第一章 目覚め その9「空手部部長 柴崎愛花」
戦哉に向けられる、まるで射殺すような鋭い視線。
視線を放つ張本人である女子生徒は、黒く長い髪を風に靡かせて厳然と、夕陽の光をその身に受け佇んでいた。
「委員会の用事で、少し遅れて部に顔を出したと言うのに、武道場に先生の気配を感じないと思えば、やはりあなたでしたか、神崎。貴重な楠木先生の時間を奪いおって、恥を知れ!この痴れ者が」
女子生徒から放たれる言葉は、その視線と同じくとても鋭く、敵意丸出しのものだった。
彼女から放たれるあまりに強烈な感情と同じぐらい強烈な言葉に思わずのけ反ってしまう戦哉。
(いや、俺、この人に言われて居残りしてるだけだし......この人がここにいるのも、この人が勝手にこっちに来ただけだし)
事実無根のめちゃくちゃな言い分に戦哉は心の中で反論する。例え、口に出して言ったとしても、聞く耳をもってくれないことを戦哉は知っている。
彼女の名は、柴崎 愛花。
楠木教師が顧問を務める空手部の現部長であり、楠木教師に心酔している熱狂的な信者として学校内では有名な女子生徒であった。学年は戦哉と同じ3学年で、入学当初から何かと楠木教師に目をかけられている戦哉に対して、それはもう親の仇のような敵意を向けている。高校に入ってから、彼女とのトラブルは幾度と知れず、顔を合わせれば絶対に何かと攻撃を仕掛けてくる彼女に戦哉は苦手意識を超えた恐怖の対象という認識を抱いていた。
毎度のごとく、敵意をまるで隠そうともしない彼女の清々しい態度に顔が引きつり一周回って、思わず笑みが零れそうになる。
すると、すでに鋭く威圧感のあった彼女の目が、眉間の皺が深まりその目が見開かれることによってその威圧感を一段と強めた。
「貴様、何を笑っている‼」
その瞬間、怒りの感情のボルテージが一気に上がると同時に、光と影の境界線の向こう側に立っていた彼女が物凄い勢いでこちらに突っ込んできた。
戦哉の目の前に立ち止まり、構える。そこから繰り出されたのは顎を狙った上段突きだった。
物凄い風切り音を立てて、拳が下側から顔に向かい、迫りくる。
それを間一髪で首を後ろに逸らし、躱す戦哉。
顎スレスレで止まった拳の余波が顔面を打つように空気を揺らした。
首の流れそのままに、後ろに下がって柴崎から距離を取る。
(あっぶねーーーーーーーーーー‼)
戦哉は心臓をバクバクとさせながら額から落ちる汗を腕でぬぐった。
目線を前に向ければ上段突きの姿勢のまま止まる柴崎の姿があった。
「チッ、すばしっこい奴め、逃げだけは一流だな、腰抜けめ」
構えから元の姿勢に戻りながら舌打ちをして罵倒の言葉を吐く柴崎。
(もう、怖えぇよ、この女!だから嫌なんだよ、こいつと関わるの)
次の攻撃の可能性に備え、しっかりと柴崎を見据えながら内心ホトホトと涙を流す戦哉。
一触即発な雰囲気の2人の間に、横からパチパチと拍手の音が鳴る。
横を見れば今のやり取りを見た、当の楠木教師が関心した顔で拍手をしていた。
「なぁ、やっぱり半年だけでも空手部に入れ、神崎」
「嫌ですよ‼今の光景を見て、よくそんなことが言えましたね、あんた‼」
「楠木先生、ふざけるのはやめてください、神聖な武道場にこんな奴を入れるわけにはいかないです」
2人同時に猛反発を喰らう楠木教師。
「まぁそう言うなって、柴崎。どんな噂を聞いてこいつの事、毛嫌いしてるのかは知らんがそれは違うぞ。こいつは人のことを思いやれる、めちゃくちゃいい奴だ!多少、思いやりすぎて、めんどくさい奴になってしまっているぐらいにな」
そう言って満面の笑みで戦哉の肩をポンポンと叩く、楠木教師。
(誰がめんどくさい人間だ。それに俺がこの女に嫌われてる理由はほとんど、あんたが要因なんですけどね。現にほら......)
