第一王子とアイシアの始まり
それから一か月後。
王城の薔薇の庭園と呼ばれる美しい王家のみが使用できるガゼボに呼ばれ、ヴァンシル殿下と、陛下とエリザベート王妃、父であるジョゼット侯爵と共に顔合わせが行われた。
アイシアはいつものように、淑やかな令嬢の仮面を張り付けて終始にこやかに臨んだ。
ヴァンシル殿下の横で優雅に口元をほころばせて微笑んでらっしゃるエリザベート妃は、神秘的な琥珀の瞳で、こちらをゆっくりと観察しているように見えた。
侍女が選んでくれた、薄いレモン色のドレス姿で髪をハーフアップにしたアイシアは、まっすぐに王妃を見つめた。
この方が…。
エリザベート妃の周りには赤黒い光が見える。
禍々しさを感じる粘りつくような不安を感じる、そんな魔力の光。
隣国からも望まれたというほどの美貌と、魅力的な体を持つ、国内4大公爵家の令嬢だったエリザベート妃は3人の母親とは思えない程、その美しさを損ねることなく年を重ねたようだ。
「噂にたがわずとても可愛らしいお嬢さんですわね、ジョゼット侯爵。
貴方がなかなか頷いてくださらないから、うちの息子では足りないのかと思ってしまいましてよ。」
「いえ、まさか。そのようなことは…。ただ、我が娘には王太子殿下の婚約者は、いささか役不足だと。」
謙虚を装いつつ、王妃の真意を探るようにジョゼット侯爵は核心をつく。
「ヴァンシル王太子殿下にはすでに3名の婚約者候補の令嬢がいらっしゃるでしょう。
王太子妃教育も受けていらっしゃるし、3人の令嬢のどのお方も、王太子妃として不遜ない美しく聡明なご令嬢方と聞きおよんでおります。まさかただの侯爵家のわが娘にそのような光栄なお話を頂けるとは夢にも思わず、その真意はいかなるものかと考えあぐねております。」
「まぁ、ご謙遜を。アイシア嬢は聖魔法の使い手と聞いております。その年で魔法操作を完璧にし、我が娘も姉のように慕っております。王太子の婚約者として十分な資格はあるでしょう。それとも、まさかそちらで王族としての立場を理解することなく勝手気ままに過ごしいている第二王子の方がアイシア嬢に相応しいとでも?」
口元だけは微笑みを維持しながらも、全く笑っていない目でギロリとアイシアに視線を移す。
そんな様子を陛下は我関せずといった様子で見ていたが、ふと、声を上げたのはヴァンシル王太子殿下であった。
「母上、少し、アイシア嬢と二人でお話したいのですが、よろしいでしょうか。」
ピクリとエリザベート妃は反応すると、鷹揚に頷きニッコリと微笑んだ。
「そうね。将来の夫婦となるのですから、二人で散策していらっしゃい。」
「ありがとうございます。父上も良いでしょうか?」
「うむ、良いかな、ジョゼット侯爵よ。」
「は。アイシア、失礼のないように。」
まるで一連の流れのようにヴァンシル第一王子殿下と二人にされ、アイシアは少し緊張を滲ました表情で、はいと返事をした。
「いこうか、アイシア嬢。」
そっと手を出してエスコートをしてくれるヴァンシルはまっすぐにアイシアを見つめている。今まで気づかなかったけれど、こちらを伺うように見つめるその表情は、少し、ルーファスと似ている気がした。
半分とはいえ、血のつながった兄弟ですものね。
母親のエリザベート妃に似た美しい顔をしているが、ヴァンシルはそれよりも優し気だ。
そっとその手を取り、一緒に庭園へ足を向けた。
「何度かあなたとは挨拶を交わしたことがあるが、こうして話すのは初めてだね。」
美しいバラの咲く庭園の中央までエスコートされた後、おもむろにヴァンシル殿下がアイシアに目線を合わせた。
「はい。いつもはローズベリー王女殿下と共におりますゆえ、話す機会はありませんでしたね。あの…殿下は私のような身分の者があなた様の婚約者として名が上がったこと、どう思っていらっしゃいますか?」
エリザベート王妃の思惑は何となくわかっているものの、実際に婚約者としてあてられたヴァンシル王太子がこの話をどう思っているのかわからなかった。
まっすぐに見つめるエメラルドの瞳を見つめて、フッと小さく笑った。
「あなたはまっすぐだね。普通なら光栄ですだとか、嬉しそうに見せるのが正解だろう。なのに、困惑している様子を隠そうともしていない。
私も聞きたかった。…どこで、私の弟と出会ったのだ?」
「…え…?」
この、美しいエメラルドの瞳に、あいつは毎日映っているのか…。
ヴァンシルは目をそらすことなく、アイシアを見つめた。
「ルーファスと、いつ、どこで会ったのだ?」
アイシアはそのエリザベート王妃と同じ神秘的な金に近い琥珀の瞳を見上げてその真意を探る。
本当のことを言う?
