聖愚者の旅立ち 04-11
そこは、広く洞窟のように昏い空間であった。
その闇の中で、星なき漆黒の夜に輝く月のように白衣を薄明に浮かびあがらせるおとこがいる。
フランツ・フェルディナンドで、あった。
フランツは闇の中に浮かぶ船のようなリニアシートに腰を下ろし、自分のまわりに遊星のように輝くウインドウを幾つも立ち上げ作業をしている。
ヴァーチャルコンソールに指を走らせていく姿は、アーティストが楽器を演奏しているようであった。
フランツの周りでは三体のUI、ウルズ、スクルド、ヴェルザンディがいつもの純白レースで飾られた黒いドレス姿で宙に浮いたまま作業をしている。
まだ、全天周スクリーンには灯が入っておらず、フランツたちは暗黒が詰まった卵の中にいるようだ。
そして通常の船より大きく、CICに近い規模のあるコンソールデッキの中心には大きなおとこが座っている。
戦士が持つ頑強な肉体を纏ったそのおとこは、ロキ王であった。
ロキは、手元のヴァーチャルコンソールのウインドウで作業の進捗状況を見ている。
王が乗艦していなければ起動すらできないという奇妙な宇宙戦艦、パルシファル。
その船は、間違いなく目覚めに近づいていた。
それはシステムが実行している対消滅エンジンの起動プロセスが、最終段階に入っているという事実だけではなく。
ロキ自身が、船の目覚めを感じ取っていた。
このパルシファルは通常の宇宙戦艦と違い、人工生命体デーモンが搭載されていない。
だからデーモンと精神をシンクロさせるパイロットも、理論的には存在する必要がなかった。
だが、ロキは感じている。
まるで、パルシファルそのものと自分自身がシンクロしていくような、不思議な感覚であった。
まだ生まれ出でぬ無垢なる精神が、ロキのこころの奥底に目覚めを前にして放つ息吹を吹きかけている。
このパルシファルは、あらゆる点が奇妙な船であるからそんなことを気にしてもしかたがないのかもしれない。
しかしロキは、ある種の奇跡を目の当たりにしているようだと思う。そして、その奇跡をおこす神秘性に、祈るような思いを捧げる。ロキは、夜明けを待つ幼子のように無心な気持ちで、じっとその無垢なる精神の目覚めを待っていた。
唐突に、フランツが雄叫びをあげる。
ロキは、拳を振り上げ歓声をあげる若い科学者を片方の眉をあげ見つめた。
白衣の科学者はリニアシートに立ち上がり、興奮でその美貌を朱に染めている。
「やった、やりましたよ、王陛下。セットアップが完了しました!」
フランツはロキのほうを向くと、人差し指をたてる。
「いいですか、王陛下。銀河広しといえども、この短期間でマニュアルどころか起動実績すらない宇宙戦艦のシステムセットアップができるにんげんなんて」
フランツは、サファイアのように青く輝く瞳でぐっとロキを睨んだ。
「この僕、フランツ・フェルディナンド以外にはいやしませんよ」
ロキは、頷く。精悍なロキの顔の中で力強く輝く黒い瞳が、いっそう強い光を帯びる。
「よくやってくれた、フランツ君。君には、深く感謝をする。では、はじめようではないか」
ロキは、にやりと笑う。
「聖なる愚者の旅立ちを祝う、宴を」




