侯爵令息の記憶
それは僕が7歳の時。
熱を出してしまって寝込み、屋敷中に心配をかけつつも看病されていた。
体力を付けねば、と侍女が張り切って僕の口元に食事を運んだそのとき。
侍女のアマンダが、一瞬、かつての姉にダブって見えた。
「ーーーぇ?」
僕に姉はいない。年の離れた兄しか、いや、違う。
これは、かつての姉だ。
前世のときの、姉だ!
「うぐうぅぅぅぅぅうう!」
「?! て、テオドア様?!」
強烈な吐き気とまるで頭をハンマーで殴られているような痛みに、僕は豪奢なベッドでのたうち回る。
痛い、痛い、痛い!
「誰か!誰かお医者様を!テオドア様が、テオドア様の様子がーーー!」
侍女の声も騒がしくなる屋敷も全部全部、何も目に入らない。痛みに叫びながら僕は前世を思い出して、そして気を失った。
僕には前世があった。この世界とはまるで違う、地球の日本というところ。
そこには魔法なんかなくて、変わりに科学の世界。魔法には劣るもののとても便利な世界だったと思う。
ただ、僕はその便利さだったり、素晴らしさをあまり理解しきれていなかったんだと今になって実感する。
ーー前世の僕の体は、首から下が全く動くことがなかったから。
「テオ?本当にもう大丈夫なの?」
熱が下がってベッドから起き出し、家族と一緒に朝食をとろうと準備をまっていると、お母様がそう声をかけてきた。お母様は、美しい顔を心配そうに歪ませて僕を見ている。その瞳は、本当に僕を心配して、愛してくれているのがわかって一瞬鼻の奥がつんとした。
「はい、お母様。もうどこも辛くなんてないです」
「少しでも体が辛かったらすぐに伝えるのですよ?怠さはない?あぁ、でもやっぱりベッドに戻ったほうがー」
お母様が僕に近寄る。あまりにもおろおろとするその姿が微笑ましくてつい僕は笑ってしまう。心配させているのに、とても心が温かかった。
「テオ!もう!ベッドに入っていないとダメだろう!」
食堂の入り口からお兄様の声。よく通る声に驚いて振り返ると、二人のお兄様が僕に駆け寄ってくる。その顔には僕のことが心配だとありありと浮かんでいた。
「ーふふっ。熱はもう下がりました。お母様とも今その話を…」
「下がったと言ってもまたぶり返すかもしれないだろう?!今日1日、いやもう3日ほどはベッドに入っていたほうがいいだろう!」
「兄上、あまり大きな声を出さないでくれ!さぁテオ、俺と部屋に戻ろうな」
「レオ兄様、ジーク兄様も…。もう僕は大丈夫ですってば」
涙が出そうだった。この世界の僕の家族があまりにも温かくて。思い出す前から大好きな僕の家族。今はもっと好きになっている。
泣きそうになりながらもなんとか堪えようとしていたのに、起き上がっている僕を目にしたお父様が慌てて僕に羽織りを被せてベッドに戻そうとして、僕はとうとう涙をこぼした。
家族みんなが僕のベッドを囲み、せめて今日はおとなしくしておきなさいと涙を拭ってくれる。使用人たちも暖かい目で、微笑んでいた。
お父様もお母様も、レオ兄様もジーク兄様も。僕の手を握って代わる代わる言葉をかけてくれる。こんな人達が、僕の家族だなんて、なんて幸福なんだろう。
やがてみんなが僕の部屋から出ていっても、ちっとも寂しくなんてなかった。
前世で、事故をした。
小学校からの帰り道に車に跳ねられる事故。手術が終わって目を覚ますと、僕の体は二度と動くことはなかった。僕は酷く落ち込んだような覚えがある。
1年生になったばかりで友達が出来ることもなく、それからの日々はベッドからの景色が全てだった。
テレビをボーッと眺め、ヘルパーさんに来てもらい、少しの話をして、介護をしてもらって、眠る。
それだけだった。家族はまるで僕のことを忘れたように、顔を会わせることはなかったっけな。
ふとなんとなく、手を持ち上げて目の前で握って開いてみる。動く。
ふとなんだか足が暑いような気がして布団から足をはみ出させてみる。動く。
思った通りに体が動く。
「神様、素敵な贈り物をありがとう…」
なんとか声に出してみたのに、それは笑えるくらいに震えていて、僕は声を圧し殺してまた泣いた。
どうして前世の僕が死んでしまったのかは覚えていない。
けど、素晴らしい家族と自由なこの体に僕の胸は嬉しさでいっぱいになっている。
今度は、幸せになれるかな。
今度は、どんなことが起こるかな。
明日が待ち遠しくてたまらない。
やってみたいことがグルグルと頭の中を駆け巡るのと、起きたばかりなのとで僕はなかなか寝付けなかった。
今度はー、恋も出来るだろうか。
僕が好きになるのはいつだって男の人だけれど。