第三章 4話
「律、ちょっと寄って行かない?実家から美味しいお菓子を頂いたの」
そんな言葉に、律花は振り返る。今では公然と中庭を突っ切る事になっていて、その時々に、律花は千鶴に話しかけられたり、時には八尋への歌を託されたりしていた。
今も、毎朝日課の彰との稽古の帰りにこうして声を掛けられたのだ。
千鶴は嬉しそうな顔で律花を迎える。こちらにはあまり、同じ年頃の話し相手がいないので律花は貴重なのだという。今日も、色々と話したくてうずうずとしているのが顔を見ただけで分かった。
律花は、申し訳なく思いながらも、立ち止まって言う。
「ごめんなさい。今日はこれからちょっと、用事が入っているので」
「用事?」
千鶴の瞳が好奇心にきらきらと輝く。律花に用事がある、というのはつまり、八尋の用事でもあることが多いのを分かっているのだ。千鶴は律花といる時、しつこいまでに八尋の話を聞きたがった。
律花は後ろめたさを感じながら、曖昧に笑みを浮かべる。
「はい、ちょっと……」
そう、言葉を濁す。いつもならば、八尋の事は口止めされているのでなければ教えてあげるのだが、今回はなんとなく、言わない方が良い気がした。
律花はこれから、八尋と乗馬の稽古に行くのだ。
前の晩、ふと思い立ったように八尋が言い出したことで、久しぶりに自分も遠出がしたいので、そのついでに律花に乗馬の指導をしてくれると約束をしたのだ。
部屋から殆ど出る事もなく、こうして唯一律花と話す事を楽しみにしている千鶴には申し訳ないが、律花も久々に城から出られる事で、なんとなく浮き足立っていた。それは、日々のお勤めから開放される、ということもあったかもしれないが、それだけではない。八尋は城の中にいると、いつもどこか張り詰めているのだが、外出をするのなら八尋もそれを解いて、また軽口を叩けるようになるかもしれないと思ったのだ。
律花が話す気がないと悟ったのか、千鶴は少し拗ねたように言う。
「そう。律はいいわね。いつも殿の近くにいられて」
このお姫様は、拗ねている仕草まで可愛い。舌を巻く思いで見ながら律花は考える。
もし、八尋が目を向ける気になったなら、この愛らしさに、すぐに虜になってしまうのではないか、と。
「じゃあ、せめてこの歌を殿に持って行ってね」
千鶴は言って、あらかじめ用意していた文を律花に渡す。
律花はそれを受け取ると、中庭を後にした。
律花に用意されたのは、穏やかそうな茶色の馬だった。
城下町のごみごみした所を抜けるまでは、乗らないで手綱を引いて運んできて、城下の出口の開けた所でようやく乗る準備をする。鞍を置いてくれた彰に礼を言って律花はなんとかそれに這い登った。そうして、恐る恐る手綱を握る。
基本的な事は、こちらに来る道中に教わっていたのだが、やはり、まだ慣れない。
「律、もっと堂々としていなくては、逆に馬が不安がる」
そう、八尋に言われても、簡単には緊張を解くことは出来ない。
「そんな事言ったって……」
と言いながら情けない顔をする律花を苦笑して、彰がなだめるように言う。
「大丈夫だよ、時柾様は乗馬もお上手だからいざとなったら助けてくれる。だから、安心して乗っておいで」
そうして八尋を振り返る。
「お帰りは夕刻頃ですね?」
「ああ」
頷いて八尋は軽く馬の横腹を蹴る。驚いた様に馬が走り出した。
「え、うそ。……待って」
律花がおろおろとすると、笑って彰が律花の馬を軽く叩く。馬は驚いたように走り出し、律花は情けなくも、咄嗟に馬の首にしがみ付いて振り落とされないようにするので精一杯だった。
城を離れてしばらくは、八尋は無言だった。だが、城が見えないほどに遠くに来ると、明らかに八尋を取り囲んでいる張りつめた空気が緩んだ。
余裕が出てきたのか、振り落とされない様、しっかりと馬の首を掴んでいる律花にようやく目をやる。
「律、それでは乗馬とは言わない。もっと力を抜いて大丈夫だ。背筋を伸ばして、それから手綱を引け」
その言葉に対して、がちがちに体を硬直させて馬にしがみつきながら、律花は情けない声を出す。
「無理だよ、なんか落ちそうなんだもん」
「大丈夫だ。馬の動きにあわせて体を動かして釣り合いを取れ」
馬の上は、傍から見ている分には想像できないくらい揺れる。しかも、走っていれば尚更だ。これを歩かせるには手綱を引くしかない。それは、以前にも教わった事だ。
律花は恐る恐る体を起こし、手綱を強く引く。馬が、ぐい、と頭を引き、それと共に速度が緩んだ。そこで、ようやく律花は安堵の息を吐く。
律花の減速に合わせて、八尋も律花の隣に馬を並べて歩かせた。
歩いている馬の上ならば、どうにかバランスが取れる。いまだ、体を硬直させてはいるが、それでも律花は八尋に言われたとおり、背筋を伸ばして、馬の動きに合わせてリズムを取る様に体を動かした。
「やはり、走らせるのはまだ無理か」
