第22話 主人公オーラにあてられ闇が深まる豚
主人公ってすごい
「はあっ!」
「なんの!」
平民や貧民達が大勢暮らしている下町の路地に響く、裂帛の気合いのこもった掛け声。身長2m越えの全身筋肉達磨、クレソン相手にも臆することなく木剣で斬りかかる、黒髪黒目の十歳の少年。彼こそが目下この世界の主人公最有力候補、ヴァニティ・ゼロことヴァン君である。
ローザ様の作戦に基づき接触した当初こそ、自身が無適合者であることへのコンプレックスや自分を庇ったせいで一緒に公爵家を追い出されてしまった母親への負い目、初めての不慣れな平民生活や世間の冷たさ・厳しさなどに打ちのめされ、軽く自暴自棄・人間不信に陥っていた彼だが、俺が公爵家からではなくローザ様個人の遣いとして来たのだと打ち明けてからは警戒心が緩み、多少なりとも心を開いてくれるようになった。
どんなに辛い境遇にあっても明るく前向きに生き、ありがとう、仲よくなろうと言って距離を詰めてくるその善良さ、まさに主人公の器である。何事にも元気一杯で一生懸命で、俺や俺の護衛達にも率先して声をかけ、仲よくなろうとする姿は実に素晴らしいものだ。
この手の幼少期に全てを失った系の主人公は将来的に、冷めた目をして斜に構えたやれやれ系主人公になるか、もしくは苛烈な復讐の炎を氷の仮面に隠した冷徹な復讐者になるのが王道だが、今の彼を見ている限りでは彼はそのどちらでもない、どちらかといえば昭和の少年漫画の主人公的な、不運不幸にもめげずに明るく前向きに生きる爽やかな好漢に成長していきそうな気がする。
「ゴルドさん、いつもごめんなさいね」
「いえ、娘さんには色々と学院でお世話になっておりますので」
「そう、あの子が……本当に、ふたりとも優しい子に育ってくれて……」
目に浮かべた涙をハンカチでそっと拭う主人公の母。彼女は典型的な貴族のお嬢様として、蝶よ花よと育てられた人物らしく、愛情深いが世間知らずで、まともに働くことなどできやしなさそうな、筋金入りの貴婦人といった風だ。なるほど、そんな彼女とまだ十歳のヴァン君が下町で生きていこうとしても、住む世界が違いすぎて上手くはいかないだろう。
俺が来るまでは、公爵家から追い出される際に投げ付けられたという手切れ金を切り崩しながら生活していたそうだが、それが尽きてしまったらあっという間に二進も三進も行かなくなってしまうであろうことが目に見えている。ひょっとしたら将来ヴァン君には、母親を養いながら働く苦学生設定が生えていたかもしれない。主人公の家が貧乏なのは割かし定番だからな。
「繰り返しになりますが、くれぐれもローザ様からの支援の件は内密に。公爵家だけでなく、周囲の近隣住民達からも、おふたりだけが何不自由なく生活していると知られてしまえばやっかまれ、最悪強盗に押し入られる可能性もゼロではありませんので」
「まあ!なんて怖ろしい!」
「ええ、人間とは怖ろしい生き物なのですよマダム。とはいえ、その怪物から身を寄せ合って、助け合いながら生きていくのもまた人間ですがね」
念のため、俺が彼ら母子の住まうこの家そのものに闇魔法で結界を張ったため、そういった悲劇に見舞われる可能性は下がったかもしれないが、それでもヴァン君が主人公体質であるならば、何が起こるか分からないからな。
『ホークの名において命じる。闇よ、この家とそこに住まう者達を、悪意から覆い隠せ』
そんな詠唱をするだけで、物理的にではなく意識的に、彼ら母子への注目を遮断できる。なので、現在この家を監視しているかもしれない公爵家の手の者達に、もし彼らふたりへの悪意があったならば、家の中の会話を盗聴したり、覗き見たりすることはできないし、行きずりの強盗や通り魔などが入ってくることも不可能となる。
本当に便利だな、魔法。何が便利って、その拡張性の高さだ。最後に一言条件を付け加えるだけで、ビックリするほど柔軟にその効力を自由自在に変化させてくれるのだから。魔術師ギルドや学者ギルドといった集団が、日夜魔法を研究している理由も解る気がする。
「どうした?もうヘバっちまったか?」
「まだまだ!もう一本お願いします!」
「いいぜ、来いよガキ!テメエにゃ見所がある!鍛えりゃさぞ強くなれるだろうさ!」
「本当ですか!?俺、頑張ります!」
魔法といえば、不思議なのがヴァン君だ。彼は間違いなく魔力を持ちながら、11種類全ての属性に適性を持たないせいで魔法が使えずにいるのだが、それだけではなく、何故か他人のかけた魔法が一切効かないという特異体質も持ち合わせているのである。そのせいで彼ら母子ではなく、この家そのものに魔法をかけることとなったわけだが、冷静に考えればそれもおかしな話だ。
