第38話 まだ原作ゲームが始まってもいない
「あー!つっかれたー!」
「おう、お疲れさんだったぜご主人!」
あの大騒ぎだった一夜からしばし時が流れ。俺達はゴルド家・ゼロ公爵家合同での温泉旅行に来ていた。露天風呂に浸かるクレソンの膝の上で俺も肩まで湯に浸かり、夜空に広がる満点の星々を見上げる。デブなだけでなくチビの俺は、こうしていないと水位が鼻を超えてしまうのだ。
全く子供の体というのは不便である。立ったまま温泉に入るというのは、ちょっとねえ。洗い場では父の背中をバージルが流しており、オリーヴは打たせ湯に打たれながら、気持ちよさそうに胡坐を掻いて目を瞑っている。護衛の仕事は、一緒に来た公爵家の私兵さん達がやってくれているからそちらにお任せだ。
サウナではゼロ公爵とヴァン君が、もうもうと蒸気がけぶる中で親子の語らいをしている。野郎はどうでもいいから女湯の方が気になるって?覗きは犯罪だゾ。
さて、俺達は別にブランストン王国から国外逃亡をしてここにいるわけではない。問題の王妃はどうしているのかというと、なんと現在絶賛昏睡中だ。不運不幸にも偶然、王宮の階段から足を滑らせて転げ落ち、頭を強く打って以来意識が戻らないのである。死んではいないのだが意識不明の重体ということで、現在は離宮で療養中だとか。
お前が闇属性魔法で呪いをかけたのかって?ははは、まさかそんな。王宮には大賢者マーリン学院長が厳重に張った結界魔法が現役で稼働中なのだ。『無属性魔法で結界魔法を一時的に無効化でもしない限り』、そんな暗殺めいた所業などできるわけがない。つまりはほら、天罰って奴?なんだかんだで神様は見てるもんだからね。悪いことってのはできないもんなんだよ、やっぱり。
そんなわけで、不幸な事故により植物人間状態になってもらった……ゲフンゲフン、なってしまわれた王妃様は目覚めることなく眠り続け、彼女が企んでいた悪事は全て凍結状態。命令を下す人間がいなければ、諜報部隊アンダー3も動かない。というか、王妃の転落事故は本当に事故だったのかを調査するのに忙しくて、それどころではないという。
暗殺者ふたりを返り討ちにされた暗殺者ギルドも、暗殺稼業とはそういうものだから、と知らぬ存ぜぬを決め込んでおり、女神教に関しても支部長のガメツ爺さんと公爵家の方で銭を交えた話し合いを設けたらしく、ヴァン君の扱いは上手い具合に誤魔化してくれることになっている。
そもそもが無属性魔法の研究自体、ヴァン君のためにローザ様が躍起になっていたところへ俺が悪ノリで加担してしまったが故の不幸な衝突事故の産物みたいなものであって、学者ギルドや魔術師ギルドもただ無属性魔法という未知なるジャンルへの探求心が燃え上がってしまったがために暴走していただけであり、女神教に喧嘩を売りたくてやっていたわけではないからな。
よって無属性魔法と無適合者に関する一切の研究は、表向きは凍結されたものの、学院長の庇護下でコッソリ続行することになり、決して表沙汰にはしない、と関係者一同誓約を結んだ。ピクルス王子とルタバガ王子も、自分達だけ蚊帳の外はないだろう、と誓約に参加している。
彼ら兄弟にとっても王妃は、あの手この手でイジメ抜かれ最後には死に追いやられた母親の仇であり、幼い頃から度々厳しく当たられ、時には毒殺だ曲者だと暗殺されかけてきたという、恨みの積もり積もった相手であるが故に、今回の一件に関しては彼女の自業自得だ、と納得してくれた。
ただし、今回完全に部外者だった第一王子は母親に溺愛されて育ったせいで調子に乗っていい気になっている俺様系のワイルド白髪イケメンであるらしく、場合によっては真実を知ったら母親の復讐に走る可能性が高いとのことなので、十分注意するように、と警告してくれた。
邪魔な王妃がいなくなったことでヴァン君はヴァニティ・ゼロとして公爵家に戻ることを許されたそうなのだが、本人の希望で平民のヴァンとして今後も生きていくこととなった。『色んなことがあったけど、悪いことばっかりじゃなかったから』だそうだ。
父親が自分と母親を殺そうとしていた、という誤解も解け、一連の追放劇そのものが自分達を王妃の魔の手から守るための方便であったことを知り、和解した彼ら一家の姿は幸せそうなので、めでたしめでたし、と言ってよいのではなかろうか。なお母親の方は、公爵家に戻るそうだ。ま、そりゃそうだわな。
ローザ様はだいぶゴネたようだが、どの道ヴァン君を守るためとはいえ社交界に広めてしまった悪い噂や意図的な悪評は覆せないだろうし、それを真に受けた連中からの中傷でヴァン君が傷付けられてしまうのは避けたいという意図と、兄自身の説得により折れたらしい。最近は下町でひとり暮らしを始めたヴァン君のところに入り浸ってるらしい。
