第175話 邪竜討伐クエスト
藤の花が満開なので観に行かないか、とハインツ師匠に誘われたのは、昼夜の寒暖差が激しくなり始めた梅雨前のことだった。
「藤ですか、いいですね」
「うむ、あまりにも見事であったゆえ、そなたにも見せてやりたいと思うてな」
というか、あるんだ藤。まあ桜や梅や薔薇や菊が普通にある世界だからな。野菜だって現代日本準拠のそれだ。今更驚きもしないか。
竜人形態になってなおも身長3m近い巨体の竜である師匠の手にはとても小さく見える人間サイズの紅茶用カップを器用に持ち上げながら、ハーブティーを飲む師匠は機嫌がよさそうだ。
「それでは、次の土曜日辺りにでもいかがでしょう?」
「余はいつでも構わぬ」
「それじゃあ、土曜日の十時ぐらいに伺いますよ。せっかくですから、お弁当でも作っていきましょうか」
「おお、それはよいな!うむ!実に楽しみだ!」
最近は孫共々、人間の食文化を満喫している師匠。好物はタマゴサンドとビーフシチューである。竜の姿だとジャンボジェットばりに巨大なので、人間からすればイクラだかゴマの一粒レベルの小ささになってしまう鶏卵などはほとんど食べる機会がなかったらしく、その加工食品であるマヨネーズに驚いていたり、煮込み料理の肉質の変化に驚いていたりとなかなかに人間の料理を満喫しているようだ。
そんなこんなで、やって参りました土曜日。十時にはまだ少し時間があるが、早起きしてしまったのでちょっとばかり早くトルーブルー山までお邪魔することにした。ゴルド家の料理長に頼んで作ってもらった特製のランチボックスが入ったバスケット片手に、転移魔法で世界の果てまでひとっ飛びだ。なお今回は護衛のみんなはお休みで、師匠とふたりでお出かけすることにした。さすがに神様の背中の上にゾロゾロ大勢でお邪魔する訳にもいかないしね。
「師匠、お邪魔しまーす!……いないんですか?師匠ー!」
神殿の内部に到着し、大声で呼びかけてみるが返事がない。出かける前に湖で水浴びでもしているのだろうか、と思っていると、不意に神殿の外から爆発音が聞こえてきて、俺はバスケットを置き、腰に提げていた小太刀を手に神殿の外に飛び出した。
「師匠!」
遠巻きに、炎や雷が激しく飛び交っているのが見える。どうやら師匠は岩肌が剥き出しになった山の斜面で、邪竜の姿で誰かと戦っているようだ。
「シェリー!ヴィクトゥルーユ号を上空に待機!上空からの映像回して!」
「承知致しました」
ガラケーを開くこともなく呼びかけると閉じたままでも即座に反応してくれる有能執事。だがヴィクトゥルーユ号が到着するまでに少しのラグがあり、俺は戦場に飛び込んでいくか迷ったものの、まずは落ちついて様子見に回ることにした。S級冒険者が束になっても敵わないという災害指定級の魔物に指定されている師匠が、そう簡単に負けるとも思えなかったからだ。
とはいえ、世界には俺のような存在そのものがこの世界にとってのイレギュラーな奴もいるため、油断は禁物である。世界中でたったひとり自分だけがいつまでも特別、なんてノンキに思い上がっていられるほど、俺は楽天家ではいられない性分なので。
「映像出ます」
ガラケーの小さな画面に表示された上空からの俯瞰映像によると、どうやら師匠は冒険者四人組相手に戦っているようだった。しかし、苦戦している風には見えない。それどころか、冒険者達と遊んでいるような余裕さえ感じさせる絶対的強者の余裕があった。対する冒険者ら四人はいずれもが美少女揃いで、見たところ剣士、剣士、攻撃魔法使い、回復魔法使いといった感じのラインナップだ。
既に女剣士ひとりが地面に倒れ伏しており、残り三人は息も絶え絶えといった様子で、師匠に加勢しに行くまでもなさそうだ。とはいえ窮鼠が猫を噛むのはいつの世もどこの世でもあり得るため、油断せず物陰からコッソリと師匠らの様子を窺う。
「くっ!よもや邪竜の力がこれほどまでとは!」
「どうするんですかあ!撤退するなら今ですよお!」
「ここまで来て逃げるわけにはいかない!ここで失敗したとあらば、私達の名声に瑕が付く!」
「名声より命あっての物種だと思うんですけどお!」
「それはそうだけどッ!!でもここまで女四人だけで必死に頑張ってきたのに、やっぱ女だけじゃ無理だっただろうなんて言われるのは癪じゃないの!!」
