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第三章 3話

 八尋は食事の膳を運んできた律花の放つ少し険のある態度に、内心で首をかしげた。

 何があったというのだろう?普段は陽気ににこにこしている律花が押し黙ってむくれているように見える。

 ―――朝は、普通だったはずだが?

 彰に視線を移すと、彰は面白そうに笑みを浮かべてその様子を伺っているだけだった。何があったのか、と視線で問いかけても、わざと気が付かないふりをしている。

 ふと見ると、律花が運んできた膳の上に、見慣れない花が添えてあった。

 「これは?」

 八尋の問いかけには、彰が横から答える。

 「千鶴ちづ姫から律が預かったようですよ」

 「千鶴から?」

 八尋は眉根を寄せてそれを手に取ると、結んであった紙を開く。

 「相変わらず、和歌が好きだな。あの女も」

 紙にざっと目を通すと、それをぐしゃり、と丸めてその場へ投げ捨てた。その行動に、律花は驚いて八尋を見たが、八尋の方は全く意に介した様子は無く、葵の花も無造作に横に置くと何事も無かったように膳に手をつけ始めた。

 律花は慌てて、くしゃくしゃに丸められた紙を拾い上げて広げる。それは、律花の目から見ても、高級な紙だというのが分かった。豪奢な、それでもごてごてしすぎていない、品の良い模様の入っている、涼しげな薄緑の紙。 その中央に、律花には読めない昔の文字で何かが書かれていた。

 「お返事は、どうするんです?」

 彰が八尋のした事などなんでもない事のように平然と問う。

 「書かなくても問題はないだろう。書きたいというのなら、適当に、お前が代筆しておけ」

 八尋の返事はにべもない。

 彰は首を振って言う。

 「それは無理です。俺は時柾様みたいに達筆でないから、すぐに露見してしまいますよ」

 二人の会話など耳に入らない様子で、律花はしわくちゃになった紙と、畳の上に無造作に放られた葵を見比べて、そして八尋を見る。

 先ほどのお姫様、千鶴というそうだ、はわざわざ八尋に渡すためにあの華奢な手で、葵の花を折ろうとしていたのだ。

 彰がひょい、と手を伸ばして律花の手から紙を摘み上げてそれを見る。

 「返歌くらいなら作って差し上げられますけど、それだって時柾様の方がお上手でしょう?」

 「だから、別に書かなくても良いと言っているだろう。いつもの事だ」

 律花は彰が軽口を叩きながら紙に目を通しているのを見て、問いかける。

 「それ、何て書いてあるんですか?」

 その言葉に彰は律花に視線を移し、苦笑した。

 「律は文字が読めないのかい?これはうっかりしていたな。今度教えてあげるから。……これは歌だよ。恋の歌だから、僕たちが読んでしまうのは無粋だね」

 自分の事を棚に上げた上でそう言って、紙を畳んでしまう。

 ―――恋の歌。

 律花はあの少女の様子を思い出す。殿に渡してください、と微笑んでいた顔。嬉しそうに上気した頬。

 それなのに、八尋はまるで興味がないように、それを投げ捨てたのだ。

 「八尋、酷いよ」

 律花はキッと八尋を睨みつけた。

 涼しい顔で吸い物を啜っていた八尋が怪訝そうに顔を上げる。

 「どうした?律」

 などと、平然とした顔で聞いてくるのが憎らしい。律花は憤慨して続ける。

 「なんでこんな風に手紙を投げ捨てたりするの? 千鶴姫が折角八尋の為に、ってお花をくれたのに。千鶴姫は、八尋の奥さんじゃないの?」

 律花の口調の剣呑なのに、また、その話の内容に八尋は軽く眉根を寄せた。

 「千鶴に懐柔されたのか?」

 「何言ってるの? 私はただ、八尋は千鶴姫の旦那さんなんだから、もっと優しくしてあげてもいいんじゃないのって言ってるんだよ。側室の所になんて入り浸ってないで」

 その言葉に、その事を漏らした人物に思い立って、八尋は軽く彰を睨みつけた。彰はわざとそっぽを向いており、そのまま用事を思い出したふりをしてしらじらしく部屋を退出してしまった。

 八尋は表情には出さないものの、少々困って目の前で憤慨する律花を見つめた。

 そもそも、八尋には何故律花がこんなにも憤慨しているのかが分からない。八尋にしてみれば、自分の千鶴に対する態度は正当なものだった。千鶴は長年自分を殺そうとしていた父親が、勝手にどこか身分の高い公家辺りから貰ってきた嫁で、信用出来る筈もない。とすれば城の他の者に対するように接するのが当たり前だ。

 少しも隙を見せず、絶対に心を許さない。それが八尋が他人に対する際の鉄則だった。

 一方律花にしてみれば、頭の中ですっかり八尋と側室の不倫に泣かされる千鶴という構図が出来てしまっていたから、八尋の冷徹さにとても、腹が立っていた。

 「律は、何か勘違いしていないか?」

 八尋の言葉には、刺々しい声音での律花の返事。

 「勘違い?」

 「千鶴は別に俺が好きで娶ったわけではないぞ?父親が勝手に決めただけの妻だ」

 「だからって……」

 千鶴は現にこうして、八尋に好意を示しているではないか。

 「大体、お父さんが勝手に決めちゃったのは、千鶴姫にしたって同じ事でしょう?勝手に決められて、それで知らない場所に連れてこられて、周りも知らない人ばっかなのに、唯一の頼みの綱の旦那さんはすごい冷たいんじゃ、可哀想じゃない」

