王妃との対面
父が先に入場すると、室内には入口で控える二人の侍女と、アイシアとルーファスの二人になる。
「緊張してますか?」
アイシアは落ち着かない雰囲気のルーファスに問いかける。
「いや…。今からシアが兄上とのダンスで転ばないかを心配してる。」
「もう。ルーファス様まで…。」
プクッとすねたように口をとがらせるアイシアに、ルーファスはフッ笑う。
「大丈夫だよ、シア。本当はね、初めて兄上に会う時が一番緊張したんだ。だから今はそれほど緊張していないよ。」
「そうなのですか?」
「うん。王妃が立場的に僕を憎む気持ちもは理解できるし、王が僕に無関心でいたこともどうでもいいと思っている。でも、アイシアの婚約者の立場となった、血を分けた兄弟の存在は無視できなかった。アイシアが…印象を聞いた時に好意的だったから…。でも、会ってわかったよ。兄上は良い方だ。信頼できる方だと思っている…。」
どこか物憂げな様子のルーファスが、何となく寂しそうに見えた。
「ルー…」
コンコン
アイシアの声と同時にノックが聞こえ、入場の時間が来た。
「さぁ、姫君、お手をどうぞ。」
ルーファスが紳士らしく微笑んで腕を出す。
フフッと笑ってアイシアはその腕に手を添える。
「ありがとうございます、王子様。」
お互いに見つめあってニッコリ微笑むと軽く頷きその一歩を踏み出した。
「いくよ。」
ルーファスの声で扉をくぐると、ザワッと会場が騒がしくなり、同時に令嬢のうっとりとしたため息、そこかしこからつぶやきが聞こえる。
「まぁ、あの方が第二王子殿下。なんて素敵な方かしら…。」
「側妃であられた隣国の姫もとても美しい方だったそうですが、ルーファス殿下も本当に美しい方だわ。」
「後ろ盾のない、卑しい隣国の庶子が生んだ王子が立派になったもんだ。」
「まだ生きてらしたのか。」
「知らないのか、第二王子は今や魔術師団のジョゼット侯爵の後継と言われる素晴らしい魔術師だぞ。」
思った通りね。ルーファス様は注目の的だわ。
アイシアは聞こえてくる声を拾いながら、淑女らしい笑顔を見せる。
ルーファスもまた、入場と共に聞こえてくる声や視線を確認していた。
「あの美しい令嬢は今や聖女と謳われているジョゼット侯爵家のアイシア嬢だろ。噂以上に可憐だな…。ヴァンシル殿下の婚約者でなければ…」
「見てみろ。あの美しい瞳。なかなか公の場に出てこないと言われているが、侯爵が心配で隠していたのではないか。」
「この国の第一王子と第二王子、二人にすり寄るなんてなんて図々しい…。」
「確かに可愛らしいお顔をしてらっしゃるけれど、他の婚約者候補の方達より何が優ると言うのかしら。教会での慈善活動も、王家に取り入るための見せかけでしょう?」
窓際に紳士と話しながらこちらを見つめるジョゼット侯爵が見える。
アイシアとルーファスは連れ立って声をかけられるたび、立ち止まり、挨拶を交わす。
ルーファスはこの5年で身につけた知識でよどみなく返しながら、周囲に目を配る。
アイシアは僕を心配しているが、心配なのはアイシアの方だ。
僕の魔力は強く、主に戦闘に向く火や風、そして闇魔法があるから、そうやすやすと手を出すことは出来ない。逆にアイシアは聖魔法の力は強いが、なにかあった時に攻撃する術をもたない。
シールドは張れても、咄嗟の攻撃には対応出来ない。
アイシアに渡したネックレスとイヤリングには僕の魔法を付与しているが、全ての悪意に対応できるかといえば否だ。
ジョゼット侯爵も僕も、アイシアに隠しているが、この5年、何度も刺客が向けられているのだ。師団本部へ向かう馬車が狙われ、車輪に細工されていたことも一度や二度ではない。訓練中に襲われたこともあるが、そこは師団本部。団長である侯爵の指令の元、速やかに捕縛された。
