第2章・完結【第四十五話】落成の祝杯と、大誤算の引き渡し
空中都市最下層、中央制御室。
つい数時間前まで、世界の根幹を揺るがすように不気味に脈打っていた赤黒いバグの塊は、今や跡形もなく消え去っていた。
そこには大霊脈が本来持っている、どこまでも澄んだ、美しい青白い光が満ち満ちている。
神秘的な光の粒子が、まるで降り積もる雪のように静かに部屋を包み込んでいた。
だが、そんな世界の危機を救った直後であっても、サトウのやるべきことは変わらない。
サトウは散らばった禍々しい鉄くずを『可燃・不燃・再利用可能』にきっちりと分別し、床に飛び散った魔導油をウエスできれいに拭き取り、計器類の安全を指差し呼称で再確認していた。
現場の基本である「4S(整理・整頓・清掃・清潔)」を完璧に終えたサトウは、地上へと戻る魔導トレーラーのルーフにどっかりと腰掛け、ようやく頭のヘルメットを脱いだ。額を伝う汗を、心地よい下層の風が優しくさらっていく。
「サトウさん、本当にお疲れ様でした!」
リノが、木製の大きなお盆を胸の前に抱え、トコトコと長い耳を嬉しそうに弾ませながらやってきた。
差し出されたのは、タレの焼ける香ばしい匂いが漂う、肉がガッツリと詰まったリノ特製の現場メシ(お弁当)。
そしてもう一つは、彼女がマイプレスで丁寧に淹れてくれた、深く、どこまでも苦味の効いた、シロップ抜きの特製エスプレッソコーヒーだ。
すんっ! 「ぷはーっ、この肉の脂身も最高だけど、やっぱり肉体労働の後はこの塩むすびが一番体に染みわたる!」
トレーラーのルーフの下では、カレンがすでに通常運転で真っ先におにぎりに飛びついていた。かつての聖騎士団長としての威厳はどこへやら、両頬をリスのように限界まで膨らませてモグモグと咀嚼している。
そしてそのすぐ横では、エルフの長であるはずのエルミアが、ゴツゴツした体躯の土木ドワーフたちと早くも大盛り上がりでジョッキを傾けていた。
「ぷはぁっ! ったく、あんたたち土木ドワーフは、現場でバテるのも早けりゃ、酒が回るのも早すぎなんだよ!」
「ガハハ! 何言ってやがるエルミアの姐さん! オレたちドワーフはな、この美味い祝杯のために一汗かいてんだよ! ほらほら、姐さんも遠慮してねえでもう一杯いきな!」
「へっ、その挑戦、受けて立とうじゃん! 樽ごと持ってきな!」
つい数日前まで「数千年の盟約」だの「精霊の調和」だのを厳かに語っていたエリート宮廷魔導士の面影は、もはや塵一つ残っていなかった。
エルミアは男勝りな豪快な笑みを浮かべ、ドワーフの荒くれ者たちと力強くジョッキを打ち合わせ、黄金色の酒を喉鳴らして煽っている。完全に現場の頼れる姉御肌だった。
サトウは、そんな賑やかすぎる下層の様子をルーフの上から静かに見下ろしながら、リノから受け取ったコーヒーを一口すすった。
ガツンと脳を揺さぶるような心地よい苦味が広がり、疲れた神経をじんわりと解きほぐしていく。
「リノ」
「はい?」
「今回の、大霊脈の回路修正における積算は、百点満点だ。イレギュラーだらけの現場だったが、お前のおかげで予算内に収まった。助かった」
サトウが、いつもの事務的なトーンを少しだけ緩め、ふっと優しく微笑んだ。
リノは一瞬、何を言われたのか分からないという風にきょとんとした。
だが、サトウの言葉の意味が脳に届いた瞬間、その白い頬を林檎のように真っ赤に染め、へへ、と照れくさそうに笑った。
「……へへ、サトウさんにそう言ってもらえるのが、私にとって一番です! 次の現場でも、もっと完璧に計算してみせますからね!」
張り詰めた、一歩間違えれば空中都市ごと全滅しかねない修羅場を共にくぐり抜けた、プロの相棒同士の温かい空気が、人工の青空の下で静かに流れていく。
「さてと。世界を滅ぼしかけてたハザード物件も綺麗に片付いたし、俺たちもボチボチ荷物をまとめて、次の現場でも探しに行くか」
サトウがコーヒーカップを置き、リノと共に工具箱の片付けを始めようとした、まさにその時だった。
「ハァ、ハァ……ハァッ……! ま、待ってくださいサトウさん、リノさんっ!! 行かせませんよっ!!」
遠くの連絡通路から、視界を遮るほどの大量の書類の束を抱えたニイナが、トレードマークの肩のラインでパツンと綺麗に切り揃えられた黒髪をなりふり構わず振り乱し、猛ダッシュで突っ込んできた。息は完全に絶え絶えで、白目を剥きかけており、過呼吸寸前というよりは既に半分過呼吸になっている。
ドンッ!!!
