第三章:決着
(私は、死ぬのか…?)
突然、リャンを恐怖が襲った。たとえグアヌイ王国が滅びようとも、リャンは自分自身が死ぬことなど、不思議なことがだが、今まで一度も考えたことはなかった。
リャンはユノアに向かって顔を歪めてみせた。命乞いをしようとする、哀れな男の顔だった。
「ユ、ユノア…。私を、殺す気か!?」
ユノアは黙ったままだ。表情のないその顔は、冷酷にさえ見える。
リャンは更に懇願した。
「た、頼む。助けてくれ。…私を哀れとは思わないのか。お前に騙され、愛したために、主君を殺した反逆者となった。そのお前に、殺されようとしている私を見て、お前は何を思っている?そんなにも非情な女だったのか?」
ようやくユノアは口を開いた。
「…私は、私の信念を持って、行動してきました。あなたを騙したのも、今、あなたを殺そうとしていることも、全てはジュセノス王国のため。…あなたはどうなのですか?何のために、戦っていたのですか?」
ユノアの問いに、リャンは答えることが出来ず、口ごもった。
(何のため、だと…)
グアヌイ王国のためだと、答えることは出来なかった。では、ユノアのためか?ほんの一カ月程前にあった女のために、戦っているのか?
(いや、違う。私は…)
自分には、貫きたい信念が何もないことに気付かされて、リャンは愕然とした。
リャンは、がっくりと頭を垂れた。自分は負けたのだと、そう思った。
「…殺せ」
リャンの言葉に、ユノアの差し出す剣の先が震えた。ユノアの表情に、動揺が走っている。
もうリャンに、抵抗する気はないと見てとったユノアは、リャンから目を逸らし、ヒノトを振り返った。
「ヒノト様…」
どうしたらいいのか分からず、困惑した表情のユノアに、ヒノトがゆっくりと近づいていく。
身体に負った傷の痛みも感じさせず、ヒノトは堂々とリャンの前に立った。
「グアヌイ王国将軍、リャンよ。お前の望みを聞いてやろう。我がジュセノス王国の捕虜となるか。それとも、今ここで、死ぬか」
リャンは顔をあげ、ヒノトを見た。
「ヒノト王か…。惨いことを聞くものだ。私に選べるのならば、私の答えは一つしかない。生き残っても、私の味方は誰一人としていないだろう。生きることよりも、死ぬことの方が楽だと思えるこの惨めな気持ちが、分かるか」
ヒノトは厳しい表情で、リャンを見つめている。
「望みを聞いてくれるというのならば、一つ、頼みがある。私の命を奪う役目は、どうか、ユノアに…」
ヒノトはユノアに視線を移した。
「ユノア…」
判断は任せる、というようなヒノトの目だった。ユノアは動揺した。
(リャンを、殺す…?)
こんなにも自分が動揺するとは思えなかった。ジュセノス王国の敵将であるリャンを殺すことなど、ジュセノス兵士ならば、何の躊躇いもなく出来なければならないことだ。
震える手で剣を握りしめ、ユノアはリャンの前に立った。
青ざめるユノアとは対照的に、晴々とした表情で、リャンがユノアを見上げた。
「…武人として、恥ずべきことではあるが。ユノア、私はやはり、この人生で最も幸福だったことは、お前に出会えたことだった。偽りとはいえ、お前を愛し、愛されて過ごした日々…。私は、幸せだった」
だがユノアは、聞きたくないと言わんばかりにリャンを睨みつけ、剣を振り上げた。
リャンは素直に首を差し出した。その首目がけて、ユノアは剣を振り下ろした。
リャンの首が、地面に転げ落ちた。その数秒後、身体が地面に倒れこんだ。
首から流れ出した大量の地が、辺りを血の池に変えていく。
その光景を、ユノアは憔悴した表情で眺めていた。
「ユノア…」
ヒノトがそっとユノアの肩に手を置いた。
ヒノトを振り向いたユノアは、勝利を祝って笑おうとしたが、笑顔になる前に、意識を失ってしまった。
「ユノア!」
ヒノトは咄嗟にユノアの身体を支えた。そのまま腕の中で強く抱きしめた。
「…すまない。ユノア。すまない…!」
ユノアの心にまた、大きな傷が出来た。その傷は、これから一生、ユノアの中で暴れ続け、ユノアを苦しめるのだろう。
苦しむ、ということは、ユノアに課せられた運命なのだろうか。
ユノアを苦しめる歯車の一つになってしまった苦悩を抱えながら、ヒノトは長い間、ユノアを抱き締めていた。
ジュセノス軍とグアヌイ軍は、悲惨な戦いを続けていた。地面に横たわる仲間の死体を踏み越えて、敵に切りつけていく有様だった。
その中を、馬に乗ったガイリが駆け抜けていく。
「グアヌイ軍の兵士よ。武器を捨てろ!この戦争は、ジュセノス軍の勝利だ!お前達の将であるリャンは、我々が打ち取った!」
ガイリは手にリャンの首を持ち、高々と掲げている。それを見たグアヌイ軍の兵士は、あっという間に戦意を喪失し、次々と武器を手から離していった。
戦場に、ジュセノス軍の歓喜の声が湧きあがった。座り込んでうなだれるグアヌイ兵の横で跳び跳ねながら、ジュセノス兵は勝利を喜びあった。
もはや、一切の戦意を無くしたグアヌイ兵は、大人しく捕虜として連行されていく。
その光景を、ヒノトは静かな表情で見守っていた。
(終わったのか…)
長い戦いの歴史に、幕が引かれた。それも、ジュセノス王国の勝利という、最高の結末だ。
それなのに、心は晴れない。まるで心の中に、真っ黒な泥がつまっているような気分だった。
ヒノトは空を仰いだ。
(父上…。見ていますか。私はグアヌイ王国を、滅ぼしました…。これで、良かったのですか…?父上の敵は、討てたのでしょうか)
だがもちろん、ハルゼ王からの返答はない。
やりきれない想いを抱えたまま、ヒノトは慌ただしく戦後の処理に追われ、ジュセノス軍はマティピへの帰路に着いた。