でもこの方はエリザベート妃の息子で、兄とは言え、ルーファス様とは…。
でも、ヴァンシル殿下はエリザベート妃とは違うように感じる。
纏う魔力の光は清々しさを感じる空の色。魔力量も多く、14歳という年齢のわりに、背が高く、鍛えられているのか、細身ながらしっかりとした体つきで、正しい施政者の貫録を感じる。
「…どうしてですか…?」
伺うように眉を寄せると、ヴァンシルはフッとまた小さく笑った。
「ルーファスは体が弱くてずっと城から出ることはなかった。そのうえ、生まれた時から魔力が強すぎて制御出来ず、誰も近寄ることが出来なかったと聞いていた。それがある日魔術師団、団長であるジョゼット侯爵のもとで魔法を学んでいると言う。
あなたは魔力操作が幼い時から素晴らしく上手だったそうだね。ジョゼット侯爵が動いたのはあなたが何か関わっていると思うのは当然だろう。どこかで会ったのだろう?」
エリザベート王妃に探るように言われたわけではなさそうだ。
ヴァンシル殿下の個人的な疑問なのだろう。
「私は、ほとんど毎日のようにローズベリー王女殿下の元へ通っておりますが、『城』でルーファス殿下にお会いしたことは一度もございません。」
「そうだろうね。私は城に住んでいるのに、彼に会ったことも見たこともない。」
「それはなぜですか?」
どこか愁いをたたえたまっすぐな宝石のような瞳がヴァンシルをとらえる。
え…?
「なぜ、弟であるルーファス殿下に会ったことがないのですか?いえ、なぜ、会わないことを不思議に思わなかったのですか?」
なぜ…
ヴァンシルはふと、自分が今まで存在は知っているのに生まれてから一度も自分からルーファスに会いに行こうと思ったことがないことに初めて気づいた。
物心がついた時には腹違いの弟がいることは知っていた。
同じ母親から生まれた弟や妹とは普通の兄弟として一緒に食事をして生活していたのに、なぜ、腹違いの弟と会ったことがないことを、不思議に思ったこともなかったのか。
ただ、母親はとっくに亡くなり、本人も病弱なうえ、第二王子としても責務を果たすことなど到底出来ない出来損ないの厄介者だと、会う必要も気にする必要もないと聞かされていた。
そうだ。知っていたのに、そう言いつけられて育てられ、なんの疑問にも思わなかった。そう、思わされていた。
その事実に、気づいた瞬間、頭をガツンと殴られたような気がした。
未来の国王として教育され、自身もそうあるべきだと責任と誇りをもって生きてきたつもりだった。だから、その程度の存在であった弟が、自分の知らないところで気になっている令嬢と会っているという事実を不快に感じたのだ。
急に黙り込んで静止したヴァンシルの様子に、アイシアは気遣うように見上げた。
「お会いになりませんか?ルーファス第二王子殿下と。ヴァンシル殿下は、とても公正で聡明な方と感じました。きっとお二人は仲良くなれると思います。」
「それは、私を婚約者として、あなたの家に招待してもらったと考えてよいのだろうか?」
琥珀色の瞳をひどく揺らしながら、アイシアを伺う様子に、やっぱり、二人は似ている気がすると思った。
「あくまで4人目の婚約者候補として、でしたら、ぜひご招待させていただきます。」
「私では不足か。」
「いえ、まさか。そのようなこと、ありえるはずもございません。ただ、私は、私自身がヴァンシル王太子殿下に相応しいとはとても思えません。すでにいらっしゃる婚約者候補のご令嬢方は、とてもお美しくて社交も上手でいらっしゃる。でも私は社交が苦手ですし、美しくもありません。ただ、魔法操作や聖魔法が得意というだけです。」
すると心から驚いたようにヴァンシルが目を見開いたまま、アイシアを凝視している。
本気で言っているのか?