「やはりって。分かってるならあんな急に走り出さないでよ」
律花は少し憤慨したように抗議する。走っている馬の上に乗っている、というのは予想以上に恐いものだったのだ。
「ここまで来るのに走らなければいつまで経っても着かないだろう」
「だからって」
律花はまだ不満顔だが、八尋は気にした様子はない。
「律、手綱を右だ」
唐突にそう指示して、自分も右に手綱を引く。
「どこへ行くの?」
「これと言って当てもないが、少し方向を変える練習をしておいた方が良いだろう」
「なるほど」
こんな話をしているうちに馬の振動に慣れてきた。そうすると、周囲の景色にも目が行くようになる。
律花たちが居る場所は、野原のような、なだらかな丘陵のある、広々とした場所で、少し遠くに山が見える。涼しくなってきた近頃では、駆け抜ける風が心地よかった。
「気持ち良いね。久しぶりにこんなのどかな場所に来た」
「そうだな」
八尋は素直に同意をした。
城の中は八尋が常に緊迫しているせいか、やはり律花にも少々息の詰まる思いのする場所だった。たまにはこういう場所に来て、息抜きをしなければ、やっていられない。
そう、考えて、それができない人の事にふと思い立った。
「そういえば、八尋。また千鶴姫からの文を預かってきたんだけど」
律花が言うと、八尋は少し顔を顰めた。
「こういう場所まで来て、そういう話をするか」
「だって、千鶴姫だって城で退屈してて、可哀想なんだもん」
言って律花は袂から預かった文を出して八尋に渡す。八尋は受け取ると、見もしないで袂にしまった。抗議の声を上げようとする律花に、おざなりに 「後で見る」と言ってから、八尋はあからさまに話を逸らした。
「そういえば、最近ジンを見かけないが?」
話を逸らされた事に少々ムッとしたものの、言っても仕方がないことだと思い、律花はそれにのる。
「ジンは最近、山に入り浸りだから。もう、自分で餌を狩れるようになったから、毎朝山の近くまで連れてって放してあげれば、あとは一日中山に居るんだ。……帰りは自分で帰ってくるし、あんまり他の人を襲わなくなったし、偉いと思わない?」
最近、ジンは急速に成長したのではないかと律花は思っている。もしかしたら、幼少期を抜けて、もう、大人になりつつあるのかもしれない。餌を自分で満足するまで獲ってくるせいか、体も随分と大きくなった。内面も、以前はしばしば他人を噛んでいたのに、最近は殆ど律花の言いつけを守って噛まないようになっていたし、律花の言う事も、理解できているかのようによく聞くようになった。
そんな話を嬉々として話す律花に、八尋は少しだけ迷った末に、言う。
「水を差すようで悪いが、律」
そう、切り出した八尋は、感情の起伏の少ない八尋にしてみれば珍しく、いつもよりは少しだけ労わる様な口調だった。
「それだけ手塩にかけて育てていて、情が移るのも分かるが、ジンはヤマイヌだというのを忘れるな」
「え?」
不思議そうな顔をする律花に、八尋は続けた。
「ヤマイヌは、群れて生活をすると言う。もし、ジンが山で群れに出会ったら、そちらに居ついてしまって戻ってこないかもしれない。そんな別れが来るかもしれない事を、覚悟しておいた方が良い」
律花はその言葉に驚く。そんな可能性は、全く想像していなかった。
―――だけど、何故、八尋はそんな事を言うのだろう?
律花のその疑問は顔に出ていたのだろう。直接八尋から返答があった。
「今から覚悟しておけば、いざとなった時、傷は軽くて済む」
そう言った八尋の目は、どこか遠くを見ているようだった。
「でも……」
反論しかけた律花の言葉を、突然ス、と手を上げて八尋が遮った。律花は訝しげな顔をするが、八尋の顔を見てハッとする。いつの間にか、八尋の表情には城に居る時と同じような鋭いものが戻っていた。
「律、馬を走らせる。ついて来い」
表情を消した声で言うと、律花の言い分も聞かず、八尋は馬を走らせてしまった。律花は一瞬逡巡するも、決意をして馬の横っ腹を蹴る。八尋のあの表情を見てしまえば、恐いだのと言っている場合ではなかった。
馬が驚いたように嘶いて、駆け出す。
律花は両目をぎゅ、と閉じ、きつく馬の首にしがみついたまま、彰の言葉を思い出していた。
『時柾様は乗馬もお上手だからいざとなったら助けてくれる。だから、安心して乗っておいで』
―――そうだ。八尋はいつも助けてくれたんだから、今回も大丈夫。
そう自分に何度も言い聞かせて、恐怖を紛らわせた。
何故出来てる話をアップするだけなのにこんな時間かかるんだこのノロマめ!と思われるかもしれませんがスミマセン、実はアップする時に文頭にスペースを加えてるんですがこれが意外に手間でやる気がそがれる削がれる…。
短編はいくつかスペースなしのまま「もーいっか」ってアップしてるんですが長編だと流石に気になって…。




