。
「でも、私がちゃんと八尋を信頼してなかったからそんな誤解を受けたんです」
その言葉に女はにっこりと笑った。
「なら、その誤解を解いておいでよ。大丈夫さ、時柾様は危機は脱したとは言ってもまだそんなに回復していないそうだから、枕元で鬱陶しくなるくらい弁解をしておいでよ。ちゃんと誤解は解いておかなきゃ後悔するよ」
「はい」と頷いた律花だが、次の言葉には仰天した。
「惚れてるんでしょう?」
「は?」
驚いて聞き返す律花に女はからからと笑う。
「だってまさか、なんとも思ってない男のために、ここまでしないでしょう?こんなにぼろぼろになって、夜も寝ずに馬を走らせるなん……」
女が言葉を切ったのは、律花があまりにもきょとんとした顔をしていたからだ。
「まさか、あんた自覚がないの?」
「私が八尋を好きなんですか?」
律花が問い返すと、女は呆れたような顔をして、事実「呆れた」と口に出した。
律花はしばらく考え込んでいたが、やがて苦笑した。
「やっぱり、違うと思います。私、恋とかした事ないですし」
「した事がなくても、これからするんでしょう? 大体、じゃあなんであんなに必死になってこんな場所まで来たの?」
「それは、八尋には色々お世話になってるし」
女は肩を竦める。これはもう、お手上げだ。自分で自覚を持つのを待つしか方法はない。
―――相当なお子様だ。
女が黙ったのを、納得したと思ったのか律花は話を変える。
「そういえばお医者様は?」
「先生は篠田に行った後、その足で次の患者の所へお行きなさったわよ。あんたは、そのまま帰りなさいって言ってたわ。あんたの分のお金も篠田で貰ったからって。……もうちょっとゆっくりして行く?それともすぐに発ちたい?」
その言葉に律花は即答する。
「すぐに、発ちたいです」
とりあえず無事だと聞いたが、目の裏にはあの苦しそうな八尋が焼きついて離れない。近づけはしなくても、せめて離れた場所からでも元気な姿を見たかった。
女は一つ頷くと立ち上がる。
「とりあえず何か食べるでしょう?食事の用意をするから、その間に身支度を整えちゃいなさい」
「あの、色々ありがとうございます」
言うとにっこりと笑って頷いて女は部屋を出て行った。
「そう言えば、私と一緒に来た人はどうなったんですか?」
身支度を整えた時に、飾り紐がない事には気が付いていたし、山賊の所から盗んできた馬も1頭しかいなくなっている事からして、もうこの屋敷にいるとは思えなかったが、門を出る時にふと気になって、見送りに出てくれた女にそう尋ねてみる。
「なんか、あんたに宜しく言っといてくれって言ってふいっていなくなっちゃったわよ。……それよりあんた、帰りは駕籠で帰りなさいね。呼んで置いたんだから」
見れば少し離れた場所に確かに駕籠と、担ぐ人であろう人がいた。
「あの、私、お金盗られちゃって……」
律花が言うと、金の入った巾着を手に握らせる。
「先生からあんたが帰るのに不自由しない仕度をさせろと言われてるのよ。あんたが無事帰らない事には大目玉だわ」
「ありがとうございます」
律花が礼を言って受け取ると、女は満足そうに笑う。
「じゃあ、気をつけてね」
「はい、色々ありがとうございました」
律花は大きく頭を下げてそれから駕籠に乗り込んだ。




