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  作者: しゅう


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かぐや姫1

その星域には、もはや「名前」を呼ぶべき者が一人も残っていなかった。

全天で最も気高く、そして最も残酷なまでに美しく輝く一等星、ベガ。地球の人間たちが「織姫」と呼び、清廉な愛や再会の象徴として見上げるその青白い光の源こそが、彼らの母星であった。しかし、その輝きの裏側で、惑星の寿命という無慈悲な砂時計はすでに最後のひと粒を落とそうとしていた。

かつての母星、惑星ヴェガ・プライムは、文字通り光の都であった。地表を覆う結晶化された海は、主星ベガが放つ青白い放射線を浴びて虹色のプリズムを放ち、大気は常に音楽のような微細な振動を奏でていた。ヴェガの民にとって、光とは視覚情報ではなく、生命の糧そのものであった。彼らは皮膚を通して主星の拍動を感じ取り、その知性は銀河の果てまで届くほどに研ぎ澄まされていた。彼らは宇宙の法則を数式ではなく、光の旋律の重なりとして理解し、物質さえも音の共鳴によって意のままに操る術を持っていた。


都市は空中に浮遊する巨大な共鳴体であり、ヴェガの民は肉体という重い殻を脱ぎ捨て、半ば純粋なエネルギー体として、この世の春を永遠に謳歌するかのように見えた。

しかし、その絶頂は、同時に破滅への序曲でもあった。主星ベガはあまりにも巨大なエネルギーを放ちすぎたのだ。恒星としての寿命を急速に使い果たしたベガは、その中心部で、逃れられぬ重力崩壊を始めた。

崩壊の兆しは、まず「音」として現れた。

何万年もの間、世界を包んでいた心地よい共鳴が、ある日を境に不協和音へと転じたのだ。空を彩っていた清廉な青い光が、血のようにどろりとした深紅に変色し、結晶の海は内側から沸騰し始めた。かつて慈愛に満ちていた光は、あらゆる細胞の結合を断ち切る暴力的な放射線の嵐へと豹変した。

空に浮かぶ都市を支えていた重力制御装置は、狂った主星が放つ磁場に攪乱され、次々と悲鳴を上げて砕け散った。白銀の塔は重力に引かれて地表へと墜落し、数千年の知の集積は、一瞬にして光り輝く瓦礫の山へと成り果てた。

ヴェガの民が見上げた空には、膨張し、歪んだベガが、天の半分を覆う巨大な「死の眼」のように居座っていた。それは、美しさが極限に達した末に発せられる、宇宙で最も醜悪な咆哮であった。


「神が、我らを喰らおうとしている」

地表の温度は瞬く間に数千度に達し、大気はプラズマの炎となってすべてを焼き尽くした。誇り高き民は、逃げ場のない灼熱の檻の中で、その魂が蒸発していくのをただ見守るしかなかった。親が子を抱き寄せる暇もなく、愛し合う者たちが最期の口づけを交わす瞬間にさえ、ベガの炎は無慈悲にその輪郭を奪い去った。


「これが、最後の種子となる」

崩壊しゆく地表から、最後の一隻として発進した巨大な移民船の格納庫。冷徹な警告音が鳴り響く中で、年老いた指導者が、透明な棺を見つめて呟いた。

指導者の身体はすでに、ベガの異常放射によって半ば結晶化し、物質としての柔軟性を完全に失っていた。彼ら大人の世代には、もはや未知の新天地へ辿り着き、そこで新たな生命として根を張るための「変容の力」は残されていない。あまりにも高度に完成されすぎた彼らの知性と肉体は、これから向かうべき原始的な惑星の過酷な環境においては、石のように硬く、そして脆い存在でしかなかった。

そこで彼らが選んだのは、まだ魂の形が定まっていない、純粋な生命体としての三人の子供たちだった。

生命イノチ」とは、未完成であればあるほど、未知の理に染まり、自らを作り変える「自由な創造」の余地を持つ。

「この子たちの脳細胞の深淵には、我が星系の記憶のすべて、数千億の魂が紡いだ知恵を封じ込めた。だが、その記録は、彼らが新しい地で『自分』という確固たる意志を確立するその日まで、決して開いてはならない。それは呪いではなく、彼らがその星の生命として、真に新たな一生を生き抜くための、我ら死にゆく者が遺せる唯一の慈しみだ」

中心にある透明な円筒形のポッドの中には、三人の子供たちが深い冬眠に就かされていた。その肌は月の光よりもなお白く、静かに閉じた瞼の裏では、まだ見ぬ異郷への夢さえも、極低温の液体の中で凍結されている。

