第36話 氷の殺人メイドと妻子殺しの公爵と
結論だけ言うと、事件は無事解決した。ひとりの女の犠牲をもって。
「ローリエ!」
「坊ちゃま……」
ローリエがいたのは案の定ゼロ公爵家だった。しかし様子がおかしい。公爵家の人間達がひとり残らず氷漬けにされているのだ。門番も、警備員も、メイドも、執事も、全員。彼女がやったのだろうが、ひとりも死んでいないのはどういうことだ。そもそも、何故彼女が公爵家を襲撃するのだ。むしろ公爵家の子飼いの密偵とかじゃなかったのか?
「やはり、いらしてしまったのですね」
氷でできた刃物を悲しげにこちらに向けてくる彼女の心を闇属性魔法で読み取ろうとして、分厚く高い氷の壁に勢いよくぶつかったようなイメージと共に、彼女の心の中から弾き出される。さすがは本当に裏の顔を持っていただけあって。心や記憶を閉ざす術ぐらい当たり前に身に着けていたらしい。
「君がホーク・ゴルドか」
状況が呑み込めない。何故、ゼロ公爵が彼の執務室で氷漬けにされているのだろう。豪奢な椅子に座ったまま四肢を凍結させられている彼の視線は酷く憎々しげだ。
「君さえいなければ、こんな最悪の事態にはならなかったものを!」
「と、仰いますと?」
「いいえ、いいえ坊ちゃま。何も聞く必要はございません。公爵は元・妻子殺しの罪を背負ってここで自害し、公爵家は取り潰される。それで万事仕舞いでございます」
「黙れ!狂女の走狗めが!」
「お黙りなさい!氷よ、ローリエの名において命じます!彼の口を塞いでしまうのです!」
即座に公爵の口が氷漬けにされる。だが鼻を塞いでいないせいで、窒息死には至らない。一体何がしたいんだ彼女は。公爵を殺したいのであればそのまま殺してしまえば済むだろうに。何故、わざわざこんな回りくどいことをする?
「なあローリエ、話をしようじゃないか」
「いいえ、お話しすることなど何もございません」
「いやいや、さすがにそれは無理があるだろ?俺が来る前に公爵を殺して、さっさと姿を消してればそれで終わりだったのに、君はそうしなかった。それどころか、俺が来ることを待っていたかのような口ぶりだったじゃないか。本当は君にも何か事情があるんだろう?」
「それは……」
本当は誰かに構ってほしかったのに、本心を打ち明けてしまいたかったのに、自分にはそんな権利も資格もないって勝手に決め付けて、心を閉ざしていた俺みたいにさ。
「俺はさ、思い知ったよ。自分ひとりの身勝手な思い込みだけで鬱になって、自分で自分を追い込んでも、いいことなんて何もなかった。言いたいことがあるなら言わなくちゃ伝わらないんだ」
勝手に期待して、勝手に傷付けられたフリをして。そんなのバカみたいだろ?何も言わなくても相手が自分の言いたいことを全て察してくれて、チヤホヤご機嫌取りをしてくれるだなんてあり得ないのに、どうしてみんな俺のことを解ってくれないんだ!どうして俺に優しくしてくれないんだ!なんて癇癪を起こしてヘソを曲げていたって、そりゃその通りになんかならないわな。
「それに気付けたのはみんなのお陰だ。こんな俺なんかを見捨てずに心配してくれたみんながいてくれたから、俺は取り返しがつかなくなる前に目を覚ますことができた。だから、君とも話をしたい。どうしてこんなことをしたのか。どんな事情があってこんなことをしているのか。君が何を考えて、何を思っているのか。今はそれを知りたいと思う」
自分で言うのもなんだけど、何この綺麗なホーク。絶対後で自分の発言を思い出して恥ずかしくなりそう。でも、俺の羞恥心ひとつでこの事態を解決できるのなら安いもんだ。
「坊ちゃま……ご立派になられましたね」
「全部、君達のお陰さ」
俺に向けていた氷の刃物を公爵の執務机に置き、眼鏡をずらして浮かべた涙をハンカチで拭うローリエ。その直後、ドサリと何かが倒れる音が天井裏から響いてきて、一拍置いて、黒装束に身を包んだ男が天井の隅に備え付けられた通風孔から落下してくる。その後から飛び降りてきたオリーヴが倒れた男の隣に着地した。念のためローリエを見付けた時点で別行動をしてもらって正解だったな。
しかしまあ、そいつ意識がないまま落っこちてきた拍子に盛大に顔面を床に打ち付けたみたいだけど、大丈夫?死んだり前世の記憶を取り戻したりしてない?このタイミングで前世の記憶に目覚められたりしたら扱いに困るんですけども。
「こいつも暗殺者ギルドの人間か?」
「だろうね。ローリエの協力者なのか、それとも彼女の口封じでも狙っていたか」
「メイド長に攻撃しようとしていたので始末しておいた」
あ、死んでるんですね。よく見ると心臓の部分が赤黒く染まっている。血だ。初めて生で見る本物の銃殺死体。怖くないわけじゃないが、今はそれよりもまずローリエだ。いきなりの乱入者の登場に驚いているローリエと公爵を尻目に、オリーヴは窓辺に立ちカーテンを閉めると、狙撃を警戒するように外の様子を窺い始める。
「さて、それじゃあ、どうしてこんなことになってしまったのか、聞かせてくれる?」
「……はい」
「あと、公爵の口の氷も溶かしてあげたら?」
「そうですね」
さて、それじゃあ、腹を割ってのお話し合いと参りましょうか?