魔法が使えない体質であることと魔法が効かない体質であることは、イコールではない。ということはつまり、彼は無意識のうちに無属性魔法を使って他人の魔法を打ち消していることになる。それも、呪文の詠唱なしで自動的にだ。なんだそれ、ふざけてんだろ。まあ、だからこそ異端視され、無適合者というレッテルを貼り付けることで臭いものにフタをされたのだろうが。
より詳しく調べた結果、彼の体に触れた途端に全ての魔法が自動的に打ち消されてしまっている感じの、解りやすい完全無効化能力者だった。彼の意思とは無関係に勝手に打ち消してしまうため、たとえば回復魔法で傷を癒やすとか、暑い日に氷属性や風属性の魔法で涼むといった、他人が当たり前に享受している便利な魔法を彼だけが利用できないという不便な一面もあるのだが、それ以上に魔法による攻撃を完全に無効化できるというのは、ほんとに少年漫画の主人公みたいなエスペシャルな能力だよな。
魔法が当たり前に存在している世界で、魔法を使えない無適合者という烙印を押された落ちこぼれ。と見せかけて実は、他人の使う魔法を全て無効化できるという、世界にたったひとりのチート主人公。ありがちと言えばありがちな設定である。だがそれは俺が前世の記憶を持っているからそう思えるのであって、この世界の住人達からしてみれば、未だかつて前例のない、たったひとりの特異な存在であることに違いはない。だからこそ彼は周囲から異端視され、迫害されてしまったのだろう。そしてそれが重大なコンプレックスになってしまってもいる。
だが、だがである。通常この世界では、属性魔法の資質を鍛えるためには、その属性のエレメントに合致した自然現象に日常的に触れるのがよいとされている。水属性ならば水泳や滝行、光属性ならば日光浴、風属性ならば風に吹かれ、土属性ならば地面に穴を掘って首まで埋まる。闇属性ならば深夜暗闇の中で瞑想をするとか、月明かりを浴びるといった修行が一般的なのである。
その理屈に沿うならば、無属性魔法の使い手として、彼が虚無感や無力感に苛まれ、自分には魔力が無い、魔法の才能も無い、何も無い、と自分が空っぽの人間であることを痛感するという今の現状は、まさしく無属性魔法の資質を鍛えるのに最適な状況なのではないだろうか。ごく自然にただの何気ない日常生活が実は修行になっていた、という伏線は、さすがは主人公といった感じの素晴らしい運命力だと思う。彼のやることなすこと全てがいい方向に転がっていくというのは、世界に愛された主人公ならではの特権だろう。
俺のような脇役とは、根本から何もかもが違う。
「ガハハハハ!やるじゃねえかチビスケ!」
「俺は強くなるんだ!俺が強くなって母上を守る!」
「いいぜ!そういう気概のある奴は嫌いじゃねえ!」
彼は魔法の才能がなかったことで一時的に全てを失い、一度は酷く打ちのめされた。だが無力感に苛まれながらも、だからこそ強くなりたい!と一念発起して、俺の護衛としてここへ付き添いでやってきているクレソン、オリーヴ、バージル達に、『お願いだ!俺に稽古をつけてほしい!』と彼らの雇い主である俺に許可を取ることもなく勝手に頼み込んだのだ。
さすがに三人は俺の許可なく勝手に引き受けることはできないと言ったので、やむなく許可を出してやったのだが、あまり面白いことではない。無論、必要なことであるのは理解していても、俺を差し置いてどんどんヴァン君と護衛達が仲よくなっていっていく過程を横でただ眺めているだけ、というのは、彼という主人公のために用意された俺という引き立て役が、都合よく利用されているかのようで正直ちょっとムカつく。ヴァン君自身には俺への悪意などこれっぽっちもなかったとしても、だ。
十歳にして既に主人公らしい人誑しの才能をいかんなく発揮し始めたヴァン君は、うちの護衛トリオだけでなく近所の女神教の教会に住まう桃髪のシスターの美少女であるとか、下町を縄張りとしている情報通のネズミ獣人の美少女とかいうどこかで聞いたことのあるような連中と知り合って仲よくしているようで、大勢のキャラクター達をこれでもかと惹き付ける魅力をフル活用して新しい人生を謳歌している彼を見ていると、『俺の助けなんか別になくても大丈夫なんじゃね?』とおとなげない、意地悪な気持ちになってしまう。
「いいぜ!その調子だ!オラ、もっと激しくガンガン打ち込んで来やがれ!」
「はい!いきます!てやあああ!」
「踏み込みが甘え!剣の握りも甘え!甘ったれてやがんな!本気で強くなりてえってんなら、俺を殺す気で来い!」
オリーヴも、バージルも、クレソンも。ここへ来る度日替わりで彼に稽古をつけてやっているうちに、いつの間にか彼に好感を抱いたようで、このままでは遠からずして三人とも、俺みたいななんの魅力も取り柄もない地味な子豚よりも、人間的魅力に溢れたイケメンである彼の味方になってしまうのではないか、と不安になる。