彼らは、母星の文明のすべてを背負った「生きた図書館」であり、同時に、親も家も、帰るべき空さえも失った、宇宙で最も孤独な漂流者であった。


「主機関、最大出力。時空を穿て」

その指令と共に、崩壊を待つ惑星の引力を力技で引き千切り、銀色の巨躯が虚空へと躍り出た。

背後では、ベガの炎に焼かれた母星が、最後の断末魔のように青白い閃光を放った。それは美しい最期の輝きなどではなく、すべてを無に帰すための暴力的な光の噴出だった。惑星は吸い込まれるように黒穴へと消え、そこにはただ、冷たい宇宙の沈黙だけが残された。

船内に残った大人たちは、加速する船の慣性の中で、自分たちの身体が徐々に光の粒子へと分解されていくのを感じていた。彼らの肉体はもはや、この船を「約束の地」へと送り届けるための燃料に過ぎない。彼らは一人、また一人と、自らの意識を船のシステムへと同期させ、宇宙の背景放射の一部へと溶けていった。

宇宙船は、暗黒の海を滑るように進んだ。

何万年、あるいは何億年という時間が、空間の歪みの狭間で圧縮され、あるいは引き伸ばされていく。

船の自動操縦システムは、前方の空間を極小の次元にまで解きほぐし、エネルギーの最短経路を算出しては、虚無を跳び越えるワープ航法を繰り返した。その航跡は、漆黒のベルベットに描かれた、細く鋭い銀の糸のようだった。

船内の静寂は、死よりも深く、重い。ただ、子供たちが眠るポッドの駆動音だけが、心臓の鼓動のように一定の律動を刻み続けていた。


やがて、気の遠くなるような時間の果てに、前方に一つの、小さな、だが圧倒的な「青」を湛えた惑星が見えてくる。

その惑星は、周囲に生命の気配を濃厚に漂わせ、原始的ながらも、この上なく力強いエネルギーの脈動を放っていた。太陽系第三惑星、地球。

「目標確認。……重力異常なし。地磁気、許容範囲内。……しかし、大気の組成、および紫外線の波長が、我ら第一世代の身体には致命的である。直接の入植は、子供たちの細胞崩壊を招くと判断」

船の人工知能が、冷徹なまでの正確さで計算結果を弾き出した。

そのまま地表に降り立てば、子供たちの脆弱な生命維持システムは、地球という星のあまりにも荒々しい生命力に飲み込まれ、内側から破壊されてしまうだろう。

「適応のための猶予が必要だ。彼らの肉体を、数代の時間をかけて、この星の理に慣らさねばならない」

船は、地球の周囲を回る、ただ一つの衛星――「月」へと進路を取った。


そこは、大気も水もない、死の静寂に支配された岩石の塊である。しかし、それゆえに、外部からの予測不能な干渉を受けることなく、極秘裏に拠点を築き、観測を続けるにはこれ以上ない場所であった。

月は、地球という「生命の実験場」を常に等距離で見守り続ける、静かなる監視塔となるはずだった。

「ここで、彼らを育てる。彼らがこの星の言葉を、この星の四季の移ろいを、そして自分たちが何者であり、どのような宿命を背負っているのかを、その魂の深層で理解するその日まで」

月面のクレーターの影、永遠の闇が支配する場所に、巨大なドーム状の拠点が構築された。

銀色の船体は、月のレゴリスの下に深く潜り込み、周囲の冷たい岩石と同化した。

遥か琴座、織姫星から来た旅人たちは、ここに一時的な、だが数千年にも及ぶであろう「定着」を見たのである。

それは、新しい文明の夜明けを待つ、あまりにも長く、そしてあまりにも静かな前夜の始まりだった。


冬眠ポッドの中で、一人の少女が、微かに指先を動かした。

彼女の名前は、まだない。

ただ、彼女の脳裏には、母星ヴェガ・プライムで最後に見た、あの燃え盛る青い炎と、同時に奏でられていた鎮魂歌のような振動が、消えぬエコーとなって響き続けていた。

 

その頃、眼下の地球では、まだ火を操ることさえ知らぬ人間たちが、夜空に浮かぶ不自然に輝く月を見上げて、未知の恐怖と、説明のつかぬ憧憬に震えていた。

月面拠点の奥深く、高度なホログラムが映し出すのは、地球の青い海を渡る風のデータ、そして緑の森が放つ生命の残り香。

宇宙から来た「種子」たちは、その冷たい岩石の揺り籠の中で、自らが「人間」と呼ばれる存在へと作り変えられ、その大地を踏みしめる時を、静かに、ただ静かに待ち続けていた。

だが、彼らはまだ知らなかった。

宇宙には、自分たちの平和な営みを許さない、暴力的なまでの「偶然」が満ち溢れていることを。

この月面という安全圏でさえ、無慈悲な宇宙の崩壊からは逃れられないことを。

読んでいただきありがとうございます。

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