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  作者: しゅう


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覚信尼1

登場人物紹介

覚信尼かくしんに

親鸞の末娘。京都・大谷おおたにの地で、亡き父の廟堂びょうどうを守る。母・恵信尼からの遺言ともいえる手紙を受け取り、一族の真実と「生命の継続」の理に触れていく。

恵信尼えしんに

親鸞の妻であり、覚信尼の母。越後えちごの荒野で泥にまみれ、家族の「生存」を支え抜いた強靭な女性。死の間際、娘へ向けて一族の慟哭と救済を綴った手紙を遺す。

親鸞しんらん

覚信尼の父。浄土真宗の宗祖。朝廷により僧籍を剥奪され、藤井善信ふじいのよしざねとして越後へ流される。極限の生活の中で「他力本願」の本質を見出すが、後に息子を義絶するという苦渋の決断を下す。

善鸞ぜんらん

覚信尼の兄(親鸞の長男)。父の名代として東国へ向かうが、独自の教えを説き混乱を招いたとして、父から「義絶ぎぜつ」を言い渡される。一族の「断絶」の象徴となる悲劇の息子。

最後の手紙を手に取った。

母が亡くなったと知らせと共に届いた手紙。



文永元年(一二六四年)、京都。

東山の大谷の地は、晩秋の湿った風が杉の木立を揺らす音に満ちていた。空は低く垂れ込め、墨を流したような雲が比叡の山並みを重く覆っている。かつて父、親鸞がその生涯を閉じたこの地で、私、覚信尼は一人、経机の前に座っていた。父が亡くなってから二年。この大谷の廟堂には、全国から父を慕う門弟たちが訪れ、念仏の合唱が絶えることはない。だが、人々が去った後の夜の帳の中で、私が向き合っているのは、聖人と呼ばれた父の輝かしい教えではなく、もっと生々しく、泥に塗れた「生命の記憶」であった。

私の手元には、一通の書状がある。

越後の地から数日、あるいは数週間の時をかけて運ばれてきたその紙は、都の洗練された料紙とは異なり、どこか厚ぼったく、繊維の荒い手触りをしていた。封を切った瞬間に立ち上がったのは、古い炭の匂いと、どこか懐かしい、北国の凍てついた土の匂いだった。

母、恵信尼からの便りである。

母は今、故郷である越後の地で、一族の行く末を見守りながら独り静かに暮らしている。

「覚信へ。秋の風が冷たくなるにつれ、あなたの父上が遷化されたあの冬の日のことを思い出します」

その文字は、女性らしい柔らかさを持ちながらも、一字一字が確かな重みを持って紙に定着していた。私はその文字を指先でなぞる。すると、私の意識は都の静寂を離れ、かつて父と母が、そして幼き日の私たちが、文字通り「命」を繋ぐために闘ったあの越後の荒野へと引き戻されていく。

鎌倉の世は、暴力と祈りが背中合わせの時代であった。

武士たちが土地を巡って血を流し、飢饉が村々を襲えば、死は日常の至る所に転がっていた。父は、かつて権力の中枢にいた身でありながら、流罪という名の断絶を突きつけられ、越後の雪深い地へと放られた。誰もが、その粒子がそこで消滅するだろうと考えたに違いない。だが、父という粒子を受け止め、再びその「呼吸」を整えさせたのは、越後の大地そのもののような強靭さを持った母であった。

寄り添い、一つの形を成すように、父と母は全く異なる性質を持ちながらも、分かちがたく結びついていた。

父は常に、目に見えない浄土という世界を見つめ、人々の魂を救うための言葉を探していた。

対して母は、今日食べる粥の量、凍える子供たちの足を包む布の厚さ、そして荒れ地を耕す鍬の重さという現実を、その両手でしっかりと掌握していた。父が空を見上げる時、母は常に地を見ていた。父が「死の先」を説く時、母は「生の今」を守っていた。その二つの呼吸が重なり合うことで、私たちの家という小さな宇宙は、壊滅することなく、無限とも思える試練を乗り越えて継続してきたのだ。


母の手紙は続く。

「あなたが京都で廟堂を守ってくれていること、これ以上の安心はありません。ですが、覚えておいてほしいのです。仏の教えというものは、寺の中にだけあるのではありません。それは、赤子の産声の中にも、田を打つ百姓の吐息の中にも、そして一族が分かち合う、たった一杯の白湯の温もりの中にも、確かに流れているのです。息を吸い、吐き出す。その当たり前の営みの中にこそ、すべての根源があるのだと、私は越後の風の中で学びました」

