第四章:ミモリとの再会
自分でも分からないことだらけで、苛々した気持ちで、ユノアは気分を変えようと空を見上げた。何気なく見渡したリーベルクーンの建物の屋根の一つに、ユノアの目はくぎ付けになった。
最初は信じられなかった。錯覚かと思った。だが、見間違いなどではない。それは、確かに、ミモリだった。
相変わらず、ボロボロの惨めな服に身を包み、髪の毛はぼさぼさで、身体は貧弱にやせ細っている。だがその容姿が、間違いなくミモリなのだと物語っている。
「ミ、モリ…!」
茫然としていたユノアの顔が、怒りに燃えあがった。その瞳の色が、穏やかな薄茶色から、鮮やかなエメラルドグリーンに変わったことに、ミヨは気付いた。
驚くミヨを置いて、ユノアは物凄い速さで走り始めた。通行人がユノアの前に通りがかる。ぶつかる寸前で、ユノアは空高く跳びあがった。
一跳びで、ユノアはミモリの元へと辿り着いた。その動きの速さには、チュチさえついていけなかった。
ミモリがユノアに気付いた直後には、その身体は荒々しく押し倒されていた。
ユノアは怒りに燃えたぎる心のまま、ミモリの首元を強く抑えつけた。
「ミモリ!」
組み敷かれたミモリは、信じられないといった表情でユノアを見上げた。ただ、顔に深く刻まれた皺のせいで、表情は極めて分かりにくいが…。
「ユノア。お前、わしのことが見えるのか…?そうか。神殿に行ったせいで、お前の中の力が目覚めたのか」
ミモリの視線は、エメラルドグリーンに変わったユノアの瞳に注がれていた。茫然とした様子のミモリとは対照的に、ユノアは激しい口調でミモリに向かって叫んだ。
「ミモリ!お前、よくも…!!どうして、お父さんとお母さんを助けなかったの!?ずっと傍で見ていたんでしょう?お父さんとお母さんが、…殺されるのを。お前は、黙って見ていたの!?」
それは、ずっとユノアの中にあった疑問だった。ミモリは、ユノアを見守り続けると言っていた。ならば、殺されそうになっているダカンとカヤのことも、見ていた筈なのだ。
「お前になら、お父さんとお母さんを助けることが出来た筈!何故…?どうして、助けなかったの!!」
ユノアの目に、涙が溢れた。悔しくて仕方なかった。ハドクを殺してしまった後、ダカンとカヤの身を案じてファド村へ急いでいる間も、心のどこかで、きっとミモリが守ってくれるという期待があったのだ。だがその期待は、粉々に打ち砕かれた。村に着いたユノアが見たのは、無残に殺された、ダカンとカヤの姿だった。
ミモリの顔の上に、ユノアの涙が降り注ぐ。
ミモリは静かにユノアに語りかけた。
「…言った筈じゃ。わしは、見守ることを定められた者。世の中の動きを見守っているだけで、目の前で何が起きようと、決して手出しはせぬ」
ユノアは顔を歪め、唇を噛みしめた。
「…では、お父さんとお母さんが殺されるのを、ただ見ていたというの?どうしてそんなことが出来るの!ずっと傍で見守っていたというのなら、殺されるお父さんとお母さんを、哀れだとは思わなかったの?」
「…それが、わしの定めなのじゃ」
更に憎悪を燃えたぎらせるユノアの胸を、ミモリはとんと押した。ひ弱そうに見えるその腕からは、想像もできない強い力で押されて、ユノアは後方へ弾き飛ばされた。
軽やかな動きでミモリは立ちあがり、憎悪の眼差しで睨みつけるユノアを、涼しい表情で見つめた。
「…ダカンとカヤの最後に関しては、可哀そうなことじゃった。じゃがわしは、後ろめたい思いなど何もない。あのとき死ぬことは、あの二人の定めだったのじゃろう。…二人の死に関しては、ユノア、お前の中で、既に整理のついていることじゃろう?今更、後戻りをするでない」
ユノアはぎりぎりと歯を噛みしめた。何て言い草だろう。ダカンとカヤを見殺しにしておきながら、謝罪の言葉一つするつもりがないのか。ミモリの飄々とした態度を、何とか崩してやりたかった。
だがミモリは、これ以上ユノアと話をしているつもりはないようだった。ミモリの身体がどんどんと薄れていく。ユノアは驚いて駆け寄ろうとした。
ミモリはユノアに言った。
「過去に囚われている暇など、お前にはないのじゃぞ。今も新たに、重要な人物と出会ったのじゃろう?…ユノア。お前の前には、辛く長い道が続いている。わしのことを気にする暇があるなら、その前に、己の為すべきことを為せ」
その姿が完全に消えてしまう寸前、ミモリは言った。
「ユノア。お前以外にも、この地上に降りてきた星姫がいるぞ…。星姫が同時期に二人、地上に存在するとは、前代未聞の事態じゃ。これからこの世の歴史がどう動いていくのか、わしにも全く見当がつかぬ。…もう一人の星姫と、お前はいつか対峙するときが来るじゃろう。その時のために、決して時間を無駄にせず、お前に出来ることを全力でやり遂げるのじゃ。お前と、もう一人の星姫が、この世の歴史を決める。そのことを、決して忘れるな…」
遂に、ミモリの姿は見えなくなった。ユノアは辺りを見渡してその姿を見つけようとしたが、ミモリの気配さえ、もはや感じ取ることは出来なかった。
ミモリへの怒りは、もはやユノアの心にはなかった。今心を占めているのは、ミモリの言った言葉だった。
(星姫が、もう一人いる…?どういうこと?一体、どこにいるというの?)
自分が、この世の歴史を導くという星姫であることを、ユノアは今の今まで忘れていた。自分がそんな重要な存在であるということなど、今だもって実感さえ出来ない。目の前にある問題に向き合うことで精いっぱいだ。
それなのに、もう一人星姫がいると言われても…。ユノアの頭の中は、混乱の極致にあった。
そのとき、ユノアの耳にミヨの叫び声と、チュチが激しく鳴き立てる声が聞こえてきた。
「ユノアぁ!」
驚いてユノアが視線を向けた先に、ツェキータ兵に囚われたミヨの姿があった。
気付けば、ユノアの立つ屋根の建物の下には、大勢の人だかりが出来ていた。人間とは思えない驚異的な身体能力で屋根の上に飛び上がったユノアは、いやがおうにも人目を引いた。それを目撃した通行人の通報で、兵士が駆けつけてきたのだった。
決して目立つなというヒノトの指示は、あっけなく破られてしまった。
兵士がユノアに向かって声を荒げた。
「友の身を案じるのならば、大人しく降りてこい。我々に従うのならば、何も危害は加えない」
ユノアに戦う理由などなかった。兵士の指示に従い、ユノアは大人しく地上へと降り立った。
兵士に連行されていくユノアを、一足違いで追いついた神官は、悔しそうに唇を噛みしめながら見つめていた。
(仕方がない。事実をイェナサ様にお伝えしよう)
イェナサに報告するため、神官は急いで神殿へと引き返していった。