私は…これほど美しい少女は見たことがなかった。これほど美しい瞳も。婚約者候補の公爵家の令嬢達は洗練された美しい令嬢達だ。
でもこのアイシア嬢は…言葉に出来ないような眩さが、その瞳の揺るがない強さが美しいと思う。輝く金糸のような髪も、そのエメラルドの瞳も、もちろん美しいけど、それだけじゃない。今だって、この短い時間に話しただけで感じる、信頼できると感じる嘘のないまっすぐさ。以前、妹のローズベリーにアイシア嬢の何がよかったのかと尋ねたことがある。
友人候補なら他にたくさんいるだろう。何も4つも年上の侯爵家の令嬢を選ばなくてもと。
でも、ローズベリーは彼女が良いと言った。アイシアの心と目の前のアイシアが同じだと感じると。
当時まだ6歳だった幼いローズベリーでも、この王宮内でたくさんの人間と関わる中で、
上っ面の顔と本心が全く違う人間がうじゃうじゃいることを肌で感じていたのだろう。小さい時から警戒心が強く人見知りだったローズベリーが、たった一度会っただけのアイシアにとても懐いた。
最初は妹から近づいて、自分に近づく算段かと疑った。
だが、アイシア嬢はいつも自分には全く関心を示す様子もなく、会っても儀礼的な挨拶を交わせばすぐに去る。
何かを期待するような媚びた様子も見せることもない。
すぐに視線はどこかへいってしまう。
「ヴァンシル殿下?」
知らぬ間にジッと見つめてしまっていたようで、バツが悪そうに眼をそらす。
「いや…。また、わざわざ会いに行かずとも、そのうち会うこともあるだろう。
では、アイシア嬢、わたしの婚約者として、これからはよろしく頼む。」
琥珀色に輝く瞳がアイシアを映す。
「…、謹んで、婚約者候補の一人としてお受けいたします。よろしくお願い申し上げます。」
あくまで候補の一人を強調するアイシアにハハッと笑いが漏れる。
面白い。
「わかった。いつかあなたに望まれる王太子になれるよう精進する。」
それがアイシアとヴァンシルの関係の始まりとなった。
その日、侯爵家に帰ったアイシアは馬車から降りる時に差し出された手を見て笑ってしまった。
いつもなら帰っていないはずの時間。急ぎで帰ってきたのがわかる。
少し心配げに手を差し出すルーファスの様子に、そのキラキラ光る優しい魔力にホッとしたのは言うまでもない。
手を重ねる。握り返すルーファスから流れる温かい魔力に、好きだなぁと思った。
夕食後のお茶の時間に、ずっと気になる様子だったいつもは口数の少ないルーファス様の、質問攻撃に、アイシアは終始大丈夫と答えた。
どうだった?
兄上の事、どう思った?
王妃はどんな様子だったか?
婚約の話は進んだのか?
不安そうに揺れるアメジストの瞳に、ふと、琥珀色の瞳の揺れるヴァンシル殿下の表情が重なった。
「少し、ルーファス様に似ていると思いました。」
「え?僕と兄上が…似てる?」
「はい。顔や、もちろん、佇まいとか似てないですし、魔力が、ルーファス様はキラキラ虹色に輝く温かい光で…、ヴァンシル殿下は青い、澄んだ空みたいな光でした。でも、ふとした表情が…少しだけ似ていると感じました。あの方には、エリザベート妃のような禍々しさはなかったと思います。」
そう伝えると、何が気になったのか、ルーファス様は腑に落ちないような何とも言えない表情をして、何も言わず、いつものようにギュッと抱きしめてきた。
アイシアもいつものようにその背に手をまわすと、優しく癒しの魔法をかけた。
二人の間に流れる心地よい魔力に、ホッとする。
「守るよ、アイシア。絶対に。」
耳元から聞こえた声は、いつもより不安げだった。