私は目を閉じ、自らの呼吸に意識を向ける。

吸い込む空気は冷たく、肺の奥を鋭く刺激する。だが、その一呼吸ごとに、私の体内を流れる血が、母から受け継いだものであることを痛感する。母は、恵まれた家柄にありながら、あえて流罪の僧であった父を選び、共に行くと決めた。それは当時の常識からすれば、自らの輝かしさを捨て、泥沼へと飛び込むような自殺行為であったはずだ。だが、母にとっては、それこそが自らの「命」を燃焼させるための、唯一の自由自在な選択であったのかもしれない。

手紙の端に、小さな染みを見つけた。それは涙の跡か、あるいは北国の厳しい冬が落とした雪解けの水滴か。

「親鸞聖人の妻」という立場は、世間から見れば奇異の目で見られることも多かった。肉食妻帯を公然と行う僧の伴侶として、彼女が背負った嘲笑や非難の質量は、並大抵のものではなかったはずだ。だが、母の文面には、一点の曇りも、後悔の色もなかった。そこにあるのは、自分たちがこの地上で確かに「生きた」という、揺るぎない事実の集積だけだった。


「あの日、越後の浜辺で、あなたの父上と初めて出会った時のことを、今でも鮮明に覚えています。海風は鋭く、流人として連れてこられた父上の顔は、まるで死人のように青ざめていました。ですが、その瞳だけは、遠い水平線の先にある何かを見つめて、静かに、しかし激しく燃えていたのです。私はその時、この人の呼吸を絶やしてはならない、この人の『息』を守ることが、私の天命なのだと感じたのです」

母の言葉が、私の心の中で音を立てて結晶化していく。

都の権力者たちが、あるいは鎌倉の武士たちが、力によって自らの存在を誇示し、永劫の支配を夢見ている一方で、母は、一通の手紙という極めて脆い媒体を通じて、もっと根源的ことについて語ろうとしている。肉体は滅び、建物はいずれ朽ちる。だが、命と命が結びつき、そこで生まれた「命」は、呼吸が続く限り、世代を超えて受け継がれていく。


私は立ち上がり、廟堂の窓を開けた。

庭の隅では、厳しい冬を前にして、小さな花の芽が土の中でじっと耐えているのが見えた。

」とは、まさに母そのものの呼び名ではないか。

表舞台に立つ父という花を咲かせるために、冷たく暗い土の中で、誰よりも深く根を張り、栄養を運び続けた存在。その「メ」の力があったからこそ、私たちは今、こうして京都の地で息をしているのだ。

だが、母の手紙の後半には、微かな影が差していた。

それは、行方知れずとなっている兄、善鸞への案じであった。

同じ一つの根から生まれた兄弟でありながら、なぜ兄は父の教えを歪め、一族を揺るがすような争いを引き起こしてしまったのか。同じ空気を吸い、同じ粥を食べて育った兄弟姉妹が、なぜある一点において、決定的に異なる方向へと弾け飛んでしまったのか。

その断絶という名が、今まさに京都の私の元へも押し寄せようとしていた。


「覚信、あなたは私と似ています。目に見える派手な業績を追うのではなく、大切なものの『根』を守る強さを持っている。これから、あなたには大きな試練が訪れるでしょう。父上の残された教えを守ることと、血を分けた家族を守ること、その二つが対立したとき、あなたはどう動くのか。私は越後の地から、あなたの呼吸を見守っています」


風が強まり、蝋燭の火が大きく揺れた。

私は母の手紙を胸に抱きしめた。

これから私が直視しなければならないのは、聖人としての父の影ではなく、一人の人間として苦悩し、時に過ちを犯しながらも生き抜こうとした家族の「真実」なのだ。

母からの手紙は、まだ始まったばかりであった。

この紙の束を読み終えたとき、私は自分の中に眠る者の正体を知ることになるだろう。

東山の沈黙は、越後の風によって破られた。

私は再び経机に向かい、母への返信を書くために筆を執った。


「お母様、あなたの娘は、ここにおります。あなたの呼吸は、今、私の肺の中にあります」

墨の匂いが、夜の冷気と混ざり合う。

物語は、冷たい土の中から、静かに芽を出し始めていた。

読んでいただきありがとうございます。

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