チャーノの日記2
一九四〇年十月二十八日。
ギリシャ侵攻。雨。
ベルリンから戻った私の手元には、泥に塗れた報告書と、インクの滲んだ日記帳だけがある。ドゥーチェは、ヒトラーがルーマニアへ進駐したことへの報復として、この「方向性」を選んだ。事前の軍事的な協議も、兵站の確認も、地形の精査もない。「彼は新聞で私の勝利を知ることになるだろう」と彼は叫んだが、その声はもはや英雄の咆哮ではなく、無視された子供の癇癪にしか聞こえなかった。私は外務大臣として、軍備が絶望的に不十分であることを何度も進言した。だが、私に「与えられた」役割は、独裁者の歪んだ欲望を外交という体裁で包み隠すこと、あるいは彼の自尊心を満足させるための鏡になることだけだった。
アルバニアの山々で、イタリア兵という名の粒子が、冷たい泥と降り続く雨の中に消えていく。彼らにとっての「方向性」は、国家の栄光などという形而上学的な言葉ではなく、ただ死へと直結する一本の凍りついた線でしかなかった。私は日記に記す。「我々は、戦うために参戦したのではない。ただ、歴史という名の賭場において、席を確保するためだけに自らの血を質に入れたのだ。だが、その代償がイタリアそのものの魂であることを、この老いた独裁者は理解していない」ペンを握る指先が、怒りか、あるいは絶望による震えか、紙の上に醜いインクの染みを作った。この染みこそが、今のイタリアの象徴であるように私には思えた。
一九四一年。
戦況は、もはや外交という名のゲームでは制御できない次元へと突入した。北アフリカの砂漠では、砂嵐がイタリアの薄っぺらな自尊心を削り取り、地中海の碧い海は、沈みゆく輸送船と若者たちの死体の墓場となった。私はザルツブルクでリッベントロップと面会した。彼は、イタリアの苦境を助けるのではなく、監視し、管理しに来たのだ。ドイツ人は今や、我々を同盟国ではなく、勝手に自壊を始めた重荷を背負った属国として扱っている。彼らの放つ「方向性」はあまりにも冷酷で、全ての個性を焼き尽くす。私は彼らと食事を共にしながら、胃の奥に鉛を流し込まれるような重圧を感じていた。ナチスの高官たちが語る「新秩序」という言葉の響きには、人の血を通わせる温もりなど微塵もなく、ただ効率と服従だけが支配する冷たい機械の唸りが潜んでいた。
「方向性を持つ粒子」が、ついにその磁場を見失い始めている。
日記を綴る夜が、果てしなく長くなっていく。ローマの社交界は、深刻な食糧不足と空襲の影に怯えながらも、表向きはまだ優雅な仮面を被り続けている。私はそこで、バチカンの高官や、密かに不満を抱く将軍たちと、シャンパングラスの影で言葉を交わす。彼らもまた、自分たちに与えられた宿命の「綻び」に気づき始めているのだ。誰もが、このままではイタリアという粒子が、ドイツという巨大な引力に引き裂かれ、消滅してしまうことを予感していた。ムッソリーニは、もはや私を直視しようとしない。彼は自分を神格化するあまり、現実に存在する物理的な限界、つまり資源の枯渇や士気の低下を、「意志の欠如」という精神論にすり替えて叫び続けている。彼にとって、真実を語る私は、今や不吉な徴候を告げる鴉に過ぎなかった。
一九四一年六月、ドイツのロシア侵攻。
それは、世界全体を飽和させる破滅的な炎の点火だった。ムッソリーニは、この巨大な戦場にイタリア軍を送ることに執着した。彼は自分の兵士たちが、ロシアの果てしない平原で、不十分な装備のまま冬を迎えればどうなるか、全く想像しようとしなかった。私は日記の新しい頁に、震える文字で書き込んだ。「ドゥーチェは、自分自身の破滅を急いでいる。彼はヒトラーという怪物の影を追いかけることに全ての生命を費やし、今やその怪物と一体化しようとしているのだ。イタリア兵は、彼の虚栄心を満たすための薪としてくべられているに過ぎない」外務省の私のデスクの上には、死傷者のリストが積み重なっていく。それは単なる数字ではなく、かつて私が愛したこの国の、失われた呼吸の記録だった。
一九四二年六月。