いわく『お兄様に近付く女狐共には容赦致しません!』とのことである。やっぱりクレイジーサイコブラコンシスターじゃないか!未来の女公爵としての教育もバリバリこなしているらしく、『今度はお父様を蹴落とすことを目指すのではなく追い抜き追い越すことを目標と致しますわ!』だそうだ。
父さんは今回の一件を通じて公爵家に一生モノの恩義を売った俺に感激し、ますます親バカ度がアップした。あの事件のあった日、ゴルド商会の方にも暗殺者ギルドからの刺客が差し向けられていたそうなのだが、常日頃から大量の護衛を周囲に陣取らせている上、『今ワシの身に何かあったらホークちゃんが大変!』との理由により護衛の質を上げておいたことが功を奏したらしく、圧倒的物量差ですり潰すように暗殺者四名を返り討ちにしたそうだ。
『ワシを狙うだけならまだしもホークちゃんを狙うなんぞ絶対に許せん!』とメチャクチャ激怒していたので、第一王子派の王妃シンパの貴族連中は、かなり経済的な意味での地獄を見たことだろう。いつの世も、最終的に物を言うのは金の力だ。ゴールドバーグ男爵家ほどではないが経済的にはそこそこ苦境に立たされている貴族連中への融資・担保・借金の貸付などで貴族間ネットワークにかなり根深く食い込んでいる父の逆鱗に触れたらどうなるかなんて、考えたくもないよな。おーコワ。
ローリエはメイド長として、今もうちに勤めている。王妃転落事件は本当にただの事故だったのかを国王陛下直々に調査するよう命じられたアンダー3だったが、大賢者様のかけた魔法結界があるのだからなんらかの魔法を行使したり呪いを飛ばしたりすることは宮廷魔術師団の団長であったとしても難しいだろうし、何より王妃が躓いて階段から転げ落ちる瞬間を大勢の人間が目視していたのだから、事故だったのだろう、として処理されたそうだ。それでいいのか諜報部隊。まあ、彼女達はあくまで諜報部員であって、頭のおかしな王妃に心酔した狂信者ではないからな。
そんなこんなで色々あったけれども、事件は無事解決し、めでたしめでたしと相成った。
「隣。いいかね?」
「どうぞ」
いつの間にか、隣にゼロ公爵が来ていた。ザブリと湯船に肩まで浸かった彼の横顔は、あの屋敷で対面した時とは比べものにならないほど穏やかで安らいだものとなっている。
「君には感謝している。なんと礼を言えばよいものか」
「いえ。俺としても、王妃はなんとかしなければいけませんでしたから」
「そのお陰で、我々家族は救われた。だから、礼を言わせてくれ。本当に……ありがとう」
「どういたしまして」
自分ひとりが泥を被ってでも、家族を守ろうとしていた父親が不幸なすれ違いの果てに死ぬようなことにならなくてよかったなと思う。彼が死んだ後で、実は彼の一見冷酷にしか見えなかった言動は全て愛する家族を守るためだったことが発覚して、ヴァン君やローザ様が泣き崩れながら彼の亡骸に縋るような終わり方をしていたら、後味メチャクチャ悪かっただろうからな。
「ホークちゃーん!温泉は楽しんでいるかい?よかったらパパのお膝の上においでー!」
「ご主人、呼んでるぜ?」
「聞こえなかったフリをしたいなー、なんて……ダメ?ダメか。やっぱりダメだよね、うん」
「そう言ってやるなよ坊ちゃん。親孝行ってのは、できるうちにしといた方がいいですぜ?」
「同感だ」
「解ってるって。ただ言ってみただけ」
「お、仲がいいんだなホーク!」
「そうなんですよー!ホークちゃんってば本当にいい子で!自慢の息子ですぞ!」
オリーヴが、バージルが、クレソンが、露天風呂に浸かりながら笑っている。満面の笑みを浮かべた父が、俺を膝の上に乗せながら、上機嫌でゼロ公爵と酒を酌み交わしている。お父さんの隣でヴァン君が微笑ましそうに笑いながら、手の平に掬ったお湯でザバっと顔を洗った。
みんな楽しそうだ。俺も楽しい。心からの笑顔で、みんなの顔を、目を、見ることができる。
いくら心の中で想っていたとしても、相手にそれが伝わらなければ意味がない。まして、それがすれ違いの元となり、悲劇の引き金となってしまうことほど、悲しいものはないと思う。
だから、よかった。
めでたしめでたし、で迎えられたこの幸せを壊してしまわないように、これからも生きていこうと思う。
俺の名前はホーク・ゴルド。ゴルド商会のひとり息子。
この世界に転生した、女嫌いの、チビでデブだけど、みんなから愛されてる子豚だ。
これにて3章完結となります
ここまでお付き合い頂きありがとうございました!