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皇帝失格 〜帝国最強の監察官、腐った皇族を廃位する〜  作者: セルヴォア


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21/30

皇太子派の最後の抵抗

帝都南端の旧排水区は、昼でも薄暗い。

古い水路の上に商人長屋が建ち、さらにその上へ安宿と倉庫が継ぎ足されている。地図には道があるのに、実際に歩くと壁へ突き当たる場所も多い。逃げる者、隠れる者、消したい荷を運ぶ者には都合のいい区画だった。


シェリルは、濡れた屋根の上に片膝をつき、下の路地を見ていた。

雨は降っていない。だが旧排水区の石はいつも湿っている。匂いも悪い。貴族街の香水に慣れた者なら、半刻もいられないだろう。


「よくこんな場所を選ぶ」


ラヴィニアが低く言う。


シェリルは肩をすくめた。


「追い詰められた連中は、綺麗な場所より狭い場所を好む」


屋根の下、朽ちた染物屋の地下に、皇太子派最後の司令部がある。

《夜鴉》が三晩かけて見つけた場所だった。出入りした者は旧皇太子府の護衛、商会派の運び屋、元近衛の脱走者。持ち込まれた箱には武器と毒、そして儀式用の禁呪具が含まれている。


標的は二つ。

アリシアの布告式。

帝冠監察院の護送路。


皇女と監察官を同日に殺す計画だった。

復権ではない。秩序を壊し、誰が勝ったか分からない混乱を作るための最後の反乱だ。


地上の裏路地に、レオンが到着した。

執行吏、近衛、法務官補佐、そしてシェリル配下の影が、すでに水路の入口を囲んでいる。派手な軍勢ではない。狭い場所を制圧するために選ばれた少数だった。


レオンは地図を見た。


「入口は」


「正面が一つ。荷揚げ穴が二つ。水路への落とし口が一つ」


シェリルが答える。


「正面は罠。荷揚げ穴は逃走用。落とし口は、毒を流すためにも使える」


ラヴィニアが顔をしかめた。


「民家の下を通っているのか」


「旧排水区全体へ流せる」


沈黙が落ちる。

追い詰められた残党は、自分たちが逃げられなければ周囲の民ごと巻き込むつもりなのだ。


レオンは迷わない。


「水路を先に封じます」


「私が行く」


シェリルが言った。


「毒と逃走路は、こっちの仕事だ」


ラヴィニアは、短く頷いた。


「正面は私が受ける」


以前なら、その役割分担に刺があったかもしれない。

近衛騎士と暗殺者。光と影。だが今、二人のあいだにあるのは職能の違いだけだった。


レオンは降伏勧告の文書を執行吏へ渡す。


「読み上げ後、三十数えます。投降がなければ突入」


「殺害許可は」


若い執行吏が問う。


「最小限です」


レオンの声は冷たい。


「裁判に掛けるべき者を、怒りで減らすな」


その言葉に、ラヴィニアの背筋がわずかに伸びた。

戦うためではなく、裁くために制圧する。それが、ここ数日で彼女が学んだ新しい剣の使い方だった。


勧告が地下へ響く。


「帝冠監察院だ。武装解除し、地上へ出よ。抵抗を続ける場合、帝国秩序への武装反乱として制圧する」


返ってきたのは、矢だった。

錆びた鉄矢が壁に刺さり、油が弾ける。次いで地下の奥から笑い声が響いた。


「皇太子殿下は死んでいない!」


誰かが叫ぶ。


「血統は滅びない! 監察官と売女皇女を殺せ!」


ラヴィニアの目が冷える。


「突入」


レオンの声と同時に、正面扉が破られた。


狭い階段を、ラヴィニアは先頭で降りる。

盾役の騎士が二人、その後ろに続く。地下から放たれる矢を盾で受け、踏み込む。一段ごとに、湿った石と血の匂いが濃くなっていく。


最初の敵は、元近衛だった。

かつて同じ訓練場にいた男。ラヴィニアは顔を知っている。相手も彼女を見て、一瞬だけ唇を歪めた。


「裏切り者」


「違う」


ラヴィニアは剣を振るう。

