第96話 決戦、決着、結果、結論
その日は朝から雨が降っていた。女神教の総本山、霊峰ベリーズ山に建造されたその神殿で、異端審問部隊、ディヴァインズエイトのサブリーダー、ライラックは苛立っていた。
「まだお姉様の行方はわかりませんの!?」
「申し訳ございません!全力で捜索してはいるのですが」
「言い訳は結構!お前たちの無能さには本当にウンザリさせられます!言い訳をしている暇があるのなら、お前自身も捜索に加わったらどうなの!」
「も、申し訳ございません!」
青褪めた顔で逃げるように去っていく。
「ルージュ!...ルージュ!!」
呼べばすぐに馳せ参じるよう待機させているディヴァインズエイトの部下の名を呼んでも誰も来ないことに苛立ちを感じたライラックは、玉座に座らされている物言わぬ人形、女教皇の脚を苛立ち混じりに蹴り上げる。
誰かに見られたら大騒ぎになるような暴挙だが、女教皇の間には限られた選ばれた一握の人間、過激派の幹部のみが出入りを許されるということで他派閥の人間を締め出しているため、その心配はない。
「ルージュ!アズーリ!レモーネ!!どうして誰も来ないの?わたくしをバカにしていらっしゃるのかしら!?」
ヒステリックに叫ぶ。無理もない。ディヴァインズエイトのリーダー、サミコはライラックの恋人だ。もう四十年以上の付きあいであり、女神教の秘儀を使い若さと美しさを維持しているため、傍目には10歳ぐらいの美幼女と17歳ぐらいの美少女のカップリングにしか見えないが、中身は結構熟している。
「ちょっと!誰かいな」
パシャリ、と彼女の姿が内側から弾けた。だが、飛び散るのは血肉ではない。真っ黒な闇が迸り、黒曜石の破片のような欠片、破裂した風船の残滓がごとき、彼女だったものの黒い残骸が、自身の影に沈むように音もなく落下していき、やがて全てを飲み込んだ影が、ふっと掻き消えてしまう。
「っ!」
そしてライラックがこの世から消失したことにより、彼女に催眠魔法をかけられていた女教皇(影武者)が、我に返る。
「ここは...」
「エレーナ!」
「アンジェラ様!?」
「しーっ!静かに!」
外部に避難させた本物の女教皇の身代わりになって、一時的に彼女の影武者となり代わりに催眠魔法をかけられたことまでは覚えていた穏健派の侍女、偽女教皇が、突如として現れ駆け寄ってきた本物のアンジェラに抱き締められ、目を白黒させる。
「一体何が起きたのでございますか?」
「助けが来たのよ。もう過激派の暴走や陰謀はおしまい。さ、急いで服を脱いでちょうだい!」
「え?えええ!?」
「え?ち、違うわよ!女教皇の服を私が着るから、あなたが私の服を着てってだけ!いやらしい意味じゃないんだから!!」
☆★☆★☆
ゴキリ、と首がへし折れる。クレソンが素手で掴んでへし折ったのだ。まるでアルミ缶でも潰すように、ベキベキと容易くひしゃげていく。腕に装備したガントレットに装着された宝石が鈍く光り、亡骸が瞬時に蒸発。
音もなく、刃物が喉を掻っ切る。オリーヴが背後から近寄り、一閃。それだけで悲鳴を上げる暇もなく、人は死ぬ。実に呆気なく。血が噴き出すよりも先に、短刀に装着された宝石が淡く輝き、死骸が一瞬で消し飛ぶ。
闇が、影から這い上がってくる。悲鳴を上げることも能わず、自身の影に呑み込まれていく。そうして、影は消失し、その持ち主ごと、綺麗さっぱり消えてしまった。最初からそこには誰も、何も、なかったかのように。
「なんか、呆気ねえな。張り合いがねえというか、つまんねえ」
「しょうがないよ。今回の一件は、女神教の内々で秘密裏に処理しなくちゃいけないんだもん」
「曲がりなりにも今まで最大派閥であった一派が粛清され、結構な数の人間が闇に葬られるわけだからな」
ホークお手製の魔道具を装備し、誰にも気づかれることなく暗殺を遂行していく三人の手で、女神教を私物化していた者、女神教の権力を乱用していた者、不当に他者を虐げ、苦しめてきた者たちが、次々と物理的にこの世から消えていく。
深い深い闇の泥濘の底、光の届かぬ深淵の中へ。あるいは、超高圧電流により、炭も灰も残さず。神聖な神殿を血で穢すことなく、淡々と人だけが減っていく。
向こうさんからすれば悪夢だろう。だが、夢を見る人間が全員いなくなれば、悪夢も終わる。後に残されるのは、悪夢よりは多少マシな現実だけだ。
「やられる前にやれ、か。まさにその通りだったね」
一旦やられてからその後で正当な理由で反撃するよりも、やられそうになったのでかわしてカウンターパンチを叩き込んで相手の息の根を止めてしまった方が手っ取り早く、また被害も少なくて済む。
こうして十数年に渡る女神教過激派の天下は幕を閉じ、時代は穏健派へと移り変わっていくのだろう。それがどんなものになるかはわからないが、少なくとも今までよりはずっとマシなものであってくれればそれでよいと、ホークは思う。