第一章 目覚め その11「邂逅――そして、襲撃」
「はぁ~~~、今日は散々な1日だったな」
人通りの少ない住宅街を戦哉は疲れ切った顔で歩く。
柴崎との30秒勝負に勝ったことで即帰宅してよい権利を得た戦哉は、キレて追っかけてくる柴崎からの逃亡そのままに、笑いながら見ている楠木教師に向かい「それじゃぁ俺、帰りますんで、また!」と帰宅の意思だけを伝えそのまま全速力で帰路についた。
追っかけてきていた柴崎もさすがに学校を出るころには諦めていて、後ろをチラリと見れば、その足を止めてそれはもう物凄い眼光でこちらを睨みつけていた。
(どうにか、和解できないもんかねぇ~~)
歩きながら、そんなことを考える戦哉。
柴崎は戦哉にとって、やたらむやみにキレてくるやべぇー女、という恐怖の対象であることには違いない。しかしそれは同時に戦哉を恐れない珍しいタイプの人間である、ということも戦哉の中では強く印象づいていた。
戦哉の昔の事件を知るものなら、おおよその人間が彼を恐れ近づこうともしない。遠巻きに恐怖の感情を向けて、時たま暇つぶしの話題のネタに上げるくらいであろう。それが戦哉に対する普通の反応というものだ。
なので、そうゆう意味では柴崎の、あの隠すそぶりもなく真っ向から敵意を突きつけて向かってくる反応というのは戦哉にとってとても新鮮なものだった。彼女の普段の生活態度はとても真面目なもので、戦哉以外の人に対する人当たりも良い。決して誰かを傷つけたり、苦しめたりする人間ではない。彼女が原因で戦哉が感情に呑まれることは万が一にもないだろう。
可能なのであれば友好的な関係性になりたいのだが、
(まぁ、無理だろうなぁ~)
子供のような笑顔を浮かべる教師の顔が頭の中に浮かび、早々に諦める。
(にしても......)
「......ピンク、かぁ~......良いな」
もう日が沈んだ空に向かいつい呟いてしまう戦哉。
気持ち悪いと分かっていても、先ほど聞いた衝撃発言を頭の中で反芻してしまう。
これが男のどうしようもない性というものだろう。
思わず頭の中で、その姿を想像してしまいそうになる。
(いかん、いかん、欲にまみれすぎだ!もしこんな想像をしているのを本人に知られたら、今度こそ本気で殺される!エッチなのダメ!絶対!......でも)
頭の中に空手部部長同級生女子の、先ほどの赤くなった涙目の顔といつもの射殺すような敵意丸出しの顔が思い起こされる。
(......あれで、ピンクの履いてるって分かった途端、全部が全部物凄く可愛く思えてきてしまう。......不思議だ)
悶々と考えながら腕を組み、自宅までの道のりを歩く戦哉。
そんな時、ふと視界の端に何かが映る。
(うん?)
それは5メートルほど先から歩いてくる単なる1人の通行人の男性だった。
その見た目はボロボロの茶色のジャケットに、これまたボロボロの藍色のジーパン、明らか手入れのされていない髭と髪の毛はどちらもボウボウに伸びきって顔の輪郭を覆っている。
いかにもホームレスといった見た目の男性だった。
(珍しいなこんな時間に、他に通行人がいるなんて)
戦哉たちが住む、住宅街は不思議と人の通りが少ない。
日の沈んだこの時間に歩いている人など今まで見たことがなかった。
(まぁ、でもホームレスぐらい、いてもおかしくないか)
そう思い、戦哉は普通にその男性の隣を通り過ぎようとした。その時、
(あれ、この人、全く感情の波を感じない)
感じた違和感に男性に目線を向けた。
「う、うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「は?な、何ッ……!」
突然、男性がうなり声を発し、戦哉めがけて突進してきた。
間一髪で前方に飛び込みかわす戦哉。
男性は突っ込んだ勢いそのままコンクリートの塀に衝突した。
ガコンッ
鈍い音と共に、コンクリ―トの塀の衝突した部分が砕け落ちる。
あまりに信じられない光景に戦哉の頭は混乱し、視線がある場所に固定される。
それは破壊されたコンクリートの塀――などではなかった。
(な、なんだ、あれ?……傷?)
戦哉が視線を向けていたのは男性の背中。
その背中には男性が生きているのが不思議なくらい深く、大きな赤黒い3本の傷があった。
まるで大型の獣に引っかかれたような大きな傷。傷に合わせて破けているジャケットの部分が赤く染まっていることから古傷ではないことが分かる。
コンクリートに突っ込んだ男性がこちらを振り向く。
ぶつかったその額からは血を流し、目は白目を向いて見えているのかどうかさえ分からない。
(……ぞ!ゾンビ!!)
その顔を見て戦哉は咄嗟にそう思った。
急いで地面を立ち、大急ぎで走る。
(捕まったら、殺される!)
柴崎や不良達から逃げる時とは違う、明確な死を肌に感じながら必死に足を動かした。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
背後からはうなり声と追ってきている気配。
戦哉はどこを走って、どこに向かっているのかも、全く考えられないまま一心不乱に走り続けた。
次第に住宅街を抜け、大きな川にさしかかる大きな橋の上まで来た。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
橋の中盤あたりにまで来たところで息切れが限界を迎え、足が止まってしまう。
戦哉は手すりに手を着きながら背後を見る。
その目に血だらけで走ってくる男がしっかりと映っていた。
(……まッ、まずい!)