人の心を金だけで繋ぎ止めておくことはできないからな。いくら俺が破格の高給で彼らを釣ったとしても、そんな金なんかよりももっとずっと大事なことがある!!とかなんとか言って、俺を裏切りヴァン君の仲間になってしまったとしたら、俺にそれを引き留める術はない。
彼らとはこの五年間、仲よくやってこれたのだから、できれば切り捨ててしまいたくはないのだが、いざとなったら脇役の俺より主人公のヴァン君の方を優先してしまいそうな護衛じゃ、肝心な時に頼りにはできない。
思い返せばいつだってそうだったじゃないか。前世の頃からずっと、俺は誰かの一番にはなれない人間だ。誰の特別にもなれない、つまんねー奴。一体何を勘違いしていたのか。異世界転生したからって、ひょっとしたらこんな俺なんかでも主人公になれるんじゃないか、なんて、おめでたい勘違いをして、みっともなく浮かれていただけのバカな子豚。それが俺。
前世の記憶の片隅から、古いノートを引っ張り出してくる。それは、要らないものリスト。
その要らないものリストに、オリーヴ、バージル、クレソンの名前を新たに書き加えておく。
こうしておくことで、いざ彼らを切り捨てなければならない状況が来てしまった時に、『まあ要らないものだったからな。別段惜しくもないさ』と潔く諦めることができるため、俺のような捻くれた人間にとっては便利なリストなのだ。最初から他人になんの期待もしなければ、裏切られて傷付き、辛い思いをすることもない。
父以外の全ての人間の名前を、そのリストに書き加えていく。あいつも要らない、こいつも要らない。いつか前世と同じように、化けの皮が剥がれてしまって、俺がなんの魅力も取り柄もない、一緒にいてもなんら面白みもない退屈な人間であることがバレ、みんながみんな俺から離れていってしまっても、惜しくないように、寂しくないように、お前達など要らない、こちらから願い下げだ、と言えるように。
心の中に、冷たい一本の境界線を引く。それを踏み越えてしまうことは、酷く容易い。中には『え?そんな些細なことで?』と思われるような出来事ひとつで、人は容易くその境界線を飛び越え向こう側に行く。そしたら終わりだ。そいつはもう、俺の中では要らないものになる。自分が傷付かないための、予防線。
思い返してみれば、俺が前世で女嫌いになったのも、最初は同じような理由だった気がする。デブだとか、ブサイクだとか、なんかキモイだとか、そういった理由で、ただ生きてるだけで、俺はクラスの女子共から嫌われ、バカにされ、嫌がられた。何もしていないのに一方的に自分を毛嫌いし、難癖を付け、徒党を組んで指差し嘲笑してくるような女という生き物を、どうして好きになれるだろう。
女には関わるだけ損。近付けば互いに不快感を感じ合うだけなのだから、極力関わり合いにならないようにした方がマシ。自分を嫌う相手を嫌いになるのは誰だって当然のことだ。そうやって俺を嫌悪する連中を俺も嫌悪し返しているうちに、気付けば俺は筋金入りの、重度の女嫌いになった。
「坊ちゃん、暗い顔をしているが、どうかしたのか?」
「なんでもないよ、オリーヴ。なんでもない」
もしこの世界に、ホークちゃんが一番!と言ってくれる父親がいなかったら、俺の心の闇はますます肥大化していたことだろう。世間的な評判は最悪だが、俺にとっては本当にいい父親だ。
「本当にどうした?何か悩みがあるなら聞くぞ?」
「なんにもないよ。うん、何もない。君が気にすることじゃないさ」
どうせすぐに脇役の俺なんかより、誰からも好かれる主人公のヴァン君の方を好きになるであろう相手に何を言っても無駄だろ。なんだか心の中の闇が、グツグツと煮え滾っているような気がする。なるほどね。学院の授業で習って知ったことだが、この世界の歴史に名を刻んだ極悪人や重犯罪者達の中には、闇属性魔法の使い手が多かったという。今ならば、その理由がなんとなく解る。
空気中から俺の体内に取り込まれたエレメントが心の闇に反応して増幅され、闇が心に、体に染み渡って馴染んでいく。それは優れた闇属性魔法使いになるための第一歩であると同時に、常に心の内側で氾濫してしまいそうな闇を抱えながら生きていくということでもある。闇属性の適合者だから悪人になるのか、悪人になると闇属性魔法の資質が伸びやすくなるのか。どちらにせよ、結果は同じことだ。
ああ、と倦怠感にため息が漏れる。ヴァン君ご自慢の魔法打ち消し能力で、俺の心の中の闇も消し去ってくれたらいいのに。このザマでは、主人公になど到底なれやしないと納得できてしまう。
そうだ、俺は主人公なんかじゃない。見た目も中身も醜いただの脇役だ。それでいいじゃないか。身の程知らずな夢を無邪気に見ていられた幼少期は終わって、ここからは誰しもが現実と折り合いを付けながら生きていかなければならなくなる思春期が始まる。
実家が大金持ちであるだけ、前世より百倍も千倍もマシ、だろ?