その即位、認めない
玉座の間は祝賀の色で埋め尽くされていた。
白金の柱、黄金の天蓋、磨き抜かれた石床。帝国の中枢にふさわしい壮麗さだったが、第一皇女アリシア・ヴァルガストの目には、息苦しい檻にしか見えなかった。
玉座の右列に立つ彼女は、祝宴の灯りを一身に集めるような女だった。
腰まで流れる銀髪は細い光を編んだように艶めき、白い喉から肩へかけての線は、宝飾より先に視線を奪う。濃い青に紫を落とした瞳は冷たく澄んでいるのに、わずかに伏せられるだけで男の胸に触れる温度を隠していた。
皇女の礼装は身体の線を下品にならぬぎりぎりでなぞり、細い腰と豊かな胸元の対比をかえって際立たせている。
肌は雪のように白いが、生きた熱が薄絹の下に確かに息づいていた。遠目には近寄りがたい高嶺の花でありながら、ひとたび目を留めれば、その美しさのどこかに触れてみたいと思わせる危うさがあった。
赤い絨毯の中央を、兄マクシミリアンがゆっくりと進んでいく。
病に伏せた皇帝に代わり、帝冠を戴くための歩みだった。白装束の肩は誇らしげに張り、足取りには迷いがない。
アリシアは玉座の右列で姿勢を崩さなかった。
兄が冠を得れば、自分の居場所はさらに狭くなる。それでも顔に出せば、ここでは弱みになる。
玉座の下には近衛騎士団が並んでいた。
先頭に立つ副団長ラヴィニア・カルステンは、槍の穂先のように鋭く背を伸ばしている。式典を乱す者があれば、最初に動くのは彼女だろうとアリシアにも分かった。
式典官が宣言し、天蓋の機構が低く唸った。
黄金の王冠が持ち上がり、ゆっくりと兄の頭上へ降りていく。
その時、男の声が落ちた。
「その即位は認められません」
空気が止まった。
赤い絨毯の途中に、黒い礼装の男が立っていた。若い。黒髪を後ろへ流し、灰色の瞳には祝祭への畏れも、皇族への遠慮も見えない。
兄が振り返る。
「誰の差し金だ」
「帝国の意思です」
男は一歩前へ出た。
「帝冠監察官レオン・クロウヴァイス。これより即位資格の監察を執行する」
その名を聞いた瞬間、列席者たちのざわめきが質を変えた。
意味を知らない者は戸惑い、知っている者は顔色を失う。元老院議長グレゴリウスが目を細めたのを見て、アリシアはあの男の言葉が単なる乱心ではないと悟る。
兄は鼻で笑った。
「つまみ出せ」
近衛騎士団が剣へ手をかける。
ラヴィニアも半歩踏み出したが、その直後、レオンが右手を上げた。
「帝冠監察、起動」
音はなかった。
それでも玉座の間の全員が、空気の裏側が剥がれるような感覚を味わった。黒い光が床石を走り、柱と柱のあいだへ古い文字が浮かぶ。
兄の周囲に濁った線が絡みつく。
そこから、一通の密命書が姿を現した。皇太子府の封蝋、暗殺の指示、報酬の金額。見間違えようのない形で宙に晒される。
二通目はアリシアの名を記していた。
事故に見せかけた処理。担当者の名。失敗時の口封じ。喉の奥が冷え、指先から力が抜けそうになる。
さらに文書が重なった。
禁呪兵開発の予算流用、属州からの徴発名簿、聖務庁へ流した密金の記録。床の上へ投げ出されるように並ぶたび、列席者の息が浅くなる。
「偽造だ!」
兄の怒声が響いた。
「契約は偽造を受理しません」
レオンの声は低く、揺れない。
「帝冠契約が示すのは、貴殿が負った責務と、その逸脱だ」
アリシアは兄ではなく、近衛騎士団の列を見た。
ラヴィニアの剣先が止まっている。命令へ従おうとする身体と、足元に浮かぶ契約文字とのあいだで、彼女の肩がわずかに強張った。
「近衛騎士団!」
兄が叫ぶ。
「何をしている、そいつを斬れ!」
数人の騎士が前へ出ようとして、足を止めた。
黒い文字が足首に巻きつくように浮かび、不正な命令に動く身体を拒んでいる。剣の震えが石床へ細かく伝わった。
レオンは初めて兄を正面から見た。
「弁明の機会を差し上げます。何のために血を流させたのですか」
兄の口元が歪む。
「帝国のためだ。弱い者を残せば国は割れる。血統こそ秩序だ。最も濃い血を持つ私が座るのは当然だろう」
その言葉を聞いた瞬間、アリシアは背筋の奥まで冷えた。
兄にとって帝国は守るべき民ではなく、血を証明するための器でしかない。いままで曖昧に感じていたものが、ようやく輪郭を持った。
レオンが短く告げる。
「記録しました」
兄は懐から黒い宝珠を引き抜いた。
護符に見せかけた禁呪秘宝だった。砕けた瞬間、腐った黒霧が玉座の間へ爆ぜ、皇族席をめがけて牙のように伸びてくる。
アリシアは息を呑み、動けなかった。
黒い礼装の裾だけが、静かに揺れた。