乱れる息の中、もう走れないと認識した戦哉は迫りくる男をしっかりと見据える。
うなり声をあげ、そのまま襲い掛かってくる、そう思われた男だったが、2メートルほど離れた位置で男は足を止めた。
(な、なんだ?)
訝しむ目で、立ちすくんだままの男を見据える戦哉。
すると、男は突然自分の顔を抑えながらもだえ苦しみ始めた。
「う、うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ」
先ほどよりも悲痛な様子で叫ぶ男に戦哉は何が何だかさっぱりだった。
「も、燃えてる?」
もだえ苦しむ男の背中から、火が上がっていることに戦哉は気づいた。正確には男の背中の傷口から。
しかも普通の火ではなく、その火は緑色に発火していた。
緑色の火が男の体を物凄いスピードで包み込んでいく、次第に男の体は1つの火だるまになった。
意味不明な出来事の連続に戦哉はその場から動けなくなってしまう。
(もう、何なんだよ、勘弁してくれよ……)
しかしまだ、意味不明な出来事は終わらない。
男の体を包んだ火はまるで自らの意思を持つように動き出し、男だった黒い塊から橋の中央へと形を変え、移動し始めた。
それをただ見つめるしかない戦哉。
火の形は次第にその大きさを増し、形をあるものへと変化させていく。
「はっはっはっは、おい、嘘だろ」
訳の分からなさにいよいよ笑いが零れてしまう戦哉。
その形には見覚えがあった。
四足歩行の威風堂々としたその姿。その見た目は畏怖という言葉をそのまま形にしたようで、自然界でその姿に出会ってしまえば逆らう気など微塵も起きず、死を受け入れてしまうことだろう。毛皮で覆われた巨大な体、一振りで命を削り取ってしまう力と鋭い爪を備えた強靭な手足、蛇のようにしなやかに動き回る尻尾、ひと睨みで相手の動きを封じる威圧感のあふれる目、そして何よりその見た目の恐ろしさと威厳を何よりも伝えてくるのは強靭な顎とそこから伸びる牙。
そこに現れたのは緑色に発光した巨大な虎だった。
その大きさは目算で、5メートルを有に超えている。
ギロリと動く2つの目が橋の手すりに追い込まれた戦哉を見つめる。
(もう、どうすりゃいいんだよ、こんなの?)
戦哉は正面に立ちはだかる巨大な虎を見つめ、その心を絶望に落とす。
「グガゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ」
静かな唸り声を発し、その強靭な腕を振り上げる虎。
目の前に死が迫る。
(……でも、どうせ、こんな意味不明なことで死ぬというのならッ)
戦哉は橋の手すりに背中を付けた。
虎の強靭な手が戦哉に向かい振り落ろされる。
(……最後まで、足掻いてやりゃァァァァァァァァァァァァ!!)
虎の手が振り落ろされるその瞬間に、手すりにその身を川に投げ出した。
グサッ (……ッ!!)
ボガァァァンン
左腕に強烈な痛みがはしる、ギリギリの所で虎の爪が掠めたらしい。その後に振り下ろされた虎の手が橋を砕く轟音が響く。
だが、直撃は免れた、戦哉の体は真っ逆さまに川に落ちていく。
「うわああああああああああああああああああああああああああああ」
ボシャァァァァンッ
戦哉の体が水中に落ちたのと同時に橋の瓦礫が川に落ちる。
幸い、戦哉に瓦礫が直撃することはなかった。
川の深さは10メートルほどで、落ちて地面に当たるようなこともなかった。
戦哉は大急ぎで水面に顔を出す。
この勝負、俺の勝利ッ!と、橋の上の虎を見る。
しかしそこにはさらに絶望の光景が広がっていた。
橋の上にいたはずの虎が空中に浮かんで、こちらを見据えていた。
そんなことあるはずないと、どれだけ否定しても目に映るありえない非現実。
(こんな水中で逃げ切れるわけがねぇ……)
もうダメだと、今度こそ顔を絶望に染める。
しかし、突然ここでも不思議なことが起こった。
『抹殺兵器 TAIGA 一般人と遊んでないで、至急私の元へと来なさい、今すぐにだ……その場所では......まずい』
頭の中に知らない声が響く。とても無機質な、なんの感情も籠っていないかのような声。
(なんだ、……これ?)
すると、こちらを睨んでいた虎の化け物が、方向を転換しどこかへと飛び去った。
(助かった……のか?)
訳が分からないことの連続にいまだ頭が混乱状態の戦哉。ひとまず虎が飛び去ったことに安堵する。
(はやく、陸に……戻らないと……)
戦哉は最後の力を振り絞り何とか泳いで岸まで戻る。
「ゲホッ、ゲホゲホッ……はぁはぁ、もうダメだ」
陸に上がったところで全身の力が抜ける。
(今日は、いろいろなことがありすぎて、疲れた……)
地面に寝転がり、空を仰ぐ。
体力が限界に達した戦哉の瞼は自然と重くなり、意識が遠のき始めた。
「......哉―!!、戦哉、どこだー!!」
(あね......き……?)
最後に遠くから聞きなれた声が響いてきたところで戦哉の意識は完全に途切れた。




