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  作者: しゅう


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光の子2

 スミリアン村の草原で猫を撫でていた柔らかな少年時代は、峻厳な現実の波音にかき消され、遠い光の記憶へと埋もれていった。成長とともに、ニコラ・テスラを包む世界は、より一層その色彩の暴力と音響の不協和音を強めていた。だが、本当の「戦場」は彼の外側にある社会ではなく、常に彼の内側に横たわっていた。


 十歳を過ぎる頃から、彼は奇妙な、そして恐るべき精神的変容に悩まされるようになった。それは、何らかの強い概念に触れたり、鮮烈な光景を目にしたりした瞬間に発動する、抗いがたい脳の「反乱」だった。彼の網膜の裏側に、本物と見紛うばかりの「映像」が突如として、暴力的な実体を持って現れるのである。

それは、単なる想像や甘美な追憶とは次元が異なっていた。例えば、「林檎」という言葉を誰かが口にする。あるいは、その赤い色彩を意識の片隅で捉える。すると、彼の目の前の空間に、皮の艶から微細な傷、表面に浮き出た瑞々しい蜜の重なりまでを伴った林檎が、強烈な閃光フラッシュを伴って浮かび上がるのだ。ニコラはその幻影を、現実の物体と同じように手で掴もうとし、何度も空を切る自分の指先に、吐き気を伴う絶望を覚えた。

この「光のフラッシュ」は、時に彼の視界すべてを奪い去った。教会の説教中、あるいは学校の教室で、無関係なイメージが現実を侵食し、目の前の光景を塗り替えてしまう。彼は自分の脳が、制御不能な情報の噴火口になったのではないかと恐れた。このままでは、自分は正気を失い、幻影の迷宮に閉じ込められたまま、魂が磨り潰されてしまうのではないか。少年ニコラは、底知れぬ孤独と恐怖に震えた。自分だけに降り注ぐこの銀河のような光の奔流。それは、当時の彼にとって、神の祝福などではなく、脳を焼き切る「不治の呪い」に他ならなかった。

だが、この精神の崩壊を食い止めるために彼が編み出した「治療法」こそが、後に世界を塗り替える天才性の苗床となったのである。


 彼は、脳内のイメージが勝手に暴れ出す前に、自らの意志で「別の場所」へ行くという知的修行を始めた。

彼は固く目を閉じ、意識の深淵へとダイブする。そこには、まだ地図にも載っていない国々、誰も見たことのない幾何学的な街並みが広がっていた。彼は脳内だけで国境を越え、異国の言葉を操り、架空の友人を作り、彼らと語り合い、そこで何ヶ月も生活した。このマインド・トラベルの間だけは、外から押し寄せる制御不能な幻視から逃れることができたのだ。

この脳内旅行の描写は驚くほど精緻だった。彼は訪れたこともないパリの路地裏の湿り気を感じ、石畳に染み込んだ雨の匂いを嗅ぎ、ウィーンのカフェで給仕が運ぶコーヒーの、焦げたような苦みを伴う湯気を眺めた。その都市の風土、住人の顔に刻まれた生きてきた証としての皺、夕暮れの空が深い群青へと溶けゆく刹那の色……。彼は現実の自分を寄宿舎の冷たいベッドに置いたまま、精神の本体をその「架空の地球」へと完全に転移させた。


「ここにいれば、僕は僕でいられる。誰も僕の脳を揺さぶることはできない」


昼間は村の少年として、あるいは寄宿学校の生徒として無愛想に歩きながら、彼の脳の半分は常に「別の次元の自分」として、見知らぬ都市の石畳を踏みしめていた。この二重生活は、彼に他人には決して理解できない「宇宙的な孤独」を強いたが、同時に彼の神経を極限まで研ぎ澄まし、三次元空間という名のキャンバスを自在に操作する能力を、人知を超えた領域へと押し上げていった。


 やがて、この逃避行は驚異的な「内なる実験室」へと進化を遂げる。

数年後、彼はその幻影を恐れるのをやめ、逆に徹底的に「支配」することを決意したのである。彼は自らの脳細胞を、世界で最も精密な、そして最も野心的な演算素子として再定義したのだ。

ニコラの頭の中に構築された「実験室」には、設計図も、計算機も、ペンも必要なかった。彼はただ、静かに目を閉じるだけでよかった。すると、暗闇の中から青白い幾何学の線条が走り、完璧な三次元の構造物が組み上がっていく。

彼は脳内で複雑な多相交流モーターを組み立て、部品の一つひとつを、まるで神が細胞を編むように精緻に削り出し、目に見えない磁界の渦を発生させた。そして、その機械を脳内で「動かし続ける」という、常人には狂気としか思えない行為に没頭した。


「三週間、このまま脳内で稼働させてみよう。一秒も休まずに」


彼は日常生活を送り、粗末な食事を口にし、退屈な授業を受けながらも、脳の片隅に置かれたその仮想の機械を、一秒も止めずに回転させ続けた。朝起きた瞬間も、冷たい水で顔を洗っている最中も、脳内の軸受は高速で回転し続け、目に見えない潤滑油が熱を持ち、金属同士が擦れ合う微かな、だが確かな振動が彼の神経系に絶え間なくフィードバックされた。

三週間後、彼は再び意識の実験室の最深部に戻り、その機械を精神の指先でバラバラに分解する。すると、どのネジが数ミクロン緩み、どの軸受が摩擦熱で摩耗し、どの銅線が磁気の偏りによって劣化しているかが、生身の感触を伴って理解できた。

