第四章:真夜中の訪問者
「まだ働いているのか…。こんなことでは、患者よりも、キサク先生が身体を壊しますよ」
部屋に入ってきたのは、ヒノトだった。
ヒノトが診療所を訪れるのは珍しいことではないが、こんな深夜に来るのは初めてのことだ。
ヒノトは、日に日に忙しさを増す診療所の噂を聞いて、心配になって様子を見に来たのだった。
「先生は、充分によくやってくださっている。これ以上無理をする必要はありません。いや、今ももう働き過ぎだ。私の無理な願いのせいで先生が身体を壊したりしたら、私はまた己の無能を責めなければならない」
ヒノトが目の前に座り、二人をじろりと睨んだので、二人は視線を合せて苦笑いしながら、作業を中断しなければならなかった。
実は以前にも、出来る範囲のことをやってくれればいいのだと、ヒノトに注意されたことがあったのだ。だがキサクは、目の前に病気の患者がいると、見捨てることが出来ず、何とか治療したいと思ってしまうのだった。
ヒノトの怒りはユノアにも向けられた。
「ユノア。お前もだぞ。医学を学ぶのはいいことだが、明日も軍の訓練があるんだろう?疲れた身体で訓練に望んで、怪我でもしたらどうする気だ?」
「は、はい…。ごめんなさい…」
だが、ヒノトに対してキサクから思わぬ反撃があった。
「ヒノト様。我々に対する批判は、ご自分が実践された後で言っていただきたいものですな。あなたこそ、今まで政務をなさっていたのでしょう?こんな場所に来ている暇があれば、睡眠を取られるべきです」
「い、いや。それは…」
反論できず、もごもごと口を動かしているヒノトを見て、思わずユノアは噴き出してしまった。
お腹を押さえて笑っているユノアを見て、ヒノトは渋い顔だ。
「…まいったな。お互い様というわけか」
「まあお互い、もっと自分の身体を気遣うという目標は明日から実践するとして…。今夜のところは多目に見ることにいたしましょう。私はもう少し仕事がありますので…。これだけやらせていただいてよろしいですか?」
キサクは、傍に積まれた薬草の山を指差した。
「仕方がない…。見逃そう。…だが明日から、明日から、と言っているうちに、きっと何年も目標は達成されないのだろうな」
「…まあ、それはそれで、よしとしましょう。これが我々の性分なのですから。持って生まれた運命です」
キサクは、薬の調合作業を再開した。ヒノトがそれを眺めていると、ユノアが蜂蜜紅茶を作って差し出してくれた。
紅茶を飲みながら、ヒノトはふぅっと息を吐いた。
「…ああ。疲れているときの紅茶は格別だ」
薬研を動かしながら、キサクは質問した。
「どうですか、ヒノト様。元グアヌイ王国の民達の、マティピへの流入は、まだ続きそうですか?」
「いや…。グアヌイ王国の領地に送った役人達による治世が、ようやく成果を見せ始めたようだ。治安は回復し、農民達は頑張って農作物を作ってくれ始めている。すぐに作物は出来ないが、豊作で充分な食物を得ることが出来れば、誰にも文句は言われず、腹いっぱい食事を取ることが出来るだろう。あちらに言った役人から聞いた話だが、グアヌイ王国の農地は決して、ジュセノス王国の農地に劣ることない、いい農場だそうだ。きちんと指導してやれば、きっと豊富な作物を得ることが出来る」
「そうですか…。それは良かった。同じ国に統合されたとはいえ、ジュセノス国民とグアヌイ国民の間には、深い溝が残ったままです。グアヌイ国民はやはり、自分達の生まれ育った土地で暮らすのが、幸せだと思います」
「そうだな…。長い間憎み合って来たんだ。そう簡単に親しく付き合えるとは、俺も思ってはいなかった。国民の間のわだかまりを解決してくれるのは、時間しかない。時が経てば、グアヌイ王国という国があったという事実は、人々の記憶から薄れていくだろう。焦らず、待つことだ」
ヒノトの言葉に、キサクは頷いている。