第四章:入るだけでも一苦労
ようやく船から降りると、今度は過酷な人波に耐えなければならなかった。
辺りの喧騒にかき消されないように、ヒノトは大声で叫んだ。
「いいか?絶対にはぐれるなよ!この街ではぐれたら、探し出すのは大変だ。俺もゆっくり歩くから、みんなも仲間の姿を確認しながら、着いてきてくれ」
ミヨが不安そうにユノアの手を握ってきた。
「ユノア…。怖いよ。手を握って、一緒に行こう」
「うん、ミヨ…」
二人は強く手を握り合った。ユノアは急いで、チュチを胸元の服の中に押し込んだ。チュチは少し暴れたが、緊迫した状況が分かったのか、服の中で大人しくしている。
先頭を行くヒノトは背が高いので、人ごみの中でもその姿を確認することは出来る。でも、前に進もうとしても、すぐに人が立ち塞がってしまうので、なかなか上手く進めないのだ。ヒノトの姿はどんどん遠くなってしまうようだった。
「ユ、ユノアぁ…」
ミヨが心細そうに、ぎゅっと手を握りしめてきた。
その時、二人の目の前に突然、巨大な人影が立ち塞がった。
「おい、お前ら!…何してるんだ。置いていかれるぞ」
それはオタジだった。オタジを見て、思わずユノアとミヨは泣きべそ顔になる。
「オ、オタジ将軍!良かったぁぁ。置いていかれたかと思いました。だって、前に進もうと思っても、進めないんですもの!」
「馬っ鹿だなぁ…。この街で遠慮してたら、一歩も進めないぞ。ほら。俺の後についてこい」
そう言ってオタジは、すいすいと前に進み始めた。辺りを埋め尽くす人の波が、オタジを避けるように横へと逸れていく。あまりにも簡単に前へ進めるので、ユノアは可笑しくなってきてしまった。オタジの巨体に弾き飛ばされた人々は、さぞ驚いていることだろう。
何とかヒノトに追いついて、ユノアはほっと息をついた。だが今度こそ離れないようにと、気合いを入れ直す。
だんだんと、リーベルクーンの街を囲う城壁が近づいてくる。砂漠の砂と同じ色をした城壁が、街全体をぐるりと囲んでいるようだ。
城壁の周りだけで、一体どれだけの人がいるのだろう。優に万単位はいそうだ。その人々を迎え入れるリーベルクーンの城壁で囲まれた都市に、吸い込まれるように人の群れが入っていき、また、吐きだされていく。どれだけ人が出入りしようとも、リーベルクーンの街は堂々と佇んでいる。無数の人々を前にしても動じない大きさが、この街にはある。
(それにしても…)
ヒノトは、自嘲気味に笑った。今この場所で、とても自分が一国の王だとは思えない状況にあるからだ。人の波に埋もれ、一歩先に進むのでさえ苦労するような状態だ。周りにいる一般の人達と、何ら変わらない姿だ。威厳も何も、あったものではない。
まさかジュセノス王国の国王がそこにいるとは、きっと誰も気付いてはいないだろう。
いや果たして、このリーベルクーンの街で、一体どれほどの人が、ジュセノス王国という国があることを知っているのだろう。世界には一三二の国があると言われているが、ジュセノス王国はその中で、中規模王国の一つに数えられるに過ぎないのだ。グアヌイ王国との悲惨な戦いも、この街にくれば、あまりに小さな出来事に過ぎないのではないかという思いに駆られるのが、恐ろしい。
ヒノトは複雑な想いで、あまりに巨大なリーベルクーンの街を見上げた。その城壁は高く、空をも隠してしまいそうだ。
大きなリーベルクーンの街が、ヒノトには、この街の支配者であるリックイ王そのものに見えていた。
リーベルクーンに入るためには、城門の手前に造られている検問所で、審査を受けなければならない。そこにもまた、長蛇の列が出来ていた。
列に並んで待つ人々の視線は、城門に釘付けになっていた。何故ならそれが、黄金で出来ていたからだ。
黄金の城門を見上げて、ヒノトは圧倒される想いだった。
(さすが、黄金の国と言われるツェキータ王国だな…。これくらいの黄金は、大した負担にもならないんだろうな…。この門一つ分の黄金がジュセノス王国に与えられれば、元グアヌイ王国の民全ての空腹を満たしてやれるんだろうが…)
だが自分の考えを、ヒノトは一笑した。ツェキータ王国の財力を羨んでも、仕方のないことだ。この財力の魅力に取りつかれ、故国への使命も忘れて、身を滅ぼした者も大勢いるのだと聞く。魅力的に思えるものほど、隠された牙は大きいものだ。
(この国の魅惑に、惑わされてはいけない…)
しっかりしなければ、と、ヒノトは頭を振った。
そんなとき隣から、ユノアの声が聞こえてきた。
「ヒノト様…。これは、何という生き物ですか?」
ユノアは視線を黄金の門に刻まれた彫刻に留めたまま、ヒノトにそう尋ねた。その彫刻から、目が離せなかった。
ヒノトも、門に刻まれた巨大な彫刻を見上げた。それは、躍動する獅子の身体に、凛々しい人間の男の顔をした彫刻だった。
「これは確か…。スフィンクスというものだ。この国では神と同等に敬われている、伝説の聖獣だ。実在するものではない」
「スフィンクス…」
今にも動き出しそうな彫刻のスフィンクスの迫力に、ユノアは思わず身震いした。
胸の奥で、何かが熱く蠢いた気がして、ユノアは思わず息をとめた。その気配を追おうとするが、胸の奥の熱さはあっという間に消え去ってしまった。
その熱さを、ユノアは以前にも感じたことがあった。だがその記憶を呼び覚ますのは、とても怖いことのようで、ユノアは頭を振って、自分の考えを中断させた。
ようやく検門の順番が回ってきた。ヒノトが自分の身分を明かすと、リーベルクーンの門番は、簡単にヒノト一行を通した。ツェキータ王国は、ジュセノス王国に悪い印象は持っていないのだと、ヒノトはとりあえずほっとした。