第20話 監督生も、書かされていた
一覧は、二晩かかった。
六つの年から数え直すと、思い出せないものが多かった。屋敷のどの抽斗に何が入っていたかは覚えているのに、自分が何を書いたかは覚えていない。書いたものは、書いた端から自分のものではなくなるからだ。
二晩目の終わりに、三百七十一通まで書き出した。カトリーヌ様の数より、四十一少ない。足りないぶんが、どこかにある。三日目の朝、第七班の教室に行くと、マリウス様が待っていた。
机の上に、革の書類挟みが置かれている。分厚い。
「オルコット様」
「座ってくれ」
わたしは座った。教室には他に誰もいなかった。
「昨日、ドラクロワ様が学園長室にいらした。二度目だ」
その人は書類挟みの紐に手をかけた。
「取り下げの一筆が、今日までに出なければ、学士院への推挙名簿を十一名で確定させると仰った」
「そうですか」
「君は、出すのか」
わたしは答えなかった。
「――出さないな」
マリウス様は言った。
「出す人間は、その質問に一秒で答える」
その人は紐を解いた。中から出てきたのは、書簡と答案の束だった。厚みは、カトリーヌ様の束と同じくらいある。
「僕の記録だ」
「オルコット家は伯爵だが、実質は東部の三家の下働きをしている。祖父の代から、上の家の書き物を引き受けてきた」
わたしは束を見た。紙の縁が、どれも同じ方向に反っている。片手で押さえて、片手で書く人の癖だ。机が狭い場所で書いている人の紙は、こうなる。
いちばん上の一枚は、公爵家宛の陳情書だった。署名は、別の家の当主の名前になっている。字が、マリウス様の字だった。
「僕は十二から書いている。君より六年遅い」
その人は淡々と言った。
「学園に入ったのは、逃げるためだ。首席を取り続ければ、家は僕を書記係にしておけなくなる。そう思っていた」
マリウス様は束の中ほどから、一枚抜いた。
「これは去年のものだ。学園に入って三年目に、まだ書かされている」
わたしは顔を上げた。
「オルコット様。なぜ、これをわたくしに」
「君を告発したときの理由を、もう一度言う」
その人はわたしを見た。
「僕は、君が羨ましかった。だが、それだけじゃない」
声が、少し低くなった。
「僕は、君に潰れてほしかった」
教室が静かだった。窓の下の暖房管が、いちど小さく鳴った。
「君が規則の内側で自分の字を持って立っているのを見て、僕は自分が五年やってきたことが、ただの言い訳に見えた。家のせいだと思っていたことが、僕の選択に見えた」
マリウス様は束を机の真ん中に押し出した。
「だから、公開でやった。二百人の前で君が崩れれば、僕は自分に戻れると思った」
その人は少し笑った。笑い方が、下手だった。
「君は崩れなかった。それで、僕は自分の言い訳を失った」
わたしは束に手を伸ばして、いちばん上の一枚を取った。署名を見た。
「オルコット様。この署名は、あなたの字で書かれた他人の名前です」
「そうだ」
「これを出せば、あなたも文書法の対象になります」
「なる」
その人は即答した。
「首席の記録も消える。学士院の推挙も外れる。オルコット家は東部の三家に切られる」
「では、なぜ」
「君が一覧を作っていると聞いたからだ」
わたしは、そこで手を止めた。
「なぜ、それを」
「ボードワン嬢が言っていた。ヴァレンティ様が二晩寝ていない、何か書き出している、と」
あの子は、やはり全部見ている。
「君は、隠さない側に行こうとしている」
「僕は五年隠してきた。隠している人間が一人減れば、隠すことが少し難しくなる。君ひとりなら握り潰せるが、二人になれば、握り潰した側が説明を求められる」
その人は書類挟みを閉じた。
「僕の記録も出す。全部だ」
わたしは、しばらくその束を見ていた。
「オルコット様。ひとつ、うかがいます」
「なんだ」
「あなたの記録は、王宮の保管室にも写しがございますか」
「オルコット家は伯爵だ。格の上のものだけが残る。三十通ほどのはずだ」
わたしは、二晩ぶん足りなかった四十一という数字を思い出した。わたしの写しは四百十二通あって、わたしが数えられたのは三百七十一通。
差は四十一。
――わたしが書いていないものが、四十一通ある。
わたしはその可能性を、はじめてまともに考えた。母の字と、わたしの字は似ている。似ているというより、わたしが母の字を出発点にして、そこから姉の癖へ寄せて、また抜いた。抜いた先に残るのは、いちばん最初の形だ。
カトリーヌ様は「この見本と同一の手による」と言った。同一の手、とだけ。誰の手かは、言っていない。
「オルコット様。保管室の写しは、誰が照合したのでしょうか」
「女官長室だ。ドラクロワ様の下で」
「照合をなさったのは、ドラクロワ様ご自身ですか」
マリウス様が、そこではじめて眉を寄せた。
「――どうしてそれを訊く」
「四十一通、覚えがございません」
わたしは言った。
「わたくしが書いていないものが、わたくしの手として数えられております」
次話、中間発表。首席が決まります。