ポンポンと叩かれながら戦哉は、自分が叩かれるたびにふつふつと嫉妬の感情を高める女子生徒を見つめる。
柴崎の眼光がそれはもう、目からビームが出るんじゃないかってくらいすごいことになっていた。
「それに、お前の上段突きを躱せる奴なんてそうそういないだろ。部員たちの、特に格上のいないお前ら3年の練習相手にはもってこいだと思うんだが、こいつは」
「それこそふざけないでください、こんな武道の武の字も知らない素人相手に練習なんてなるわけないでしょう。さっきの突きにしたって、こいつが躱せたわけじゃありません。私が、当たらないように寸止めしたのです。素人相手に本気で攻撃を当てようとするわけがないじゃないですか」
(嘘つけ!!、あの感情の高ぶり方はマジで当てにきてただろ。拳からもしっかりと殺気みたいなものを感ました......というか、自分でさっき、逃げられたってマジの舌打ちしてただろうが!)
柴崎の言い分にちゃんと心の中で反論する戦哉。しかし、声には出さない。怖いから。
「そうか~?、なら……よしッ、思いついた。今からお前ら30秒間、一対一で勝負しろ!!」
そんな柴崎の言い分を聞いて、楠木教師は頭を悩ませた後、ポンッと手のひらに拳をうちつけてそう言い出した。
「「はい?」」
戦哉と柴崎の疑問の言葉が重なる。
「今から30秒間、私が作った一定範囲内のエリアの中で、柴崎は神崎に一撃でも攻撃を入れられたら勝利。神崎は柴崎の攻撃を30秒間躱し続けることが出来たら勝利の、ちょっとした勝負をやってもらう。そうすれば柴崎も神崎の実力を認めざるを得なくなるだろう」
腕を組みながら、自信満々にそんなことを言う楠木教師。
それに対して2人は、
「なんですか、その勝負!俺に30秒間、ボコボコにされ続けろと!! 嫌ですよ、そんなの、俺、絶対やりませんからね」
「私だって嫌です。こんな素人の男と、何故そのようなことを、何のメリットもありません、時間の無駄です」
満場一致の反対だった。
「まぁ待て、私の話を最後まで聴け。神崎、もしこの勝負にお前が勝てたら今日の居残りは免除だ。もう今すぐにでも家に帰っていいぞ。ただし、負ける、もしくは戦わずに柴崎に勝利を譲るのであれば、あと2時間、居残り延長だ。ちなみに拒否権はないぞ、お前に対する罰の権限は私が持ってるからな」
「なんじゃそりゃぁぁ!もうほぼ強制じゃねぇか、ふざけんな」
「まぁ、そう言うな、勝負に勝てばいいんだよ。そして柴崎、もしお前が勝てばこれから一週間、マンツーマンで私が直接指導してやる」
「やりましょう、今すぐやりましょう。ええ、私がこの男をすぐにでもボコボコにしてやります」
「......お前、ほんとに武道者か?」
あまりに簡単に私欲に流される柴崎を見て、つい言葉が漏れ出てしまう戦哉。
「何か言いましたか?このクソ男」
「いえ、なんでもありません」
もう光っているとしか思えないぐらい怒りに満ちた眼光を受け、戦哉は押し黙った。
「じゃあ、準備するからちょっと待ってなぁ」
そう言って楠木教師は校舎裏の草が生えてない土が露出したところに、持っていた鎌で円を描き始めた。
こうして、素人の神崎と現空手部部長の柴崎とで、30秒間だけのちょっとした勝負が校舎裏で行われることになった。




