第四章:リックイ
船の中には、定員の百人を超す人々がひしめき合っていたが、誰もが砂漠での旅に疲れ果てているようで、船の中は異様に静まりかえっていた。
そんな中、一人の旅人が声を上げた。
「おい!軍隊が来るぞ。ツェキータ軍だ!」
その声に、自分もその姿を見ようと、船に乗っている多くの旅人が船の片側に集まったので、船は大きく傾いた。客達の悲鳴があがる。
船頭が慌てて客を宥めた。
「み、皆さん!どうか、落ち付いて!船の片側に寄らないでください。船がひっくり返ってしまう!」
だが客達の興奮は収まる気配がない。ヒノトは急いで部下達に指令した。
「俺達は、船の反対側に寄るんだ!」
乗組員の三分の一に当たるジュセノス王国の旅の一行が反対側に寄ったので、船は何とかバランスを保った。
一息つき、ユノアも背を伸ばしてツェキータ軍だという軍隊の様子を窺った。川沿いの道を、濛々と砂埃を上げながら、騎馬隊が進んでいく。その数、五〇〇はいるだろうか。
ヒノトや、キベイ、オタジも、ツェキータ軍の勇壮な姿を、食い入るように見つめている。
(ツェキータ軍…。世界最強の軍隊だ)
世界最強との呼び声高い評判に違うことなく、頑丈な鉄の鎧に身を包んだツェキータ軍は、一糸乱れぬ動きで進んでいく。
その時、また一人の旅人が声をあげた。
「見ろ!…あの先頭にいるお方は、リックイ王じゃないか!?」
その声に、船内は更なるパニックに陥った。
「リックイ王!?」
「リックイ王だと!」
人々はその姿を一目見ようと、船から身を乗り出している。そしてそれが紛れもなくリックイ王だと分かると、悲鳴に近い歓声があがった。その姿を見るのも恐れ多いと言わんばかりに、床に頭を擦りつけて拝んでいる者までいる。
「あの兜…。間違いない。リックイ王だ!」
先頭の人物は、黄金の蛇を象った兜を被っている。それが、リックイ王がいつも身につける兜なのだろう。
ユノアは思わず、隣にいたヒノトに尋ねた。
「ヒノト様。リックイ王というのは…」
ヒノトも唖然とした表情で、答えた。
「あ、ああ…。ユノアは知らなかったか?リックイ王とは、現ツェキータ国王の名だ。…だがまさか、こんなところでリックイ王の姿を見ることになるとは。厳重に警護された王宮の中か、外に出るとしても、軍隊の奥深くで守られている人だ。一般人が見ることが出来る方ではない。…何か緊急事態が起きて、こんな少人数で一軍を率いて出掛けたんだろうな」
この出会いは、単なる偶然なのだろうか。それとも…。何か、運命を示唆するものなのだろうか。
ユノアは再び、リックイ王に視線を戻した。
船上の騒ぎに気付いたのか、リックイが船に顔を向けた。黄金の兜の下でも、リックイの美貌が分かる。目鼻立ちのはっきりとした、彫の深い顔立ちだ。その目が鋭く光ったように思えて、こんなに離れていても感じられるリックイの持つオーラに、ユノアは思わずたじろいだ。
だがリックイはさほど興味を持たなかったようで、すぐに視線を前に戻してしまった。
だが、船客の興奮は極限に達したようで、身を乗り出し過ぎた数人の客が、川へと落ちてしまった。激しい水しぶきが上がる。
船頭が叫んだ。
「い、いかん!この川には、ワニがいるんだ。早く引き上げないと、食われるぞ!」
その言葉を聞いて、キベイとオタジがすぐに川へ飛び込んだ。
落ちた船客が暴れて立てた水音を聞きつけて、あっという間にワニが近づいてくる。初めてワニを見るユノアにも、水面から僅かに覗くごつごつとした皮膚を見て、それがとても恐ろしい生き物だと分かった。
何とかワニが牙を剥く前に、川に落ちた人々は救出された。
そんな騒ぎの間に、リックイ王率いる軍隊は、遥か彼方へと去ってしまっていた。
ツェキータ軍が去っていったその先の砂漠の中に、まるで蜃気楼のように、巨大な都市が姿を現した。
ユノアは隣のヒノトを仰いだ。
「ヒノト様!…あれが?」
「ああ、そうだ。あの都市が、リーベルクーンだ」
ユノアは驚きの表情でリーベルクーンを見つめた。今までの砂漠の殺伐とした風景がまるで嘘だったかのように、活気に満ちた都市がそこにはあった。
リーベルクーンに近づくにつれ、テセス川を通る船の数も、砂漠を行く旅の一団も、驚くほど増えていく。船同士がぶつかる危険性がある程、テセス川を航行する船の数が増えたので、ユノア達が乗る船も、帆をたたみ、速度を落として、慎重に進まなければならなかった。
船着き場に船をつけるだけでも、順番を待たなければならなかった。船が順番待ちをしている光景など、ユノアは初めてみた。
順番待ちをしている間、ユノアは周囲の船を観察した。船には多種多様な姿をした人達が乗っている。金色の髪の毛の人。もじゃもじゃの髪質の人。肌が黒い人。真っ白で透き通るような肌をした人。
(本当に世界中の国から、人が集まってきているんだ…)
ようやくユノアは、そのことを実感していた。