表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
皇帝失格 〜帝国最強の監察官、腐った皇族を廃位する〜  作者: セルヴォア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/30

帝国の新秩序

皇太子派の判決から二月が過ぎた。

帝都の表通りには、また露店の声が戻っている。パン焼き窯の煙、馬車の車輪、鐘楼の音、朝市で値切る女たちの声。街はいつも、自分を壊しかけた政治より先に日常を取り戻そうとする。


だが、同じ日常ではなかった。


中央広場の掲示柱には、皇太子派の失格者名簿がまだ貼られている。

その横には、旧皇太子府契約の無効化、押収財産の補填先、旧排水区の井戸修繕計画が並んでいた。以前なら、貴族の処分は宮廷内で終わり、民は噂でしか知れなかった。今は、何が罪で、何が返還されたのかが文字になっている。


帝国の権力は、見える場所へ引きずり出され始めていた。


皇女宮の執務室で、アリシアは新しい人事案に目を通している。

皇帝候補となってから、彼女の仕事は華やかな謁見よりも、地味な調整に増えた。誰を残し、誰を外し、どの部署へ監察官を入れるか。署名一つで、味方だった者が敵に変わる。


「改革派貴族から、再考願いが七通」


侍女が告げる。


「内容は」


「旧皇太子府と関係の薄い家まで監察対象に含めるのは、支持基盤を損なうとのことです」


アリシアは書類を置いた。


「関係が薄いなら、監察を受ければ証明できるわ」


「そのように返答しますか」


「いいえ」


アリシアは筆を取る。


「返答ではなく、監察日程を送って」


侍女が一瞬だけ目を見開き、すぐに頭を下げた。


政治とは、味方を喜ばせる技術でもある。だが、味方を喜ばせることだけを覚えれば、いずれ兄と同じ場所へ落ちる。アリシアは、その恐怖を毎朝の署名で確認していた。


近衛騎士団の訓練場では、ラヴィニアが新編成の隊列を見ていた。

皇太子派に近かった騎士は外され、一部は監察を経て復帰し、一部は二度と剣を持てない立場になった。残った者の目にも、不安と緊張がある。


ラヴィニアは号令を出す。


「剣を掲げよ」


騎士たちが剣を上げる。


「誰に仕える」


以前なら、答えは皇太子か皇帝だった。

今は違う。


「帝国に」


声はまだ揃いきらない。

だが、そこに嘘は少なかった。


ラヴィニアは頷く。


「皇族も、監察官も、騎士も、その内側にいる。誓いの向きを間違えるな」


彼女自身に向けた言葉でもあった。


帝冠監察院の地下記録室では、シェリルが新しい任務系統図を見ていた。

《夜鴉》の古い契約名簿は黒く塗り潰され、その横に監察院直属の任務が書かれている。暗殺ではなく、証拠収集。脅迫ではなく、保護。消すためではなく、暴くための影。


部下の一人が不満げに言った。


「ぬるくなりましたね」


シェリルは顔を上げる。


「不満か」


「殺した方が早い相手もいます」


「早いだけだ」


彼女は任務書を閉じた。


「死体は喋らない。喋らないと、上まで届かない」


部下は黙った。

シェリルはその沈黙を確認し、次の任務名へ目を落とす。元老院周辺商会の資金移動。聖務庁外郭慈善院の不明支出。属州からの軍需品消失。


帝都の影は、むしろ濃くなっている。

光が差したせいで、奥の暗さが見えるようになっただけだ。


帝冠監察院の執務室で、レオンは各地から届く監察請求を分類していた。

皇太子派の残務、近衛再編、皇女派監察、商会不正、聖務庁の寄進金、東方軍の兵站記録、ザクセン属国からの密書。


ミラベルが束を置く。


「一日で処理する量ではありません」


「優先順位をつけます」


「休むという選択肢は」


「監察請求にはありません」


ミラベルはため息をついた。


「人間側にはあります」


レオンはその言葉に返答しなかった。

だが、少しだけ手を止める。皇帝との対話で言われた言葉が、まだ胸の底に残っている。順序という言葉で自分を許すな。止めるべきものを、帝国のためという名で先送りするな。


彼は次の書類を取る。

東方征伐軍の兵站報告だった。数字は整っている。整いすぎている。


「これは」


ミラベルが覗き込む。


「東方軍ですか」


「ええ」


レオンは報告書の端に監察印を押した。


「後で精査します」


同じ頃、皇城の別棟ではセドリック・ヴァルガストが軍務省から届いた報告書を読んでいた。

彼は皇太子派の壊滅を悼んでいない。兄の派閥は脆すぎた。血統を叫ぶだけで帝国を握れると思った時点で、敗北は決まっていた。


「アリシアは自派を削った」


側近が言う。


「弱体化と見るべきか、覚悟と見るべきか」


セドリックは窓の外を見た。

訓練場で、兵が槍を構えている。


「どちらでもいい。最後に帝国を動かすのは力だ」


彼は報告書を閉じる。


「東方軍との連絡を切らすな」


元老院議長邸では、グレゴリウスが茶を飲んでいた。

机上には招待状が並んでいる。宛先は、処分を免れた中立貴族、監察に怯える改革派、聖務庁の中堅官僚、商会連合の会計役。


夜会のような露骨な集まりは、もう開かない。

代わりに、私的な読書会、慈善会計の相談、地方救済基金の検討会。名目はいくらでもある。


「帝冠監察官は正面からは強い」


グレゴリウスは独り言のように言う。


「ならば、正面を作らねばよい」


筆先が、招待状の最後に署名を置いた。


帝都は確かに変わった。

だが、帝国全体が正されたわけではない。むしろ、腐敗は自分の形を変え、より深く、より巧みに潜ろうとしている。


夕方、中央広場で子どもが掲示柱を見上げていた。

失格者名簿の文字は読めない。ただ、母親が小さく言う。


「悪いことをした偉い人たちが、ちゃんと裁かれたんだよ」


子どもは頷く。

その理解は単純だ。だが、帝国にとっては新しかった。


権力者が裁かれる。

それを民が見て知る。


新しい秩序は、壮麗な布告よりも、そうした小さな認識の積み重ねから始まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