第三章:リャンとユノア
「ヒノト様!」
動きの止まったリャンの前に、ユノアが飛び出した。ヒノトを守るように立ち塞がり、リャンに向かって剣を構える。
ヒノトは驚きの声を上げた。
「ユ、ユノア!?何故、ここへ!」
だが、それ以上に驚いているのはリャンだった。
リャンの目には、つい一週間前まで、愛し、愛されていると思っていた女が映っていた。愛しいユノアは、ジュセノス軍の鎧に身を包んで、自分に向かって剣を構えている。その髪は、見慣れない、異様な銀色だった。
「ユノア…」
リャンの口が、ユノアの名を呼ぶ。
「これは、ゲームなのか?私をからかって、楽しんでいるのか?そうなのだろう…?お前は、私と愛し合っていた筈だ。お前が敵軍の兵士などと、私は、そんなことは信じない」
以前のユノアなら、哀れなリャンの言葉に同情していたかもしれない。
スパイとして、リャンを騙し、利用するために送り込まれたユノアを、本気で愛したリャン。ユノアの策略に踊らされて、主君を裏切り、殺した。一人の女のために動いたリャンの行動によって、グアヌイ王国は滅亡の瀬戸際にまで追い込まれたのだ。後世の歴史には、愚かな将軍として名を残すことだろう。
それまでのリャンの、将軍としての功績を考えれば、あまりにも哀れだ。
だが今ユノアは、リャンに情けをかけるつもりはなかった。ユノアの心に、迷いはなかった。
ユノアの願いは、ヒノトの意思を叶えること。ただそれだけなのだ。
すがるような視線で見つめてくるリャンに、ユノアは静かに言い放った。
「リャン将軍…。私はあなたに、人として最低の行いをしたのかもしれません。でも私は、それを恥じるつもりはありません。あなたへの同情や償いの気持ちも、ありません。恨むならば、私をスパイと見抜けず、ただの演技でしかなかった愛情を、本物の愛情だと信じ、主君を裏切ったご自分の愚かさを、恨んでください」
それを聞いたリャンの顔は青ざめ、怒りに引きつった。ユノアに抱いていた幻想は、悉く砕け散った。
「…こんな性悪女を、愛してしまったとは。自分自身が恥ずかしい…!お前のために、私は、グアヌイ王国を滅ぼす張本人になってしまった。だが、それなのに…。私はやはり、ユノア、お前を、愛しているのだ」
ユノアは眉をひそめた。リャンの言葉が本気なのかどうか、分からなかったからだ。
リャンはユノアに向かって剣を構えた。
「前に言った筈だぞ、ユノア。私はお前を手放すつもりはない。お前が離れていこうとするならば、お前を殺してでも、私の傍に置いておく」
リャンはユノアを殺す気なのだ。それは、ユノアを愛するあまりの、狂った判断だった。
リャンの心にはもう、グアヌイ王国の行く末の心配など、微塵も残っていなかった。ただ、ユノアのことだけ。ユノアを自分のものにしたい。その想いだけだった。
ユノアも、リャンに向かって剣を構えた。
ユノアとリャンが睨みあっている隙に、ガイリがヒノトの元へ駆けつけてきた。
「王よ!ご無事ですか!?」
だが、ヒノトはガイリには目もくれない。見れば、重症ではないものの、ヒノトはたくさんの傷を負っていた。普通なら、その痛みで失神していてもおかしくない数だ。
それなのにヒノトは、ユノアに向かって手を伸ばした。
「ユ、ユノア…!」
ユノアとリャンの間に割り込もうとでもいうのか、馬を動かそうとするヒノトを、ガイリは必死に止めた。
「ヒノト王!いけません!」
だがヒノトの目は、ユノアにまっすぐに向けられたままだった。自分が情けなくて仕方ない。そんな叫びが聞こえてきそうな表情だ。
ヒノトの前で、ユノアとリャンは遂に剣を合わせた。
真正面からまともに打ち合っても、ユノアは剛腕のリャンにも力負けせず、打ち合っている。
ユノアの剣術を目の当たりにして、リャンは戸惑っていた。まさかユノアの剣の腕前が、これ程までだとは思わなかったのだ。リャンの剣の力に耐えるための構えも、次の動きに移る瞬発力も、非常に優れた剣士の動きだった。
リャンはユノアをあなどっていたのだ。まさか、自分とまともに戦える女がいるなど、信じられなかった。一般兵ならまだしも、グアヌイ王国の将軍として長年名声を得てきた、この自分からだ。
いや、それどころか、リャンはユノアに押されていた。渾身の力を込めて振り下ろられるユノアの剣に、リャンの剣は今にも弾き飛ばされそうだった。
大勢を崩し、リャンは馬から転げ落ちた。その後を追って、ユノアも馬から飛び降りた。
必死に剣を構え直し、リャンはユノアに立ち向かおうとした。だがもう、ユノアが繰り出す剣を防ぐことしか出来ない。
リャンの顔に、焦りが浮かんだ。
(こんな筈ではなかったのに!)
ユノアに勝つことなど、簡単な筈だった。ユノアを自分の腕の中に納めた後、後ろにいるガイリからどうやって逃れるか。それが問題だった筈なのに。
リャンの中で、今まで築き上げてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れていった。それは、武人としての自信と誇りだった。
リャンの剣が弾き飛ばされ、地面に落ちた。その目の前に、ユノアは剣を突き付けた。
静寂が、二人の間に流れた。息を切らし、大量の汗を流しながら、二人は無言で見つめ合った。