第385話 大山鳴動して豚1……2匹
「確かに陛下の言う通り、しょーもない事件でしたね」
「全くだ。本物の探偵には浮気調査だの逃げ出したペット探しだのといったささやかな依頼しか来ないという噂は、存外真実なのやもしれんな」
殺した後で実は犯人の思い込みによる勘違いだったことが判明し、真実を知って泣き崩れる、みたいな悲しいすれ違いは推理小説や刑事ドラマではお馴染みだが、今回の事件も夫婦のすれ違いが引き起こした悲劇だった。
アンブローシア夫人は、前々から大手鉄道会社の会長であるヴァラジリ氏の連れてくる愛人と3人で飲むなどと言って、夜遊びを繰り返す旦那に不満を抱いていたそうだ。
彼女は旦那が『ガリガリに痩せた妻に不満を抱き、よそで肉付きのいい女と女遊びを繰り返している』という被害妄想に囚われていたそうだ。まあ、状況だけ見るなら確かに? 旦那が3P、もとい浮気してるんだろうなと邪推しても無理のない状況だったわけだが、Mr.バクスターは奥さんに不満があって浮気をしていたわけではないらしい。
以前からしきりに食え食えと奥さんに食事を勧めて口論になっていたのは、『奥さんにひもじい思いをさせて自分だけいいもん食ってブクブク太ってる』などといった世間のいわれなき誹謗中傷やバッシングとは関係なく、こだわりの強すぎる自分なりの美の理想像を追求しすぎて、拒食症一歩手前になるまでガリガリに痩せすぎている奥さんが栄養失調で倒れてしまわないか心配だったからという、純粋に妻を愛し、心配するが故の100%善意だったそうだ。
「嘘よ! そんなの嘘!」
「嘘じゃない! 私は君を愛してるんだ!」
「それじゃあ、どうしていつもいつも、あの人と一緒に色んな女と一夜を共にしてきたの! 私がどれだけ傷付いたかも知らずに平然と帰宅して、どの面下げて私に愛を囁くのよ! 汚らわしい! 私だってバカじゃないわ! あなたが私を愛しているだなんて、どの口が! 信じられるものですか!」
夫人が指さしたのは、ヴァラジリ氏とその愛人だった。
「誤解だ! 誤解なんだアンブローシア! それはその! あまり大っぴらには言えんがとにかく誤解だ!」
「なんというか、なあ? おい、どうするよ」
「ふたりしてそんな目で見られても無理無理。さすがにこの状況じゃ隠せないでしょ。別に犯罪に加担してるわけでもないんだし、潔くカミングアウトしちゃえば?」
なんとはなしに修羅場慣れしてるんだろうなあと察せてしまう飄々とした態度の愛人の言う通り、そこはうん、さすがに俺らもちょっと擁護できないかな。あのね、グルメなギルドマスターはその、牧場で新鮮な搾りたて牛乳を飲む感覚で、女性が赤子に与えるフレッシュなソーマを……いや、そこまで言えば解るべ? 解るよ。俺もドン引きだよ!
「うわあ」
「最低」
「変態じゃないの?」
「幾ら未知なる美食を探求するのが我ら美食ギルドの使命とはいえ、さすがに人間の母乳は……」
「同じ妻として同情します」
「でも! 意外と美味しいんですよ!? 牛やヤギの乳はいいのに人間の乳だけはダメなんて! どんなお乳差別ですか! いいですか皆さん! 皆さんだってお母さんのおっぱいを沢山飲んで大きくなったのですからね! 母乳を否定することは自分自身の成長と母親をも否定することなのですよ!」
「さすがにそれは詭弁が過ぎるぞ?」
いやらしい目的などは一切なく、本当にただただグルメ目的で母なるソーマ()を飲む事を目的として、ヴァラジリ会長に女性を紹介してもらっていたのだそうだ。ちなみに会長さんの方は『粉ミルクなんて邪道だ!』と言い張る本格派の赤ちゃんプレイ常習犯……今回結果的に1番大恥を掻いたのは会長さんかもしれんね。
「改めまして、初めまして皆さん。不妊に悩む夫婦の強い味方、代理母ギルド所属のアリソンと申します。代理母・乳母をお求めの際は、ぜひとも当ギルドを御贔屓に」
「代理母ギルド……そんなものまであるのか」
とにかく、旦那は浮気してる自覚はなかったし、実際浮気なんかしていなかった。が、こうして午餐会に奥さん同伴で参加したその日のうちに、奥さんだけを先に家に帰して自分は会長さんたちと泊まりで(母乳を)飲みに行くような紛らわしすぎる行為は、誰がどう考えてもギルティなわけで。そりゃ奥さんも浮気を疑い思い詰めるわ。
「あなたがどんどん憎くなった。でも、さすがに殺すつもりはなかった。今夜の密会を台無しにしてやるだけでよかった。ううん、違うわね。あなたが毒を飲んで入院すれば、しばらくは水しか飲めない、病院食しか食べられない生活にしてやれると思ったから。そうなればいい気味だと思ったわ」
「おお! アンブローシア! すまない! 本当にすまない! 私がバカだった! そこまで君を追い詰めていただなんて! 赦しておくれアンブローシア! 私が愛しているのは本当に君だけだ! そんなつもりはなかったんだ! 信じておくれ!」
『そんなつもりはなかった』。便利な言葉だ。『そう取られてもしょうがない態度・言動を取っていた』自分の責任を棚上げして、『勝手に勘違いしたそっちが悪い』と相手を責める、被害者ぶった無責任な言葉だからだ。