刃ではなく柄で手首を砕き、膝を蹴って床へ沈める。


「私が遅すぎただけです」


そのまま踏み越えた。

情を掛けることと、手を緩めることは違う。彼女はようやく、それを身体で理解していた。


水路側では、シェリルが影のように動いていた。

荷揚げ穴から逃げようとした運び屋を、足首の腱を切らずに転ばせる。毒壺に火を付けようとした男の指を短剣の柄で潰す。殺す方が簡単だ。だが、今は証言が要る。


「殺すな」


彼女は配下へ短く命じる。


「喋る口は残せ」


水路の落とし口では、黒い壺が三つ並んでいた。

封蝋には皇太子府の古い印。中身は、水に溶ければ熱を持って広がる毒だった。流せば旧排水区の井戸が死ぬ。


シェリルは舌打ちした。


「貴族の最後が井戸毒か」


彼女は壺の封を逆に固定し、落とし口へ鉄鎖を掛ける。

その瞬間、背後から細い針が飛んだ。シェリルは首を傾けて避ける。針は石壁に刺さり、淡い煙を上げた。


「夜鴉の恥さらしが」


暗がりに、かつての部下がいた。

皇太子派へ買われた暗殺者。シェリルの顔を知り、彼女の過去を知っている男だ。


「飼い主を替えただけで、自由になったつもりか」


シェリルは短剣を構えた。


「違う」


彼女は低く言う。


「飼い主を持たないことにした」


刃が交わる。

暗殺者同士の戦いは、派手な音を立てない。足音、息、布の擦れ、短い金属音。最後に、シェリルの柄が相手の顎を打ち抜いた。


男が倒れる。


「縛れ」


配下が動く。

シェリルは水路の向こうへ目を向けた。かつてなら自分も、命令があれば同じ毒を流していただろう。その事実が胸を冷やす。だが、その冷たさはもう彼女を支配しない。


中枢室では、皇太子派の指導格バイロン伯が禁呪具の前に立っていた。

銀の冠を模した輪と、赤い宝石を埋め込んだ短剣。皇太子の血統を象徴する粗悪な祭具だ。


「近づくな!」


バイロン伯の声はひび割れている。


「血統は消えぬ。帝国は血で立つ。皇太子殿下が失格になろうと、血があれば戻せる!」


レオンが部屋へ入る。

ラヴィニアはすでに数人を制圧し、剣先を床へ向けていた。


「マクシミリアン・ヴァルガストは、皇太子権限を失っています」


レオンは言った。


「血統は、失われた権限を自動回復しません」


「黙れ!」


バイロン伯が短剣を自分の腕へ突き立てようとする。

血を禁呪具へ注ぎ、何かを起動するつもりだ。


ラヴィニアが動いた。

床を蹴り、間合いを潰し、短剣を弾く。刃は石床へ転がり、赤い宝石が砕けた。


「終わりです」


バイロン伯は床に倒れ、なお叫ぼうとした。

だがレオンが右手を上げる。


「帝冠監察、起動」


黒い文字が中枢室を満たす。

壁に隠された資金台帳、床下の連絡簿、毒壺の発注書、暗殺計画の標的名簿。すべてが浮かび上がる。


そして、別の封筒が現れた。

元老院議長邸の保護区画を示す略図。署名はない。だが仲介人の印が、夜会で逃げた資金管理役のものと一致している。


ミラベルが息を呑んだ。


「これなら、裁判で繋げられます」


レオンは頷く。


「皇太子派の武力線は、ここで終わりです」


ラヴィニアは床に膝をつく元近衛たちを見た。

彼らの中には、自分と同じように誓いを間違えた者もいる。だが、間違えた後に何を選ぶかで、人は別の場所へ行く。


剣を鞘へ戻す音が、地下室に鋭く響いた。


地上へ出ると、旧排水区の空は灰色だった。

民家の窓から、人々が恐る恐るこちらを見ている。誰も歓声を上げない。だが、井戸毒が止められたことを知った老女が、胸の前で小さく手を組んだ。


シェリルはそれを横目で見て、すぐに視線を逸らす。


レオンは押収書類を閉じた。


「最後の裁判を開きます」


その言葉に、ラヴィニアもシェリルも頷いた。

剣と影の仕事は終わった。次は、法の場で息の根を止める番だった。

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