リビアの砂漠から届く報告は、悲劇を通り越して喜劇的でさえある。燃料も、弾薬も、水さえない場所で、兵士たちは「イタリアの栄光」という、もはや誰も信じていない実体のない言葉のために命を捧げている。私は日記に書く。「栄光とは、情報の欠落が生み出す幻想に過ぎない。現実という粒子を一つずつ数え上げれば、そこにあるのは、錆びついた旧式の戦車と、渇きに喘ぐ若者たちの絶望だけだ」私は、自分がこの崩壊の共犯者であることを自覚している。ベルリンで、あの忌まわしい同盟条約に署名したのは、紛れもなく私なのだ。ドイツという冷酷な引力にイタリアを投げ込んだのは、私の指先なのだ。その自責の念が、ペン先をますます重く、鋭くさせる。私は日記を、単なる外交の記録ではなく、将来の自分を断罪するための「証拠」として、あるいはこの狂った時代の解剖記録として育てていった。
「与えられている」のだ、私たちは。
自分たちの足で歩いているつもりで、実は歴史という巨大な坂道を、自重に耐えきれず転げ落ちている。私はエッダとの冷え切った寝室で、窓の外に広がるローマの街並みを眺める。かつて皇帝たちが夢見た永遠の都。だが、今の私に見えるのは、不発弾の恐怖に震える人々の微かな呼吸と、瓦礫の中に定着しようとする死の匂いだけだ。エッダはドゥーチェの娘として、この崩壊する家門を必死に繋ぎ止めようとしているが、彼女の目にも、もはやかつての光はない。私たちは、血の繋がりという名の檻の中に閉じ込められた、二匹の傷ついた獣であった。私は、自分自身の方向性を「反転」させる時が、刻一刻と近づいていることを、深夜の静寂の中で確信していた。それは、私に与えられた全ての特権、地位、そして血の繋がりという「縁」を、自らの手で引きちぎり、灰にすることを意味する。
一九四二年、暮れ。
ドイツ軍のロシアでの致命的な敗北、スターリングラードの地獄が、断片的な情報としてローマに漏れ聞こえてきた。枢軸という巨大なシステムが、その内部から決定的に崩壊を始めた。私はドゥーチェの部屋を訪れ、ドイツとの単独講和、あるいは枢軸からの離脱、少なくともこの無意味な戦争を終わらせるための具体的な交渉を提言した。彼は、私を裏切り者を見るような、狂気を孕んだ目で睨みつけた。彼の頬は痩せこけ、その威厳は安っぽい仮面のようになっていた。「ガレアッツォ、お前はもう、私と同じ宇宙に住んでいないのか。私の勝利を信じられないのか」私は静かに、しかしはっきりと答えた。「ドゥーチェ、私はあなたが作り上げたこの閉じられた宇宙の、最も外縁にいる観測者なのです。そして、そこからは、この宇宙が収縮し、自らの質量に押し潰されて消滅しようとしているのが、痛ましいほどにはっきりと見えるのです」
日記の頁は、残り少なくなってきた。
私の書く文字は、かつての流麗で洗練された筆致を失い、ひどく角張った、切迫した、まるで叫びを閉じ込めたような形になっている。それは、私の魂が、もはや外交官という名の美しく磨かれた器には収まりきらなくなっている証拠だった。私は、自分という最小の粒子が放つ微かな「反逆」の振動が、やがてイタリア全土の沈黙という名の共鳴を引き起こし、あの巨大な、そしてもはや空虚な独裁者を玉座から引き摺り下ろす力になると、微かに、だが熱烈に信じ始めていた。たとえ、その先に待つのが私自身の物理的な消滅であっても、この「情報の飽和」を、真実という重みを持って歴史に定着させることだけが、私に残された唯一の救いであり、署名者としての贖罪だったのだ。
一九四二年の最後の日、私は日記を閉じた。
窓の外には、空襲を警戒した真っ暗なローマが広がっている。街の灯が消えたことで、皮肉にも星々はかつてないほど鮮やかに輝いていた。だが、それらの星々もまた、何億年も前に発せられた死の残響に過ぎないのかもしれない。私は冷たくなった手帳の表紙をなぞり、決意を固めた。次は、この日記そのものを、私の命そのものとして扱い、歴史の深層へと放り投げる番だ。与えられた縁を、今度は私を殺すための刃として受け入れ、その刃を、私自身が選んだ方向へと突き立てるのだ。
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