5.二人の少女 12
神殿への道をふわふわ飛んで行く灯り。
魔法の明かりを頼りに足を引きずりながら歩いているのはユレイオンだ。
さすがに昼間の無茶が尾を引いて、体のあちこちが痛い。その上、空手で戻る羽目になろうとは。
「くそっ、あのおてんば娘め」
食事の後は露店巡り、ピクニック、かけっこ、城壁登り、果ては闇の小路までのぞき見し、魔導師の怒りに触れてほうほうの体で逃げ出した。
あの老魔導師はおそらく黒魔術師だろう。しかも見た限りではサークレットもマントも身につけていなかった。
長に言うべきか。いや、そうなったらなぜそこにいたかを問われるだろう。それは避けなければならない。しかし放っておく訳にはいかないだろう。魔術師としての証を示さずに辻魔術師として営業しているならば、他の魔術師たちの営業妨害ともなる。
もう一度接触してみるべきだろうか。
機械的に足を動かしながら、ユレイオンの思考は余所に飛んでいた。
いや、そんなことよりもまず自分のすべきことがある。
あのバカを探し出すこと、それから書を取り戻すこと。
別れ際の少女とのやりとりを思い出す。
「だめよ、返せないわ」
少女はそう言って、手を差し伸べるユレイオンから隠すように魔法書を背に回した。
さんざん少女のわがままに振り回された上のこのセリフに、さすがのユレイオンも怒りが視界を染めた。
「何だと……」
「聞こえなかった? 返せない、と言ったのよ」
疲弊しきったユレイオンをあざ笑うように、唇の端をつり上げる。
「それでは……約束が違う」
これほどの苦労をしてまでもこの少女の言うままにしてきたのは、魔法書をこの手に取り戻すためだ。しかし、少女はそんな彼の忍耐を一笑に付した。
「あら、あたしはそんなこと、約束してないわよ」
「……貴様」
少女の腕をつかもうととっさに伸ばした腕は空を切り、少女は階の上にぽんと飛び乗った。
「イグレーンって呼んで。この本を返すとは一度も言わなかったわよ」
「何のつもりだ」
「別に。ただお兄さんが気に入っただけ。……そうねえ、明日も遊んでくれるなら、返してもいいわ」
「本当に?」
少女の態度の豹変に、ユレイオンは疑いを隠せなかった。
「明日も遊んでくれたらね。今日会ったところで明日も待ってるから。絶対来て」
「……いいだろう。その代わり、必ず魔法書を返すと約束してくれ」
「本当に疑り深い人ねえ! いいわ、約束してあげる。この魔法書に誓って」
イグレーンは魔法書に左手を載せた。その仕草は、魔術師たちが互いに誓いを交わすときの正式な手順だ。
「おまえ……一体何者だ」
小さな手に己の左手を乗せながら問うと、イグレーンはいたずらっぽく笑った。
「あたしはあたしよ。他の何者でもないわ」
そういった彼女の表情はとても楽しげだった。
そのまま彼女は姿を消し、自分はあろうことか筋肉痛に喘ぎながら神殿への道をたどっている。
こんなことになるんなら、あの時魔術を駆使してでも取り戻すべきであった、と後悔する。だが、それでもやはり気持ちのよい勝ち方ではない。
後悔に苛まれながら、ようやく神殿に帰り着いたのは夜半すぎだった。
すでに眠りに落ちているだろうと思っていた神殿は、燈明が焚かれ、不寝番が立っていた。
門では誰何されることなく通されたが、門番の緊張と焦りがこちらにまで伝わってきた。
まさか。
ユレイオンの脳裏に嫌なものが浮かぶ。
自分の失態がばれrたのか、それともあの少女が本を使って神殿に何かしでかしたのか、と肝を冷やす。
慌てて本殿に駆けつけると、正神官に混じって長老たちが何事か相談していた。
「長様」
「おお、ユレイオン。遅かったな。その様子ではたっぷり楽しんできたようじゃな」
ことさら平静を装おうとして痛みを押し隠したユレイオンだが、長の微笑みにそれが失敗に終わったことを悟った。と同時に、この騒動の中心が自分でないことを読み取る。
「遅くなってしまいまして、大変申し訳ありません。ところで、何事かあったのですか? この警戒ぶりは」
「何もなかったらこんな警戒態勢は敷かぬわ」
当然だ、と言いたげに火のラマカ師が忌々しげに吐き捨てた。
「太陽の神子が行方不明なんじゃよ」
非常事態に似合わぬのんびりした口調で横から口を出したのは風のスーラ師だったが、ユレイオンはその一言でことの重大さを理解した。
「誰かに連れ去られた、ということですか」
でなければこれほどの警戒態勢は取らないだろう。祭りの柱ともいうべき太陽の神子が誘拐されたのだ。
「先刻、神殿の抜け道を逆にたどってきた侵入者がつかまった。神官たちの宿舎にも何者かが立ち入った形跡があっての。物色した跡は残っておらなんだが。魔法の痕跡が残っておらんので、同業者ではなかろうがの」
「では、神子の身柄だけを狙ったものだと」
「まだわからぬ。が、単なる盗賊が何も物色せずに立ち去るはずはなかろう。となれば、そう考えるのが妥当じゃろうて」
少し離れたところから神官たちがこちらを伺っているのが見える。
「塔の魔術師がこんなについていながら、これほどの不祥事が起ころうとはのう」
地のエスター師のつぶやきに、他の重鎮たちも相槌を打った。神官たちも同じ思いなのだろう。刺すような視線が痛い。
「まさか神子を狙うとはのう」
「起こったことをあれこれ言うても仕方なかろう。まあ、神殿側にとって見れば都合がよかろうがの」
「ラマカ殿!」
塔長が言葉を遮った。
「都合?」
「いまさら言っても詮無いことじゃ。それよりも神子の行方を探すしかないの」
「神子の気配を追うてみるかえ? じゃが、魔術師や神官が集う街に出てしまっておれば難しかろう。金聖獣が降りておらぬ間はただの子どもと同じじゃ」
「神子が迂闊なことを言わねばよいがのう」
その一言に長老たちは黙りこんだ。話の流れが見えていないユレイオンは居心地の悪さを感じずにはいられなかった。




