第三章:リュガの死
次の日の会議も、一向に進展の様子はなかった。
大臣達は、リャンの意向にはことごとく逆らった。もちろん、ジュセノス軍と戦をするなど、許される様子はなかった。
リャンは、大臣達の意見を聞き、粘り強く説得しようとした。だが、大臣達は結局、リャンの発言を重要視しようとはしなかった。
この日もあっという間に時間は過ぎ去り、夕暮れが迫ってきた。
(また、何も解決しないまま終わるつもりか…)
リャンと大臣のやりとりを聞いていた家臣達は、冷めた目で成り行きを眺めながら、今日の夕飯は何を食べようなどと、全く関係のないことを考えたりもしていた。
だが、誰もが予想だにしない事態が起こった。
リャンが突然立ち上がると、何も言い残すことなく部屋から出ていってしまったのだ。
残された大臣達は、鳩が豆を食らったような顔だ。何が起きたのか、理解出来ている者は一人としていなかった。
ようやく、大臣の一人が声をあげた。
「…な、なんです?もう今日の会議は終わりでしょうか」
「それなら、そうと…。将軍も言っていただかなければ…」
「もしかして、小用を済ませに行かれたのでは…?」
「ならばまた、帰ってくるのでしょうか」
「……。とにかく、もうしばらく様子を見ましょう」
大臣達が待ちぼうけを食らうこと、約三十分。ようやくリャンは戻ってきた。
だが、リャンと一緒にやってきた人物を見て、大臣達は度肝を抜かれた。
それは何と、リュガだったのだ。リュガが、身体を縄で縛られた状態で連れて来られた。
何故リャンが、リュガをここに連れてきたのか。その理由は、リュガにも全く見当のつかないことだった。
リャンに跪くようにと言われ、渋々従ったものの、これから何が始まるのだろうかと、リュガの顔には不安が濃く漂っている。
リュガと連絡を取っていた大臣達もまた、顔を青くしていた。
(何故今、リュガ王をここに連れてきたのだ?)
誰もが、リャンの次の行動を、息を飲んで見守っていた。緊迫した空気の中、リャンはリュガを見下ろすように立ち、大臣達に目を向けた。
「…今日一日、私は大臣達と心を共にしようと努力した。そして、思い知った。あなた達は、私を主君として仰ぐつもりなど、欠片もないことを。あなた達は、私の発言に対して、敬意さえ見せてはくれなかった」
静まり返った広間に、リャンの言葉が響き渡る。
「私と大臣達では、共にグアヌイ王国を治めていくのは難しいようだ。それならば、どうするか…」
リャンの目が冷たく光った。その目に見つめられた大臣達は、身体を震わせ、目を反らした。リャンの目の中に、狂気を見たからだ。
大臣達は、リャンに刃向かい、刺激したことを、今さらながらに後悔していた。
「だが、これからでも大臣達が考えを変えてくれるならば、私は歓迎したい。ぜひ共に力を合せて、グアヌイ王国を動かしていきたいのだ。だがそのためには、どうやら邪魔な存在がいるらしい」
リャンはちらりとリュガを見た。その視線に気づいて、リュガは激しく身を震わせ始めた。
「大臣の中に、リュガ王を復権させるべく、会っていたという話を聞きました。だが私は、その行動を咎めるつもりはない。私は突然に武力で王座を奪ったのです。不安に駆られる大臣の気持ちは、よく分かります」
リャンは淡々と話しを続けていく。一見落ち着いているように見えるが、その目は決して穏やかでないことに、大臣達は気付いていた。
「大臣に迷いをもたらし、私との信頼関係を築きあげるための妨げとなっているのは、この男です!」
リャンは剣を抜くと、リュガの鼻先目がけて振り下ろした。
リュガは、自分の鼻先一センチの所にある剣を、がたがたと震えながら見た。
「や、止めてくれ。リャン。私が邪魔だというのならば、私は王宮を去ろう。この王国から追放してもいい。だ、だから。お願いだ。殺すのだけは、止めてくれぇ!」
リャンは悪意に満ちた眼差しでリュガを見つめた。
「…お前はかつて、私の主君だった。どんなに卑劣であろうと、主君は主君。私はお前に、恩赦を与えるつもりだった。だが、お前はやはり邪魔ものだ。お前が生きている限り、お前を擁立し、再び権力を握ろうとする者が現れるだろう」
リュガは必至に首を振った。