「私はプライドより命が惜しいですう!!」
回復魔法使いが撤退を推奨しているが、剣士と攻撃魔法使いの方は引くに引けない状況であるらしい。確かに年若い美少女だけの冒険者四人組なんて、碌でもない輩からすればどうぞ狙ってくださいと言っているように見えるだろうからな。
そんな中でわざわざ竜神の威光に平伏しその傍に侍るA級魔物たちがゴロゴロいるこの霊峰に登ってこられるだけの確かな実力者にまで昇りつめたのだから、ここに至るまでに彼女らが積み重ねてきた努力や苦労は並々ならぬものがあったのだろう。少なくとも生きて山頂付近まで来られた時点で、かなりの実力者揃いであることは間違いない。
「人間共よ!そろそろ時間が押している故、遊びは終わりだ!」
「遊びだとお!?」
「舐めんなあ!!」
「おふたりとも!!破れかぶれの突撃はまずいですう!!」
師匠の翼のはためきひとつひとつが、人間が立っているのも難しい程の強烈な風圧と重圧、そして威圧を振りまき、肌がビリビリとヒリつきそうなぐらいの猛烈なプレッシャーが迸っている。それを受けてまだ立っていられるどころか戦意を失わずにいられるだけで大したものだ。大抵の人間は心が折れてしまってもおかしくない程の神の威光が黄金の粒子となってキラキラと可視化されていく。
やがてその口から吐かれた、眩い黄金の極太ブレスが直撃してしまった捨て身のふたりと岩肌にうつ伏せに倒れているひとり、計三人の冒険者達は、悲鳴を上げることも出来ずにその身を輝かしい黄金像へと変えられてしまった。
「あ、ああ!?ラメさん!!チヤハさん!!ナギサさん!?……そんな!!」
ただひとり残されてしまった回復魔法使いの美少女が、絶望と共に途方に暮れた表情を浮かべる。
「さて、残るはそなた独りになってしまったな?まだ続けるか?」
「い、嫌!!来ないで!!嫌あああ!!」
絶叫と共に杖を握りしめ、悲鳴を上げながら一目散に逃げ去っていく回復魔法使い。アタッカーが全滅してしまいヒーラーひとり残されたところでって感じだからな。とはいえ腰を抜かさず即座に走って逃げられる辺り、中々の胆力の持ち主と言える。まさしく触らぬ神に祟りなし、だなこの状況。
「師匠、大丈夫でしたか?」
「おお、ホークか!待たせてしまってすまなんだな!そなたが来る前に片付けようと思うておったのだが、久しぶりに骨のある人間共であったが故、ついな!」
ついさっきまで生きていた黄金像三つには一切の興味も一瞥もくれず、俺が声をかけるなり嬉々として笑みを浮かべる優雅な姿は紛れもなく超越者のそれだ。とはいえ、積極的に人里に降りて害をなすでもなくただこの山で静かに生きているだけの師匠を一方的に殺しに来て返り討ちに遭ったのだから、冒険者連中の完全な自業自得だもんな。
「して、我が弟子よ。空高く浮かぶアレはそなたの新しい玩具か?」
「あ、お気付きだったのですね。さすがは師匠です」
そんなわけで、俺は師匠にシェリーとヴィクトゥルーユ号を紹介し、超古代文明の遺跡と古代人の遺産を発見してしまったことを報告することになった。
「なるほど、古代人共の名残りか。しかし、よもや宇宙にまで進出していようとはな。恐るるべきは人の英知と好奇心、か」
「お初にお目にかかります、旧き神。わたくし、人類種の繁栄を支援・補助する電子の人工妖精、シェリーと申します」
「旧き神、旧き神か。なるほど、そなたらからしても、余は年寄りもよいところやもしれぬ」
「いいえ、いいえ。如何に時が流れようとも変わらぬその威厳、より一層洗練されたその魔力。ああ、なんとも懐かしく」
幸い師匠とシェリーは何千年以上も前から生きている者同士、シンパシーでも感じ合ったのか数千年前トークに花を咲かせ始めた。仲よくなれそうで何よりである。
「そうだ師匠、ヴィクトゥルーユ号なのですが、この山の近くに停泊させてもらっていてもいいですか?王国内に停めておくと飛空艇扱いで税金がかかってしまうので」
「構わぬ。ああ、そうだ。ひとつだけ、条件を付けさせてもらおうか」
「なんです?」
「余を、宇宙に連れてゆけ。さしもの余も、生身で宇宙を飛んだ経験はないのでな」
「それぐらいならお安い御用です」
かくして俺は、藤の花を見に行く前に、師匠を宇宙へとご招待することになった。