戦場乙女の帰還 03-03
ケンは、今度は挑発にのらない。
間合いを保ったまま、その場で垂直に跳びはじめる。
とーん、とーん、と。軽やかなリズムに乗って。
とても自然で、軽やかな動きの跳躍だった。
格闘技のフットワークというより、陸上競技者の準備動作を思わせる。
ダーナは、口を歪めむうと唸った。
ダーナは、ケンに全ての問題を拳で解決するのは無理だから、知恵と人間力を磨いておく必要があると伝えようとしている。
彼女流の、ぶっとんだやり方ではあるが。
ダーナは、ケンに勝ち目はないと思っている。
ゲームであれば、ダーナはケンが失敗する未来を選択し続けることができた。
むろんケンが本気になれば別だが、その可能性は無いと思っている。
しかしどうやらケンは、彼流のぶっとんだやり方で切り抜けるつもりらしい。
ダーナは、ファイティングポーズをとりケンの動きを見つめる。
いつしかケンの踏むステップは、とても速くなっていた。
それだけではなく、左右に幅を持ってステップを踏んでいる。
なにかいいようのない緊張感が、士官食堂を満たしていく。
あれほど騒ぎ立てていた少年たちも、沈黙にのみこまれていた。
ケンのステップは、動画を十倍速で再生したような速度になっていく。
ステップの速度が速まるのに比例して、緊張も否応無く高まった。それは針を刺せば弾け飛ぶところに、達していた。
極限まで満ちた緊張感が耐えきれずに破裂したかのように、それがはじまる。
ケンのステップは、ひとの限界を超えたレベルまで速度があがった。
一瞬、ケンの姿が霞に包まれたように朧気になる。
次の瞬間、ダーナは目の前にふたりのケンが迫っているのをみた。
ダーナは、驚きで息が止まる。
遠いところで、少年たちのどよめきが聞こえた。
ダーナもまた、深い集中に入り込む。
まるで深い水の中に沈んだように、ダーナの意識は世界から切り離される。
その後の動作は、意識を越えた本能的なものであった。
「うああぁぁぁ!」
ダーナの口から、叫びが迸っていた。
ダーナの身体も人間の極限を超えた速度で回転し、後ろ回し蹴りを二人のケンをまとめてなぎ倒すように放つ。
ダーナは全身が悲鳴をあげるのを感じ、顔を歪める。
颶風を巻き起こし、ケンを吹き飛ばすようにダーナの回し蹴りが疾った。
ダーナは確かにケンに蹴りを命中させたと、思う。
しかし、現実にはなんの手応えもなく、回し蹴りは空を切っていた。
ダーナが薙払ったのは、たんなる虚像だったらしい。
半回転し後ろ向きに着地したダーナは、驚愕に目を見開く。
ダーナの目の前に、ケンの顔があった。
息を吐けば、届くほどの距離。
ダーナは、とても無防備な状態でケンの前に着地したことを知る。
ダーナは反射的に身を沈め、ケンの拳をかわそうとした。
しかし、ケンも同時に身を沈めている。
二人の顔は、さらに接近した。
一瞬。
ダーナの唇と、ケンの唇が軽く触れあう。
羽毛で撫でられたように、軽く素早い口づけ。
とん、とケンは跳躍し間合いをとる。
ダーナの脳が、起こったことを理解するのに少し時間がかかった。
少年たちが起こす歓声が食堂を震わせたときに、ようやくダーナは顔を真っ赤に染め唇を押さえる。
ダーナは、ケンが微笑むのをみた。
「いっとくが、おれのは敗北の接吻じゃあないぜ」
ダーナは、くらくらと目眩を感じながらケンの言葉を聞く。
「これは勝利の口づけだ。あんたの勝ちでいい」
再び、歓声が食堂を震わせる。
ダーナはケンがいつもは決してみせないような、穏やかで静かな笑みを浮かべていることに気づく。
その表情は、優しげにすらみえる。
とたんに、ダーナはもの凄い怒りに襲われた。
ダーナは、本能のまま動きケンの股間を蹴り上げる。
なぜか油断しきっていたケンは、普通では決してくらわないようなダーナの真っ直ぐな蹴りを受けてしまう。
「ぐえぇ」
酷く苦しげな呻きをあげ、ケンはうずくまった。
少年たちは、どんびきになって食堂が静まりかえる。
ダーナはあえてその空気を無視して、両手を差し上げて勝利をアピールした。
しかし、少年たちはだれも応えない。食堂は、静まりかえったままだ。
「ど、どうよ。わたしの勝ちね。こ、これで、正義はなされた!」
ダーナは、しどろもどろになって叫ぶ。そのアピールに、反応するものはいない。
少年たちにしてみれば、ケンが敗北宣言した時点で勝負はついたはずなのだ。
その後にダーナがやったことは、格下のものが強敵相手にやるときにだけ許されることである。
勝利者が、敗者にやっていいことではない。
だが、誰も正面切ってダーナを非難するものはいなかった。
少年たちはぼそぼそ呟きあって、ある結論に達する。
ケン・ブラックソードは、並外れて凄い。
しかしダーナ王女はそれを大きく上回って、恐ろしい。
ダーナは、再び敬礼をする。
「そ、それでは諸君。引き続き王国のため、健闘されんことを願う!」
そう言い終えると、ダーナはそそくさと帰っていった。
少年たちは、静かに拍手をしてダーナ王女を送る。
グスタフは、ケンのそばにきてうずくまるケンの腰をとんとん叩く。
「何やってるんですか、隊長」
グスタフは、呆れた声をだす。
「全く、餓鬼じゃぁあるまいし」
蒼い顔をして冷や汗を流すケンは、言葉を絞り出す。
「どう考えても、おれは餓鬼だよ。正真正銘の」
グスタフは、苦笑する。
まあ確かに、そうなんだろう。
グスタフは、時折目の前の戦闘隊長が十七歳の子供であることを忘れてしまう。
グスタフは、小声で囁く。
「今度、陸に上がった時におんなの口説き方を伝授しますよ」
ケンは、苦しみながら少し笑みを浮かべ、頷いた。