「そんなことは絶対にしない。リャン。そなたこそがこの国の王だ。私は二度と、王位など望まない!だから、頼む。見逃してくれ!」
リャンは困ったような顔になった。
「…大臣。どうしましょう。リュガ王がこう言っておられるが…。リュガ王の命を助けた方がいいのでしょうか?」
言葉は丁寧だが、それは脅迫だった。大臣は誰一人として、リュガを庇わなかった。
リャンは声をあげて笑った。
「あっはっは。…リュガ王よ。どうやら、命乞いをしてくれる者は、一人もいないようだ」
リュガの顔は、蒼白になっていた。リュガは立ちあがると、大臣達の元へ走り寄った。だが上半身は縛られているので、バランスが取れずに何度も転んだ。
それでも大臣達にすがりついて、必至の形相で命乞いをする。
「頼む。助けてくれぇ!」
「お前!私をまた王にすると、昨夜部屋に来たではないか!」
だが、大臣達は皆顔を背け、中にはリュガを突き飛ばす者までいる。
笑顔のままで、リャンがリュガに近づいてきた。その手には剣が握られている。
「往生際が悪いぞ、リュガ…。元国王ならば、死に際くらい、威厳を持たぬか」
リュガの顔は恐怖に歪んでいた。必至に大臣達の後ろに身を隠そうとする。
「嫌だ。嫌だぁっっ!助けてくれぇっ!」
だが、リュガの願いがリャンに聞き届けられることはなかった。
リャンの振り下ろした剣が、リュガの頭を二つに割った。血が飛び散り、傍にいた大臣達も血を被った。
悲鳴を上げながら、大臣達はリュガから離れた。
誰からも支えられることなく、リュガの身体はごろんと床に転がった。大きく見開かれた目に、頭から流れ出した血が流れ込んでいる。
リュガが、死んだ。それは、あまりにもあっけない最期だった。
リャンは、忌々しい物でも見るような目つきでリュガの死体を見下ろしていたが、疲れたように顔を振った。
「今夜の会議はこれで終わりにしよう…。明日こそ、皆の協力を得て、決議を下せることを願っている」
リャンが去っていった後には、無残なリュガの死体が残された。
リュガの死体をどうすればいいのか…。部屋の中にいる者は、途方に暮れた顔を見合わせた。
リャンがリュガを殺した。
衝撃的なその情報は、物凄い速さでシーダス王宮の中に広まっていった。誰もが言葉を失い、リャンの恐ろしさに身を竦ませた。
それまでは、リャンに対しての悪口が王宮のあちこちで聞かれていた。だがそんな声はぴたりと止み、リャンの怒りに触れないように、王宮中が静まりかえった。
もちろん、その情報はすぐにユノアの耳にも入った。
「リュガが、死んだ…」
そうなるように自分から仕掛けたとはいえ、ユノアにとってそれは、実感の伴わないものだった。
ヒノトの父王、ハルゼ王を殺したリュガ。それによって、どれだけの長い間、ヒノトが悩み、苦しんできたことか…。
その苦しみを近くで見ていたユノアにとっても、リュガは憎い敵だった。
そのリュガが、死んだのだ。
あまりにあっけないリュガの幕切れに、ユノアは身体から力が抜ける想いだった。
「あっけないものね…。人の命なんて…」
放心状態のユノアを見て、仲間の兵士は苛々しているようだ。
「ユノア。分かっているのか?リュガが死んだ。作戦は成功したんだ。俺達の任務は、完了した。後はここから脱出して、ヒノト王の陣営に合流するだけだ」
「あ…。ええ。そうね」
やはりユノアの答えは曖昧だ。頭の中に霞がかかったようで、考えがまとまらない。
大きな目的を達成したことで、一気に力が抜けてしまったのだ。
「ユノア。安心するのは、ジュセノス軍に合流した後にしてくれ。…今夜、王宮が寝静まったらすぐに抜け出すぞ。最も、この騒ぎがいつ終息するのか、検討もつかないが…」
兵士は、王宮内を目の色を変えて動きまわる人々を見て、思わずため息をついた。
「…兵士の数も多い。俺達に注意を向けている者はほとんどいないだろうが…。油断するなよ」
「う、うん。分かった」
そう注意されたというのに、部屋に戻ってからも、ユノアはぼんやりしていた。
(リュガが死んだ。宿敵の、リュガが…。このことを知ったらヒノト様は、どんな顔をするのだろう…)
ベッドに座りこんだまま、どんどんと辺りが暗くなっていくのにも気付かずに、ユノアは微動だにせぬまま、時は過ぎていった。