第三章:美しい踊り子
グアヌイ王国、主席将軍。リャン。天才的な戦闘能力と、部下から慕われるまじめな性格で、あっという間に軍人のトップに登りつめ、長い間その座に座り続けてきた人物だ。
その座がおびやかされるようになったのは、リュガが王に就任してからだった。皇太子の突然の死により、予想外に王となったリュガ。黒い噂はいろいろとあったが、リャンにとっては、グアヌイ王国の王こそが主君だった。
リャンは、心からリュガに仕えようと心に誓い、今まで尽くしてきた。
だが、リャンに対するリュガの応対は冷たいものだった。リャンが命がけで戦って勝利しても、それは当たり前のこととする。だが、負けたときは、激しくリャンを攻め立てた。
それまで、国内最高の軍人として、王からも部下からも信頼され、栄光の道を歩み続けてきたリャンにとって、リュガからの扱いは屈辱的だった。
更に追い討ちをかけるように、ジュセノス王国との戦いで連敗した。リュガはここぞとばかりに、リャンを嘲笑い、罵った。
今リャンは、主席将軍の地位を追われるかどうか、リュガの決定を待っているところだった。
味わったことのないみじめな時間をやり過ごすために、リャンは酒に溺れた。
リャンが酒を飲むときには、権力者には当然のことだが、美しい女がはべり、踊り子が舞を披露した。だがその誰もが、リャンを楽しませることも、心を奪うこともなかった。
その日もリャンは、酒を飲んでいた。少しでもリャンの気を紛らわそうと、家来達はいつものように女を用意した。
そして、リャンの前で一人の踊り子が踊り始めた。
いつもなら、一瞬踊り子に目を向けるだけで、すぐに顔を背け、虚ろな表情でただ酒を煽っているリャンだが、今日は違った。一目で男を虜にする魅力が、その踊り子にはあった。
ユノアは、肌が透けるような薄い白絹の服を一枚まとっただけの妖艶な姿でリャンの前に立った。
絹の服よりも白く、滑らかなユノアの手足が、優雅に動き始める。
リャンはユノアに釘付けになった。まず引き付けられたのは、ユノアの美しい顔だった。リャンが今まで見たどの女よりも気品があり、計算し尽くされたように整っている。薄い茶色の瞳には、全てのものを癒すような優しさを感じた。
ユノアの舞が進むにつれ、その見事さに、リャンはますます虜になった。速い動きを優雅に見せる身体能力の高さも、一瞬見せるポーズの奇抜さも、ユノアの全ての動きを、リャンは夢中になって追いかけた。
ユノアの舞を見た者は皆、ユノアの虜になる。レダの狙いは見事に的中した。リャンだけでなく、周りにはべっていた女達も、ユノアに魅了されていた。部屋の中は既に、ユノアの支配下に置かれていた。
舞を終え、ユノアは跪き、深々と礼をした。顔を上げたユノアは、まっすぐにリャンを見つめた。
ユノアと目が合い、リャンは心臓を鷲づかみにされたような痛みを感じた。そして、物凄い速さで心臓が動き始める。手が振るえ、持っていた杯が零れ落ちた。
ユノアはその場に座ったまま、リャンを見つめ続けた。踊り子が舞い終わると、その宴の主人から報酬を受け取ることが決まり事となっているので、それを待っているのだ。だがリャンは、その決まり事さえ忘れてしまったようで、ユノアと視線を合わせていることに耐え切れなくなって、顔を背けてしまった。
踊り子にとって、報酬を受け取れないということは、よほど酷い舞だったと言われていることと同じで、屈辱的なことだった。ユノアはむっとした表情をした後、立ち上がり、リャンに背を向けてしまった。
リャンが驚いて見つめる中、ユノアはさっさとその場から立ち去ろうとした。
ようやくリャンは、自分の失態に気付いた。
「ま、待ってくれ!」
急いで家来に命じて、報酬の金を持ってこさせる。それを見たユノアは再びリャンの前に戻った。
「素晴らしい舞だった。さあ、私の気持ちを請けとってくれ」
リャンは金を持ち、ユノアに向かって差し出した。ユノアも進み出て、金を受け取ろうとした。
そのとき、リャンがユノアの手を掴んだ。ユノアは驚いて手を引こうとしたが、リャンは強く引き返した。二人の間に、落ちた金がばら撒かれる。
リャンが熱っぽい声で尋ねた。
「お前、名は何と言う?」
ユノアは精一杯身体を小さくしながら、か細い声で答えた。
「…ユノアと申します」
「ユノア…。グアヌイ王国に来るのは、初めてか?」
ユノアは恥じらいながら、頷いた。
「そうか…。だから、今まで知らなかったのか…。お前のような素晴らしい舞い手がいれば、すぐに噂になる筈だからな」
「ありがとうございます…。あ、あの…」
ユノアは顔を真っ赤にして手を引こうとした。
「あ、ああ。すまない」
ようやくリャンは手を離した。
ユノアが金を集め、リャンに一礼して去ろうとすると、再びリャンが呼び止めた。
「ユノア!明日は舞う予定があるのか?」
「は、はい。予約をいただいております」
リャンはむっとした表情をみせると、断固とした態度で言い放った。
「それはキャンセルしておけ。私の名前を使ってもいい。明日の夜もここに来て舞うんだ。いいな」
戸惑いながらもユノアが頷くと、リャンは満足そうな笑みを浮かべた。
ユノアが他の男の前で踊ると想像しただけで、身体が熱くなった。絶対にそんなことは許せなかった。ユノアを、他の誰にも見せたくはなかった。
リャンはいつまでも、去っていくユノアの後姿を、熱いまなざしで見送っていた。
リャンの屋敷から出てきたユノアと楽師たちは、後ろに追ってくる者がいないことを確かめながら、ガイリとジュゼとの待合場所に向かっていた。
今や遅しとユノア達の帰りを待ちわびていたガイリは、無事に帰ってきた四人の姿を見て、安堵の息をついた。
「ガイリ将軍!ただいま戻りました」
「ああ、よく戻った!…で、どうだった?リャンの反応は…」
その問いには、ユノアの隣にいた兵士が答えた。
「リャン将軍は、ユノアを気に入ったようです。明日の晩も来てほしいと言われ、先約があるからと断ると、その先約を断ってでも来てほしいと言われました」
「そうか…」
ガイリはほっと頷いた。大丈夫だとは思っていたが、実際に聞くとやはりほっとする。だがこれでいよいよ、作戦は動き始めたのだ。もう後戻りは出来ない。
ガイリはユノアを見た。
「ユノア。お前にとって大変なのは、ここからだ。リャンはお前を女として見てくる。性的欲望の対象として、お前を見るんだ。…大丈夫か?」
「は、い…。その…。やってみなければ、どうなるかは分かりませんので」
「ああ…。そうだな。確かに…。だが、覚えておいてくれ。リャンがもしお前に、その…。…性的な、交渉を迫ってきたときは、作戦のことなど構わず、逃げてくれ。このことは、ヒノト王からも厳密に命じられていることだ。もし逃げられなくても、何としても俺達の誰かに知らせろ。必ず、助け出してやる」
ユノアはガイリの気迫に驚きながら、頷いた。