18
後頭部に腕が回され、陛下の鍛えられた胸に顔を預けるような体勢になった。鼻から陛下の匂いがいっぱいに広がって、クラクラしていた。
「俺は、お前があの時の子であったことを、嬉しく思っている。もう一度会えてよかった」
「陛下…」
頭を優しく撫でられる。誰かに頭を撫でられるなんて、すごく久しぶりだ。陛下に撫でられるのも、10年振り。陛下の手は、ゴツゴツしているのに、とても優しい。鼻がツンとする。そして、視界がどんどん滲んでいく。
「お前がここに来なければ、俺はお前に会うことはできなかった。だから、お前がずるいと思うその考えを、俺は嬉しく思う。ドルガに感謝をするのは癪にさわるから嫌だがな」
陛下が私の身体を離し、頬に手を当てて真剣な目で私を見つめた。親指で涙を拭われ、少しだけ視界がクリアになる。
「お前が俺に会いたいと思ったから、俺もお前に会えた。そうだろう?」
「…はい…」
「それでいい。お前が気にしていることなんて、どこかのアホがたてた仮説の陰謀論と比べたら塵のようなものだ」
「い、陰謀論?塵…ですか?」
なんだか怖い言葉が聞こえてきたような気がする。私を励ましてくれているような雰囲気だけれど、フレーズが怪しい。
「俺が何故お前の部屋に来るようになったのか、分かるか?」
「私が…ドルガ伯爵に良からぬ事をするよう命じられていると…お疑いになったからでしょうか?」
「大体合っている。こんな後宮の奥の誰の目にも付かない所で、ほとんど外と接触をせず、侍女は1人だけ、室内に入るものも限られ、衣類の洗濯すら外に出さない。疑わしいと言えばそうだろう」
「そう…ですね」
「まさかそれのほとんどが遠慮からきているなど、お前のことを知らない者は気付かない。だから、ディルはお前が何かを企んでいるのではないかと仮説をたてた。お前が、間者か…最悪暗殺者である可能性を含めて、な」
「それが、陰謀論なのですか?」
そうではないかと思っていたけれど、いざ本当に口にされるとポカンとしてしまう。私には間者となるような能力はないし、暗殺なんて更に無理なことだ。何より、栄養不足の棒っ切れのような身体を見て、最も良くない方の、暗殺者である可能性は早々に消されたはずだ。
間抜けな話だろうと言いながら、陛下の手は私から離れ、あ、と思った時にはすでに遅く、陛下は再び自身でお酒を注ぎ、喉を潤した。私の少しだけ伸ばした手は空を切り、ゆっくりと膝の上に落ちた。
所詮私に身についたマナーは付け焼き刃でしかなく、ティナのようにスムーズにかつ優雅にすることなど出来ないのだ。ティナに請えば色々と教えてくれるだろうか。暗殺者にはなれないけれど、お酒を注ぐことくらいできるようになりたい。
「ですが、その陰謀論は、完全否定できるものではないですよね?ドルガ伯爵は私を…その…陛下に近づけようとしたわけですし…」
「確かに、お前は俺に気に入られたわけだしな」
「あ…そ…うです…ね…」
自分で自分の首を絞めてしまったような気がするのは何故でしょう。陛下が面白そうにこちらを見て、頭を撫でてくるので、またも熱くなってしまった頬を押さえた。
ドキドキしっぱなしの心臓を落ち着かせようと、何度か少し深く呼吸をした。あまり変わらないけれど、少しだけ顔の熱が落ち着いた気がする。
陰謀論。そんな大それた疑いがかけられていたとはさすがに驚いたけれど、何をもって陰謀とするかで、変わるのではないかと思う。誰が、何をするために、何をしたのか。陛下は、私のずるさを嬉しく思うと言ってくださった。私は、それに甘えてもいいのだろうか。陛下の優しさに、甘えても、いいのだろうか。
少しだけ熱が下がった頬に当てていた手を、もう一度膝の上に下ろした。
「私は…自分で望んでドルガ伯爵の提案を受けました。陛下をこの目で見ることができたならと、そう思ったからです。ここにいることが私の望んだことだとするのなら、やはりこれは私の陰謀論になるのではないでしょうか?」