「儂が言うのもなんだが、そこに関しては本当だぞ。儂らはあくまで母乳が目当てで、これまでに誰ひとりとして抱いてはおらん。彼は真の愛妻家だし、儂は赤ん坊に性欲があって堪るかの本格派だからな!」
「ねえ、最後の一言いる??」
「死ぬほど恥ずかしい秘密をここまで赤裸々に暴露されてしまった以上、せめて最後の一線、譲れぬこだわりだけは守らねば儂の気が済まん! 非公認の地下組織とはいえ赤ちゃんギルド名誉会員として!」
「そんなものまであるの!?」
結局名探偵イグニスの名推理によって誤解は解けたものの、泣きながら抱き合い謝罪し合うMr.バクスターとMrs.アンブローシア、そして腕組みしてふんぞり返るヴァラジリ会長に注がれる周囲の目は多分に呆れを含んだものである。そんなわけで、なんともお騒がせな美食ギルドのギルドマスター毒殺未遂事件は、こうしてひとりの死者も出すことなく円満解決を迎えたのであった。
――
「妙な騒ぎに巻き込んでしまってすまんな、ホーク」
「別に構いませんよ。行く先々で変な事件に巻き込まれるのはいつものことですし」
事件が解決し、さすがにあのまま何事もなかったかのように食事を再開できるほどみんな豪胆ではなかったため、グルメマスターズの午餐会はそのままお開きとなった。勿論参加者には厳重な口止めがなされ、誇り高きGMの看板に瑕がついてしまったことを世間に知られはしないだろうが、微妙な空気になってしまったのは確かである。師匠の方は全く気にしないだろうが、ギルマスであるMr.バクスターやヴァラジリ会長はしばらく皆と顔を合わせる度に気恥ずかしい思いをするのだろうな。
「では、またな」
「はい。また」
解散後、イグニス陛下はしきりに『すみませんすみませんすみませんすみませえええん! 変なことに巻き込んじゃってすいませんでしたああああ!』と頭を下げまくるマカロニさんと共に去り、師匠は妙なことに巻き込んでしまったお詫びにと、俺をパリクシヴ王国でも有数のパティスリーに連れてきてくれた。新鮮な栗やサツマイモを使った芸術的な見た目と味わいのモンブランケーキやモンブランタルトなどを楽しみつつ、ふたりでお店専属のティーソムリエが淹れてくれた最上級の紅茶を楽しむ。なお紅茶に入れるミルクは今日だけはなしで。
「互いに愛し合う夫婦であったとしても、些細な誤解やすれ違いから愛が憎しみに発展することもある。勉強になったぞ」
「まあ、ヴァンくんとリンドウなら大丈夫だとは思いますけど。ヴァンくんの方が無自覚女たらしだからなあ。リンドウもヤキモチ焼いちゃって、苦労するかもしれませんね」
「配偶者がより多くの異性に求愛される優れた個体である、というのは自然界では誇るべきことやもしれぬが、人間は必ずしもそうではないのだな」
それよりも、と俺はイチゴの代わりに大粒の巨峰が乗ったショートケーキや新鮮な洋ナシが乗ったフルーツタルトを追加注文する。美食ギルド主催によるグルメフェスティバルが食欲の秋に行われるように、秋は美味しいものが沢山だ。色気より食い気。俺には関係ないないない。
「ま、さすがに2回連続で事件が起こるなんてことも滅多にないでしょうし、これに懲りずにまた誘ってくださいよ。さすがはグルメマスターズを名乗るだけあって、料理も飲み物もかなり美味しかったですし」
「うむ、そう言ってもらえると爺ちゃんは嬉しい。いずれは我がホストとなって、皆をもてなす番も来るであろう」
「気に入ったんです? その呼び方」
「ああ。そなたさえよければだが、何度でもそう呼んでくれ」
「……ハインツ爺ちゃん」
「おお、おお!」
ヤバい。そこまで純粋に喜んでもらえるとなんか照れる。俺は照れ隠しに運ばれてきた巨峰ケーキの上に乗っかった大粒の巨峰にフォークを突き刺し、それを頬張った。そんな俺をニコニコ満面の笑顔で見つめる師匠。
爺ちゃんと言えば、この世界の俺には血の繋がった祖父がいないんだよな。いやいるにはいるんだろうけど、会ったことがないしこれから先も会うことはなさそうだ。母方の祖父母は既に亡くなっているみたいだし、父さんは父親の顔も名前も知らない娼婦の子だったところを肉眼で見てしまったから。
強いて挙げるならカガチヒコ先生が一番祖父に近いか。よく『お孫さんですか?』とか間違われるもんな。ガメツの爺さんは、まあ、うん。あれは近所に住むクソジジイポジであって甘やかしてくれるお爺ちゃんなんて柄じゃないし、学院長は平等な教育者だから特定の生徒を贔屓しない。オレガノは年齢的に祖父を遥かに通り越している……って、それは師匠も同じか。アレは爺ちゃんではなくオッチャン枠だ。
「いや、だが、師匠と呼ばれるのもやはり捨て難いな。爺ちゃんもいいが、師匠もいい」
「その時の気分で呼び分ければいいんじゃないですかね」
「なるほど。では、そのように」
邪竜どころか邪気の欠片もない、ニコニコ笑顔の師匠。今回も色々あったけど、最終的に師匠が楽しそうだからいいか。たまには弟子孝行できてよかったかもな。





