第三章:守りたいもの
早速ユノアは、リュガの目に留まるための支度を始めた。
舞姫の衣装に着替え、化粧を施す。街中でも目立つように、紅を濃く唇に引き、目の周りもはっきりと黒の縁取りを入れた。
出来栄えを確かめるために覗いた鏡に映った自分の姿を見て、ユノアは目を見張った。
鏡の中にいたのは、女だった。己の肉体と美貌を武器にして、男を誘惑しようとしている。けばけばしい化粧も、肌が露出した衣装も、男に襲ってくれと言っているようなものだ。
この格好をしていれば、リュガの目には間違いなく留まるだろう。しかし…。
(本当に私は、こんな格好でリュガ王の前に立つの?)
ユノアは、リュガが大嫌いだった。長年に渡って、ヒノトを、ジュセノス王国を苦しめてきた張本人だ。リュガを誘惑しなければならないというだけで気が重いのに、こんな格好では、例えリュガに襲われたとしても、責められないのではないか。
ユノアの背中を悪寒が走った。
(もし、本当に、リュガに襲われてしまったら…)
怖い。心底ユノアは震え上がっていた。
今までは、自分がリャンやリュガに抱かれるような事態になることはないだろうと思っていた。そんなことになればもちろん逃げるつもりだったし、逃げ切れる自身もあった。
だが、リュガに招かれるとなれば、王宮に行かなければならない。そこにはさすがに、ガイリは侵入出来ないだろう。
ユノアが王宮にいると知ったリャンも、おそらく来ることだろう。敵だらけの王宮で、果たして逃げることが出来るのだろうか。
絶対に大丈夫だと言い切る自信は、ユノアにはなかった。
リュガの前に立つには、ユノアは、犯される覚悟をしなければならなかった。
(でも、絶対に、…嫌。嫌!嫌!)
ユノアは、今まで自分に、男としての欲望を持って近付いてきた男達を思い出していた。
あまりのおぞましさに身の毛がよだつ。恐ろしさのあまり、ユノアは膝をつき、自分の身体を抱き締めてぶるぶると震えだしてしまった。
ユノアのいる部屋の扉がノックされた。
「ユノア。もう支度は出来たか?」
ガイリの声だった。
ユノアは弱弱しく答えた。
「は、はい…」
扉を開けて入ってきたガイリは、驚いた。
「…泣いているのか?」
「い、いえ…。何でもありません」
「ユノア…。お前が嫌なら、作戦はすぐに中止するぞ。そうしろと、ヒノト王に言われているのだから」
ユノアは返事が出来なかった。
ふと、ガイリが手に持っている紙が目に入った。
「将軍、それは…?」
「あ、ああ…」
ガイリはようやく、自分がここに来た目的を思い出した。
「昨夜、いよいよリュガとユノアを会わせることになったということを、マティピへ伝える伝令を送るために、チュチを借りただろう。そのチュチが今、帰ってきたんだよ」
まるでガイリの言葉が分かったかのように、チュチが部屋に飛び込んできた。
ユノアに甘えて擦り寄ってくるチュチに、沈んでいたユノアの顔も綻ぶ。
「まあ、チュチ!よく無事で…!」
「チュチが持って帰ってくれた手紙に書いてあったヒノト王のお言葉では、こちらの思うようにしたらいいと書いてあった。こちらの思うようにとはつまり、ユノア。お前の思うようにしろということだ」
チュチを抱き締めて、ユノアは立ち尽くした。
ガイリは手に握り締めていた手紙を、ユノアに差し出した。
「お前への、励ましの手紙だ」
そこには、ユノアと親しい人々からの、励ましのメッセージが書き込まれていた。
ミヨ、ティサ、キベイ、オタジ、そして、キサクやドゼ、女官達…。自分にはこんなにも仲間がいたのかと、驚くほどだった。
「どうして…。みんな、この作戦を知らない筈なのに…」
「…ヒノト王が話したんだ。軍の機密事項だが、不安でいるだろうお前を、励ますために、な。まあ、信頼できる者ばかりだし、心配はいらないが」
「ヒノト様が…」
ユノアの目に涙が溢れた。手紙に書かれたメッセージはどれも、ユノアのことを労わり、心配する言葉で埋め尽くされている。いつでも帰ってきていいのだと、みんなが言ってくれていた。
そこに、ヒノトからの言葉はなかった。だが、ヒノトが自分を心配してくれている気持ちは、充分に伝わってくる。
(私には、こんなにも仲間がいる。本当の家族のように心配してくれる人達がいる。私は、この人達を守りたい…)
黙りこんでしまったユノアに、ガイリは恐る恐る声をかけた。
「ユノア…。どうするんだ?」
「…将軍。外に出ていてもらえますか?お化粧をし直さなければ。涙で崩れてしまいました」
「で、では…。このまま続行するつもりか?」
「はい…!」
「……。分かった。お前がそう決めたなら、そうしよう。あまり時間がないぞ。急げ」
ガイリが出て行くなり、ユノアはすぐに顔を洗い流し、再び化粧を始めた。
そして出来上がったけばけばしい顔を見ても、ユノア心はもう揺れなかった。
(大丈夫!うまく行く!リュガは、王という地位についているだけで、何も出来ない男だもの。いざとなったらなぐり飛ばして逃げればいいんだわ)
ユノアは鏡の中の自分をきっと見つめた。