サトウの目の前、魔導トレーラーのフロントボンネットに、鉄板が歪むほどの凄まじい音を立てて叩きつけられたのは、最高級の羊皮紙に、見たこともないほど仰々しい王家の魔導刻印が押された分厚い書類の束――。
一番上に大きく書かれていたのは、
【国認可:サトウ工務店・特別営業許可証】
そしてその下には、
王都の一等地にある
【特大倉庫付き店舗の土地永久譲渡書】という、
とんでもない文字が躍っていた。
「おいおい、ニイナ。勝手に裏で何の段取り組んでやがんだ。俺たちは組織に縛られない、ただの野良の工務店だぞ」
「サトウさんたちの技術を、一過性の野良仕事で終わらせていいわけがないでしょうがぁぁ!!」
サトウの、いつもの「おいおい」的な制止を、ニイナは聞く耳持たずに凄まじい声量と気迫で遮った。
肩を激しく上下させ、額に青筋を浮かべながら、いつもの胃痛持ちでオドオドしていた彼女からは想像もつかないほどの、猛獣のような強い眼光で捲し立てる。
「いいですか!? 私はお城の謁見の間で、お偉い貴族や大臣たちが『野良の職人にそこまで出す必要はない』なーんてぬかした瞬間、脳の血管がブチ切れたんです! 『あの人が国内に店を持てば、我が国のインフラ寿命は百年、いや二百年は伸びます! 目先の予算をケチって国を物理的に滅ぼす気ですかこの無能どもが!』って、大演説をぶちかましてやりましたよ! もちろん、横でガタガタ震えてたダムス局長を肉盾にして、国王様の目の前にお手製の契約書を叩きつけて、無理やりハンコをもぎ取ってきました!!」
「……」
「それだけじゃありませんからね! サヴァル様の工房の跡地に残されていた、市場には絶対に出回らない超レアな最高級魔導廃材や特殊工具一式、重機のカスタムパーツから高出力の魔導溶接機まで、ぜーんぶ国の予算で全額買い上げて、その特大倉庫に強制搬送(納品)手続きを済ませておきましたからねっ!! 断るなんて絶対に許しませんからねっ!!」
「……お前、城の謁見の間で一体何やってんだ……。国家転覆罪で吊るされても文句言えないぞ……」
エルミアが、酒の入ったジョッキを持ったまま完全に引きつった顔で硬直している。
ドワーフたちも「あの嬢ちゃん、怒らせたら一番やべえな……」と引いていた。
さすがのサトウも、ニイナのこれまでにない怒涛の限界突破ぶりに呆れ顔を見せた。だが。
書類の束の数ページ目に書かれた「特大倉庫」の魅力的な設備仕様(24時間魔導力供給、大型クレーン完備、あらゆる廃材をストック可能な広さ)と、土地の破格の条件を目にした瞬間、唇が、職人としての欲望を抑えきれないように不敵にニヤリと吊り上がった。
「フッ……。おいリノ、どうやら俺たち、自分の店を持つらしいぞ」
「えっ?」
「というわけで、これだけデカい新店舗の、今後の複雑な経理作業と金庫番(財務大臣)は、全面的にお前に丸投げだ。国認可の予算だからな、計算のしがいがあるぞ。よろしく頼むわ」
「えぇぇーーーーっ!? サ、サトウさんっ!? 私、今までお弁当の材料の積算(買い出し)しかやったことないのに、いきなり国家規模の予算が動くお店の経理なんて、絶対に無理ですよぉぉぉ!!」
サトウの極めて軽快で容赦のない丸投げを受け、リノは長い耳を信じられない速度でピコピコ、烈しく上下に動かしながら大パニックに陥った。
どこまでも広がる青空の下、あまりの重責に頭を抱えてぐるぐる目を回しているリノと、してやったりとドヤ顔で胸を張るニイナ。
そして、「え、本当にこれから店をやるの!?」と驚きつつも、新しい「現場」の予感にどこか楽しそうなカレンとエルミア。
予期せぬ、しかしこれ以上ないほどに最高仕様の「一等地のオフィス(遊び場)」を手に入れてしまったサトウ工務店。
彼らの、より賑やかで、より規格外な第二期工事への幕開けを告げる大誤算の引きとともに、空中都市リフォーム工事は———完全無災害で、ここに竣工した。
(第二章 完)
第44話、楽しんでいただけましたでしょうか?
空中都市の安全を完全に確保し、現場の4S(後片付け)までやり遂げた一同。
リノちゃんの特製現場メシで無災害の祝杯を挙げる爽快な空気の中、息を切らせて乱入してきたニイナさんが持ってきた、まさかの国をも巻き込んだ規格外の「恩返し」……!
サトウ工務店らしい最高の節目となりました。
あの青空の下での達成感と、驚きの結末が皆様に少しでも上手くお届けできていましたでしょうか……?
そして、こちらの第45話をもちまして、『現代のスクラップ工場で培ったリユース技術が、異世界では神の権能でした』の第二章が完結となります!
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
この先の第三章に向けて、サトウたちの新たな現場の図面をじっくり引いていきたいのですが、少しプライベートの現場が忙しくなってしまいまして、ここでしばらくの期間、執筆のお休みをいただこうと思っております。
パワーアップして次の現場(更新)へ戻ってまいりますので、サトウ工務店の次なる挑戦をまた見届けてやるか!という方は、ぜひブックマークや評価を残したままお待ちいただけますと本当に励みになります。
四天王の皆様(ブクマ4名様)をはじめ、いつも支えてくださる皆様、本当にありがとうございます。
それでは、また次の現場でお会いしましょう。
それまで皆様、ご安全に!
明日はキララ