 「千鶴は自分の侍女を何人か連れて来ているだろう」

 「そういうことじゃなくて」

 律花はいらいらと言う。

 「八尋がどうにかしてあげないと、ここに馴染めないでしょ、って言ってるの」

 まだ、あどけない少女だった。風に吹かれでもしたら、折れてしまいそうな華奢で可憐な。

 「俺と親しくしたところで、この城に馴染めるというものでもなかろう」

 八尋は言って、それでも、溜息をひとつついて立ち上がって書棚の方へ行き、置いてあった筆と硯を持ってくる。それから、側の棚から紙を適当に1枚取り出し、さらさらと何かを書き付けた。そうして軽くそれを畳むと律花に差し出す。

 「言い争っていても埒が明かん。これで律の気が済むのなら外に咲いている芙蓉にでもこれを結びつけて、明日の朝餉の後にでも千鶴の元へ持って行け」

 律花が不思議そうな顔でそれを見ると、八尋は言う。

 「返歌だ。これで満足だろう?……満足したら、機嫌を直せ。お前がその様に不貞腐れていると、こちらも気が滅入る」


 翌日。朝餉の後に、言われたとおりに庭で芙蓉の花を見繕ってそれに紙を結びつけながら、律花は反省した。

 今になって考えれば、昨日の行動は、冷静さに欠けていたと思う。あれでは何か言いがかりをつけているとしか思えなかった。

 八尋には八尋なりに事情があるのだし、律花の感覚では不健全なことでも、こちらでは当然の事なのだから、律花の言っていることは明らかに筋違いだった。さらに言えば、これは千鶴と八尋の問題であるのであって、律花が口を出す権限はどこにもない。

 だから、八尋は律花の事を頭ごなしに叱って律花の言い分を退ける事だって十分できたはずなのに……。

 律花は手の中の紙を見る。確かに、律花には千鶴が可哀想だという気持ちはあった。でも、ならば何故、この返歌を受け取った後も、この胸のもやもやは消えないのだろう。

 ―――八尋の側室の人とは、どんな人なんだろう?あんな可愛い人につれなくしてでも、八尋が好きな人、って事だよね。

 そんな事を無意識に考えてしまって、律花は慌てて頭からそれを振り払った。

 ―――何を、下世話に詮索してるんだろう。

 自分には、とりあえずあまり関係のないことだ。

 律花は自分にそう言い聞かせると、手紙を手に、中庭へ急いだ。


 中庭から声を掛けると、驚いた顔の中年女性が顔を出した。千鶴お付きの侍女だろう。

 律花が立膝で庭から見上げていると、呆れた顔をされた。

 「何故、庭から来るのです」

 言われて律花は初めて気が付いた。初めて会ったのが中庭だったので、ついこちらから来ることしか思い浮かばなかったが、普通は廊下を通って部屋を訪ねるものなのだ。

 改めて伺います、と言おうとした瞬間、部屋の奥から絹擦れの音と共に、ころころと明るい笑い声が聞こえた。

 「良いわ。こんな場所からの来訪もたまには興があって良いじゃない」

そんな声と共に、姿を現したのは、他でもない千鶴だった。大きな黒目がちの目が面白そうな色を湛えて律花を眺めている。

 「それで、御用は何かしら?」

 思ったよりも、気さくな姫君だ。律花は安心して言う。

 「主人から返歌をお預かりしてきました」

 その言葉に、千鶴と侍女が驚いたように顔を見合わせた。

 「殿が、ご返歌をくださったと、そう言うの?」

 その口調は、信じられない、という響きを持っている。

 律花は持っていた花を差し出した。千鶴姫は、恐る恐るといった様子でそれを受け取ると、開いて中に目を通す。

 「……殿の、ご手跡だわ」

 その言葉と共に、向けられた目は少し潤んでいて、律花は少なからず動揺した。

 千鶴は縁側から庭に降りてきて律花の手をとり、立たせると言う。

 「殿が、わたくしの歌に返歌をくださるなんて初めての事だわ。貴方が何か、殿に言葉添えをしてくれたの?」

 「そんな大した事は……」

 言い訳がましく律花はもごもごと言う。ただ、自分は八尋に向かって癇癪を起こしてしまっただけなのだから。

 だが、そんな事は千鶴は知る由もなく、律花の手をぎゅ、と握った。

 「ありがとう」

 そんな言葉に顔を見れば、心底嬉しそうにふわりと笑う。満開の花の様な、可憐で華やかな笑み。

 「いえ」

 きまりが悪くて俯いてしまった律花に、千鶴は言う。

 「これからも、あなたに殿へのお手紙を頼んで良いかしら?」

 一瞬怯んだが、こんなに喜ばれては断る事も出来ない。

 「毎回、返事を書かせられるわけではないと思いますが……」

 それでも言い訳をするように言ったのだが、千鶴はまるで気にしていないようだった。

 「それでも、良いわ」

 千鶴はそうして律花の顔をじっと見る。

 「あなたとも、仲良くなりたいわ。わたくし、ここではとっても退屈なの。待っているから、またここから声をかけてくれないかしら」

 咎めるような侍女の声を無視して、千鶴は言う。

 「ね?良いでしょう?」

 「わかりました」

 他に言いようもなく、律花はかしこまって頷いた。

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