現実の物質で試作する必要など、彼には一度もなかった。現実の試作は、材料の不純物や加工の誤差、重力というノイズに振り回される「不完全な妥協」でしかない。それに引き換え、彼の脳内シミュレーションは、純粋な物理法則そのものを演算子として用いるため、因果律を一歩も踏み外すことなく、未来に起こるべき結果を完璧に弾き出していた。


 しかし、この異能は彼をさらなる暗い孤独へと突き落とした。

グラーツの技術学校。物理の授業中、彼は教師が示す「直流モーター」の図面に、耐え難い生理的嫌悪を覚えた。それは、火花を散らしながら無理やり回転の方向を繋ぎ合わせる、あまりにいびつで前時代的な、エネルギーに対する「冒涜」に見えた。

「先生、ブラシと交換機を取り払うべきです。電気はもっと、円を描く波のように、自然の呼吸のように巡るべきだ。無理やり火花を散らして方向を変えるのは、不自然極まりない。それは、川の流れを無理やり堰き止めて逆流させるような醜悪な行為です」

若きニコラの情熱的な、だが傲慢とも取れる指摘に対し、物理学の権威であったペシュル教授は、学生たちの前で冷淡な嘲笑を投げかけた。

「テスラ君、君の空想は物理学ではない。不可能を論じるのは時間の無駄だ。永久機関を作ろうとする狂人や、錬金術師と変わらんよ。直流こそが唯一の現実だ。それを認められないのなら、君に工学を学ぶ資格はない」

嘲笑の渦の中で、ニコラは独り、脳内で青白く回転する「まだこの世に存在しない多相交流システム」を見つめていた。凡庸な大人たちの目には、目の前にある黒板の数式こそが不動の現実であり、ニコラが見ている「未来の光」は、ただの病的な幻覚、あるいは若さゆえの無知な妄想に過ぎなかった。


 彼は図書室に逃げ込み、デカルトやヴォルテールの著作を貪るように読んだ。「人間とは、複雑な自動機械である」という思想。それは、自分の過剰な感覚に苦しむ彼にとって、唯一の救いだった。自分を一個の「自動機械」として再定義すれば、この苦しみも、幻視も、すべては外部からの刺激に対する回路の「反応」として処理できる。


「自分に見えている真実の世界は、他人には決して届かない。僕が真理を掴めば掴むほど、僕は人間たちの群れから遠ざかっていく。僕は、宇宙の孤独を背負わされた機械なのだ」


この自覚は、彼に深い絶望を与えると同時に、選ばれし者としての、氷のように冷徹な誇りをもたらした。


 夜、寄宿舎の冷たいベッドの中で、彼は自分の神経系を流れる微かな電流の音を聴いていた。それは、かつてスミリアンの森でマチャクの背中を撫でたときに聞いた、あのパチパチという音と同じ周波数、同じ波長だった。

そして、何よりも彼を追い詰め、その精神を極限まで研ぎ澄ませたのは、兄デーンの不慮の死の記憶だった。美しく、聡明で、家族の期待を一身に背負っていた完璧な兄。その兄を失った後、両親の瞳の奥に、ニコラを愛しながらも「ニコラではなく、デーンが生きていれば」という無意識の絶望と祈りを見てしまうたび、彼の内なる銀河は激しく明滅し、崩壊の危機に晒された。

 

 ある夜、彼は自室で兄の幻影を見た。デーンは何も語らず、ただ悲しげな瞳でニコラを見つめていた。ニコラはその影に向かって叫ぼうとしたが、喉が引き攣れて声が出ない。その時、デーンの身体が青白い火花の霧となって霧散し、そのまま複雑な幾何学模様へと再構築されるのを見た。

兄の死さえも、彼の脳内では「エネルギーの変換」として処理された。兄の不在が心に空けた巨大な空洞を埋めるためには、彼は誰よりも完璧で、誰よりも神に近い存在にならなければならなかった。彼の幻視は、その空洞を埋めるための代償として、より鋭く、より冷徹な、非人間的なまでの輝きを帯びていった。

自分は、死んだ兄の代わりにならなければならない。いや、兄さえも到達できなかった、光そのものの領域へ、この目に見えない梯子を登っていかなければならないのだ。

自分という存在は、もはや温かい血の通った単なる肉体ではない。

宇宙という巨大な情報源から絶え間なく流れ込んでくる莫大な「奔流」を、一分の狂いもない形へと変換し、この暗闇の世界へと還元するための、孤独な変電所なのだ。

 

 彼は自らの内に広がる無限の銀河を、恐怖ではなく、深い愛おしみを持って見つめ直した。

そこには、まだ見ぬ巨大な機械の唸り声と、世界中を昼間のように照らし出す、交流という名の光の予兆が、静かな放電を繰り返しながら待機していた。

幻視を調律し、混沌を数式へと変える。

学校の試験では常に最高得点を叩き出し、教授たちを戦慄させながらも、彼は誰とも心を通わせることはなかった。彼の友は、脳内の実験室で回り続けるモーターと、計算機の中にある数字だけだった。


 少年から青年へと脱皮しようとするニコラ・テスラの内で、全人類の歴史を塗り替える「第二の目覚め」が、冷たく澄んだ火花を散らしながら、今、完全に定着しようとしていた。

彼は確信していた。いずれ、この脳内の青写真を現実の世界へと一気に転写する日が来る。その時、世界は初めて、彼がずっと一人で見続けてきた「本当の光」の意味を知ることになる。

暗闇の中でニコラがそっと指先を動かすと、目には見えないはずの電磁的な火花が、彼にだけは確かに、黄金色の未来の輪郭を描いて見せていたのである。

それは、孤高の天才が、宇宙の毛皮から剥ぎ取った最初の一片の真理だった。

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