捕まった罪人はその場で毒を飲んで死んだ。
屋敷全体には結界魔法を施しているが、外に出れば防ぎきれるものではない。
「アイシア様。この度はデビュタント、おめでとうございます。」
「ペネロペ様!ありがとうございます。まぁ…!いつもお美しいですけど、今日はため息が出るほどお美しいですわ。」
アイシアが感嘆の声を上げたその令嬢は、濡れたように艶やかに輝く黒髪を編み上げ、少し吊り上がった赤いルビーのような瞳と同じ赤い紅をひいた薄い黄色のドレスを着た美しい令嬢だ。
これが婚約者候補の一人、ペネロペ嬢。アイシアから一番よく話を聞く令嬢だ。
その横にいた背の高い同じ黒髪に赤い瞳のよく似た冷たい雰囲気を持つ男が兄上の補佐官で幼馴染でもある…
「ルーファス第二王子殿下、ご挨拶申し上げます。私はエリオット・ジルモア。ヴァンシル殿下の補佐官をしております。」
兄上も魔力が強いが、この男もかなりの魔力量を有している。
アイシアも気が付いたのか、ジッとエリオットを見つめている。
「あ、アイシア様は初めてよね。兄のエリオットよ。」
「初めまして、エリオット公爵令息様。アイシア・ジョゼットと申します。」
美しいカーテシーで挨拶をするアイシアを横目に、ルーファスもエリオットを体を向けた。
「エリオット公爵令息殿、兄上から話は聞いております。仕事が出来て頼りになると。」
それを聞いてエリオットは少し目を見開くと
「いえ、それはないでしょう。あの方は私の小言がうっとおしくてたまらないようですから。」
「はい。それも言っておりましたが、頼りになるとおっしゃっていたのも本当ですよ。」
「そうですか…。ありがとうございます。」
少し頬を緩めて嬉しそうに笑うエリオットに、アイシアも微笑まし気にニッコリ笑う。
その時、ヴァンシル殿下とクロエ嬢の入場の声が聞こえた。
会場がまたワッとざわめく。
白地に金の糸で肩から裾まで素晴らしい刺繍がなされた長いコートを羽織り、亜麻色の髪を後ろになでつけたヴァンシル殿下には圧倒的なオーラがある。背の高いヴァンシル殿下の横には、誇らしげに美しく微笑むクロエ嬢が、大きな琥珀のネックレスを見せつけながら姿勢よく立っている。
「クロエ様のあの勝ち誇った顔…。」
ぼそりと呟くペネロペの言葉にフッと笑うとアイシアはしげしげと二人を見つめた。
殿下は婚約者が一人に決まるまではドレス以外の身を飾るものは贈らないとおっしゃっていたわ。
きっとあの琥珀の美しいネックレスはヘリオット公爵家が用意したものなのね。
いえ、もしかすると王妃から…?
王太子妃教育が始まって以来、まだ私は王妃とお話をしたことがない。
遠目にお見かけしたことはあったけれど…。とても拍子抜けしたことは覚えている。
何かを仕掛けてくるのかと構えていたけれど、何事もないまま過ぎていた。
ただ、これ見よがしに、他の婚約者候補の三人を呼び、お茶会を開いていると聞く。
婚約者候補として選ばれたにも関わらず、アイシアはまだ、一度も王妃のお茶会に呼ばれたことがない。
他の三人の家へのご機嫌取りなのか、アイシアへの嫌がらせなのかはわからないが、アイシアは気にしないようにしていた。実際に呼ばれてもきっと構えてしまうだろうし、きっと、心配もさせてしまう。
そっと横にいるルーファスに視線を移すと、まっすぐとした視線でヴァンシル殿下を見ていた。
それにしてもさっきのは何だったのかしら。
チラリとペネロペの横に佇む綺麗な顔をした黒髪の青年を思う。
ルーファス様に近づいた時に、魔力が一瞬、黒く染まったように見えたのだ。
今のヴァンシル殿下を見つめる穏やかな様子には、凪いだ緑の草原のような優しい魔力が見える。
ペネロペとよく似た優しい魔力だ。
見間違いだったのかもしれない。
