第三章:逃げ出したユノア
部屋の扉が打ち鳴らされる音がして、ようやくユノアは頭をあげた。
ずっとベッドに腰掛けたまま、ぼんやりしていたらしい。動くと、固まっていた肩や腰が痛んだ。
「ユノア?ユノア!」
それは、仲間のジュセノス兵の声だった。
ユノアは慌てて扉に駆け寄った。
鍵を外し、扉を開けたユノアを見て、四人のジュセノス兵はほっとした表情になった。
「お、前…。驚かすなよ!何かあったかと思ったじゃないか」
「ご、ごめんなさい…。私なんだか、ぼんやりしてて…」
「馬鹿やろう!敵陣で、ぼうっとする奴があるか!俺は、こっそりお前を連れだすつもりだったのに。こんな大きな音を立てて、誰かに気付かれでもしたら…」
そう言った途端、兵士は自分の言葉が現実になったことを知った。こちらに向かってばたばたと駆けてくる足音が聞こえる。
「何の騒ぎだ!?」
そう叫んで近づいてくるのは、間違いなく、シーダス王宮の警備兵達だ。
兵士は驚愕の表情でユノアを見つめると、その手を掴んだ。
「逃げるぞ!」
考えている余裕などなかった。今逃げなければ、次に逃げる機会はいつあるか分からない。いや、最悪の場合、リャンがユノアに不審を持ち、警戒を強めてしまうかもしれない。そうなれば、二度と逃げ出す機会は訪れないかもしれないのだ。
ユノアと四人のジュセノス兵は、松明の灯りに照らされた薄暗い王宮の中を、疾風のように駆け抜けていった。
部屋にいたリャンは、ユノアの元へ行こうとしていた。
激情に駆られ、リュガを殺してしまったことを後悔はしていない。だが酷く疲れていた。
(ユノアに会いたい…)
ユノアの顔を見て、その身体を抱き締めれば、疲れ切った心がきっと癒されると思った。
リャンは決意していた。今夜こそ、ユノアを抱こう。そして朝まで、ベッドの中でこの腕の中に抱き締めていよう。そうするより他に、この枯れ果てた心を潤す手段はないように思われた。
今まさに部屋を出ようとしていたリャンの目の前で、ノックもなく扉が開かれた。
飛び込んできた警備兵もまた、リャンが目の前にいたことに仰天したようだった。目を見開いたまま、ぜいぜいと喘いでいる。
「リャ、リャン、将軍!し、失礼、いたしました!」
不吉な予感に襲われながら、静かにリャンが尋ねた。
「…何事だ」
「将軍、ユノアが、ユノアが…」
リャンはかっと目を見開いた。
「ユノアが…?どうした!!」
リャンの放った気迫に、部屋に置かれた家具が、がたがたと音を立てて揺れた。
警備兵も、リャンの気迫にすっかり気圧された様子だ。
「ユノアが…。逃げ出しました…」
リャンの顔が真っ赤になった。拳を握りしめ、身体をわななかせた。
警備兵は必死に言い繕った。このことが、自分達の不始末にされるのは明らかだからだ。
「で、ですが、ユノアはまだ王宮内から出ておりません。全ての警備兵を動員して、今、後を追っております。必ず捕まえますので…」
だがその言葉を最後まで聞かず、リャンは警備兵を突き飛ばし、部屋から出て行った。
走るリャンの顔は、まさに鬼のようで、暗く淀んだ瞳は、鋭く前方を睨みつけていた。
そんなリャンの瞳に、王宮の中で揺れる松明が映った。それは、ユノアを追う警備兵が持つ松明だろう。その松明が向かっている先に、ユノアがいる筈だ。
リャンは、今走っている廊下の柵を飛び越えた。大きな身体からは想像もつかない身軽さで、次々と柵を飛び越えていく。
リャンは一直線に、ユノアの元へと向かっていった。