ゆっくりと、陛下の顔を見上げると、陛下は目を丸くしていた。こんな顔の陛下を見たのは初めてだと、どこか冷静に思う自分に驚く。
「それでも私は、ここにいていいのでしょうか…?」
陛下の言う陰謀論は否定された。けれど、私の陰謀論は、陛下達の予想したものではない。
「ははっ。お前は、面白いことも言えるようになったのだな」
「お、面白い…ですか?」
私がどんな面白いことを言ったというのか…それよりも、陛下が声を出して笑うだなんて、これも初めてのことだ。私はそこまで面白いことを言ってしまったのだろうか。不安で問いかけたはずなのに、笑われてしまって拍子抜けだ。
「面白い以外にないだろう。この後宮で、俺に会いたいと思っていない奴がいると思うか?ここにいて俺の存在を避けていたのなんて、お前だけだ。俺の寵を強請ってくるものが普通で、金やコネを使ってねじ込まれた娘だって何人もいる、そういうところだ。お前がそれを陰謀だというのなら、この後宮は陰謀で溢れかえっている。まぁ、それ以上の陰謀が渦巻いている、厄介なところでもあるしな」
声を出して笑うなんて何年振りだ。そう言いながら陛下はお酒を飲み干し、やはり私が手を伸ばすよりも早く、お酒をグラスに注いだ。
「お前のそれが陰謀論だというのなら、そしてそれを排除するというのなら、この後宮から令嬢は皆いなくなるということだ。分かるか」
「え…」
「お前に陰謀論なんかないということだ。お前がここを出ていかなければいけない事案は、何一つない」
「……」
「後はなんだ。気にしていることがあるのなら言ってみろ」
「陛下…?」
私の中に燻る物が、一つずつ消されているのだ。陛下はさっきまでの笑った表情を消し、真剣な瞳で私を見つめていた。
本来ならば陛下がする必要のないことを、わざわざしてくれている。私の中の不安を消し、私の気持ちを待ってくれている。それが分かって、また涙が溢れてきた。
「今、俺がここにいる時点で、もうお前はこの城から出ることは叶わない。公務や何か必要なことがあれば、護衛を伴って外出はできる。だが、帰る場所は絶対にここだ。お前はこの先一生ここで過ごすことになる。これはもう決定事項だ」
「はい。心得ております」
分かっていて、陛下の訪問を受け入れたのだから。私は自分で望んで、ここにいることを選んだのだから。
「俺は、お前の自由を奪った。そうしなければ、俺はお前と一緒にはいられないからな。だが、お前が気に病んでいることを消してやることはできる。お前が何かを我慢する必要はない。だから、言え。後は何を気にしている」
私は、自分でここにいることを望んだのに。陛下のそばにいることを望んだのに。私の、望みなのに。なのに、どうして陛下は、こんなに優しいの。
「わ、私は…」
思わず陛下から目をそらして、右肩を押さえた。
「やはり、これか」
ぎゅっと目をつぶり、うつむいた私の頭上から、陛下のため息が落ちてきて、反射的に身体が震えた。
「誤解するな。俺は気にしていないと言っただろう」
コンっとテーブルの上にグラスを置く音がする。次いで、陛下の大きな手が、私の左手に重なった。
「見せてみろ」
「そっ、それは…っ」
「見せろと言っている」
思わず顔を上げると、今までにないくらいの至近距離に陛下の顔があり、一気に心臓の音が跳ねた。
「……ですがっ」
陛下の手に力が入ったのは分かったけれど、その言葉に素直に従えず、私の手にも力が入った。
「意外と強情だな」
「えっ、きゃぁっ」
陛下の手が離れたと思った次の瞬間、私の身体は浮遊感に襲われた。
「へ、陛下…、何をっ」
「そこでいつまでも話していたところで、お前の緊張が解けることはないだろう。ならばここにいる意味はない」
陛下に抱き上げられたのだと分かり、混乱したが、すぐに柔らかいところに降ろされた。そこが寝台だと気づくのにそう時間はかからなかった。
「無理やり暴かれるのと、自ら晒すのと、お前はどちらを選ぶ」
グズグズで…すみません…。
もっとサクサク進みたいんですが…