挨拶に集まる人たちをかき分け進みながら、ヴァンシル殿下がこちらに気付く。
「ルーファス!アイシア嬢、来たな。」
こちらをそっと睨みつけるクロエ嬢が気になりながらもアイシアは挨拶をする。
「呼んだのは兄上でしょう…。」
呆れたように表情を緩めるルーファスの様子に、周りの空気が変わった。
「ハハッ。ようやく一緒に公の場で会えたな。アイシア嬢も、ドレス、良く似合っている…。」
ルーファスに笑いかけた後、そのままアイシアに視線を移すと、ヴァンシルは目元を薄く染めた。
その視線が甘く感じて、思わずアイシアの頬も朱がさした。
「あ、ありがとうございます。ドレスもとても素敵で身に余る光栄です。」
「まぁ…ヴァンシル殿下とルーファス殿下は仲がよろしいのね…。」
「見て…太陽と月のよう…なんて美しいお二人なのかしら…。」
「お召しになられてる衣装も、白と黒でなんて素敵…。」
周りの令嬢がうっとりとため息を漏らす様子に、アイシアとペネロペは顔を見合わせた。
その後、王と王妃が入場すると、会場は急に静かになった。
皆が頭を下げ、二人が壇上の席に座すのを待つ。
「ルーファス、父上に挨拶に向かうぞ。」
ヴァンシル殿下が壇上へ向かう。
ルーファスはアイシアと共にヴァンシルの後に続いた。
ヴァンシル殿下が二人に挨拶をする様子を静かに観察する。
40代半ばの王、ランベルクは堂々とした偉丈夫で、未だ女性の視線を集める精悍な顔立ちをされている。王妃エリザベートも、年齢と共に美しさが増したように、妖艶な美しさを感じさせる。
ヴァンシルに続き挨拶をするクロエに、優し気な視線を向けている。
二人に続いてルーファスとアイシアが挨拶に一歩足を踏み出した。
王はゆっくりとルーファスと視線を合わせた。
「国王陛下にご挨拶申し上げます。ルーファス・フェイレイでございます。」
「アイシア・ジョゼットでございます。」
「うむ。ルーファス、お前の活躍は聞いている。これからもこの国のために努力を怠ることなきよう精進しなさい。近くで顔を見せてくれ…。 …アイリーンによく似ておるな…。」
表情を変えることない様子で口上を述べた後、少し切なげにルーファスを見つめた。
その後、小さく息を吐くと、王はアイシアへ視線を移した。
「アイシア嬢、あなたの事もよく聞いている。各地にある教会を回っているそうだな。
よくやってくれている。デビュタント、おめでとう。息子とのダンスを楽しみにしているよ。」
王へ頭を深く下げ、王妃の御前へ向かうと、赤く塗られた唇が弧を描いた。
「妃殿下にご挨拶申し上げます。」
「ルーファス、ようやく会えたわね。
ずっと心配していましたのよ。たとえ病気が良くなったと言っても、体が弱いことにはかわりないのだから、早くここに戻ってきなさい。私の息子の婚約者の家にいつまで居座るつもりなの?」
「ご心配、ありがとうございます。ですが私の体は既に完治しております。この国のためにしっかりと学ぶためには魔術師団の団長であるジョゼット侯爵の教えが必要ですので、まだしばらくは戻れません。お心遣いありがとうございます。」
ギリッと音がしたように感じ、アイシアも顔を上げた。
「アイシア嬢、あなたには期待しているのよ。息子もあなたを気に入っている様子。他の殿方と噂になるようなことは困ります。王太子妃となる自覚を持った行動をなさい。たとえば自分の立場をわきまえないような愚かな者と付き合うようなことはくれぐれも無きよう心に留めなさい。」
笑顔でアイシアを諭しながら、目は笑っていない。
その蛇のような美しい琥珀の瞳に、背筋がゾクリとする。
「ご忠告、感謝申し上げます。」
深く礼をすると、ルーファスとアイシアはその場を離れた。
振り向かずに二人で歩く背中には鋭い視線が刺さっていたーーー。




