第三章:泥沼の戦い
グアヌイ軍の脅威が去った今、疲弊したジュセノス軍の本隊を、一度マティピに撤退させることを、ヒノトは決断した。
ゴザには、ガイリ率いる一万の兵力が残ることになった。
だが、ヒノト達が去った後、思わぬ誤算が起きた。
それは、しばらく大人しくしているだろうと思われていたグアヌイ軍が、ゴザへの攻撃を続行したことだった。
ガイリを先頭に、ジュセノス軍は見事グアヌイ軍を撃退した。その中でもやはり目を引いたのは、ユノアの活躍だった。
今や、ユノアが戦場に現れるだけで、グアヌイ軍は恐怖におののいた。ユノアの美しさと強さは、まさに女神が光臨したかの如くだった。女神が自分達に向かって剣を振りかざす。そしてその強さは、グアヌイ軍の兵士に、とても太刀打ちできるものではなかった。
グアヌイ軍の兵士にとって、ユノアの前に立つこと。それは、女神に裁かれる立場に立つこと。決して敵わないという絶望に立たされることだった。
反対に、ユノアと共に戦うというだけで、ジュセノス軍の指揮はこの上なく高まった。
驚異的なユノアの活躍で、ジュセノス軍は勝ち戦を続けた。対照的に負け戦の続くグアヌイ軍だったが、負けても、負けても、五日と開けず、グアヌイ軍はまたゴザに攻め込んでくるのだ。もちろんジュセノス軍は迎え撃つ。その繰り返しだった。
平原は、グアヌイ軍の兵士の血で赤く染まった。元の砂の色など、どこにも残っていないようだった。
あまりに惨い戦が続くので、ジュセノス軍の兵士から遂に弱音が洩れた。
「…俺はもう嫌です!ガイリ将軍。最近では、グアヌイ軍の兵士は、ろくに剣を持ったこともないような素人ばかり。相対しても、露骨に怯え、逃げようとするんです。そんな敵に対して剣を振るい、殺さなければならないんですよ!…まるで自分が、悪人になった気分です。兵士同士で戦い合い、その結果、相手が死のうが、自分が死のうが、それは構わないのです。それが兵士の務めですから。ですが、あんな…。一般市民のような者達を殺すのは、嫌です!」
この苦言に、ガイリは唸った。それは、ガイリ自身、思い悩んでいたことだったからだ。
ユノアも同じ思いだった。過去の記憶を乗り越えて、ようやく兵士として生きる覚悟を決めた。その道の先に、光を見出したかった。それなのに、今自分がやっていることといえば、弱く、抵抗する気さえない哀れな人達を殺すことだ。こんなこと、兵士でも何でもない。ただの人殺しだ。
泣いて、悩んで選んだ道は、こんなことをするためのものじゃない。
こんな戦いが続くなら、もういっそ戦いたくはない。ユノアのその思いは、他の兵士達も同じようだった。
「将軍!あんなヘナチョコな軍隊では、ゴザを攻め落とすなど、到底不可能です!打って出て戦わずとも、いいのではないのですか?」
「…だが、もしこれが敵の策略だったら?次こそ鍛え抜かれた精鋭軍が攻め寄せてきて、ゴザを落とされでもしたら、またジュセノス王国は存亡の危機に立たされる!」
兵士達は静まり返った。
「…では、またグアヌイ軍が攻めてきたら、戦わなければならないのですか?逃げ惑う者達を、切り殺せと?」
ガイリは舌を打った。きっとこれが、リュガ王の狙いなのだろう。ジュセノス軍の兵士達の良心を突き、グアヌイ軍と戦う気力を喪失させているのだ。その作戦は、見事に当たったと言っていい。
「くそっ…!リュガめ。卑劣な奴だ!」
どうしたらいいのか…。もちろん、ゴザを落とされるわけにはいかない。グアヌイ軍がまた攻めてきたら、自分が先頭に立って戦うつもりだ。だが、グアヌイ国の一般市民を殺しても何の意味もない。壊滅させたいのは、グアヌイ軍なのだ。それに、こんなことを続けていたら、兵士達の士気が落ちる一方なのは目に見えている。
悩んだところで、いい知恵は浮かびそうになかった。
ガイリはマティピにいるヒノトに、今の窮状を伝える急使を送った。
ヒノトからはすぐに返事が帰ってきた。返答の使者は、なんとオタジだった。
オタジから伝えられたヒノトの答えは、予想外のものだった。ガイリに今すぐマティピに戻れというのだ。それも、ユノアを連れて、だ。
ガイリからこのことを知らされたユノアは、もちろん驚いた。
「将軍と私が、帰るのですか?マティピへ…」
「ああ、そうだ」
「で、ですが…。私は兵士として働くために、ゴザに残ったのです。今マティピに帰っても、私がしたいことはありません」
「それは私とて同じ思いだ。こんな状況のまま、ゴザを去りたくはない。だが、王命だ。意味のないことをヒノト王がなさる筈がない」
ユノアは反論できず、沈黙するしかなかった。
結局、その日のうちにユノアはガイリと共に、マティピに戻ることになった。
ゴザを出ようとする二人に、オタジが言った。
「ヒノト王は、俺に、絶対にゴザを出て戦うなと言った。もう、哀れなグアヌイ国民を殺すなと言ったんだ」
「し、しかし、それでは…。もし、グアヌイ軍の策略なら、ゴザを攻め落とされるかもしれませんよ?」
「いや…。グアヌイ軍には今、まともな兵力は残っていない。だから、何の訓練も受けていない一般市民を、兵士として、捨て駒のように送り込んでくるんだ。自分達の窮状を、ごまかすためにな」
困惑げな二人に、オタジはにかっと笑ってみせた。
「ヒノト王は、グアヌイ王国の内情をよく知ってるぜ。密偵を送り込んで、いつの間にか調べてたんだとよ。悲惨なグアヌイ国民の現状に、同情しているようだった。これ以上、哀れな国民を死なせたくないんだろう。…お前達を呼び戻したのは、この状況を打開する作戦を何か思いついて、その作戦にお前達を使いたいからに違いない。期待してるぜ。ガイリ。ユノア。ゴザのことは、俺に任せとけ!」
ガイリとユノアは顔を見合わせた。何のことだが、わけが分からない。
だが、オタジの言葉で、ゴザへの心残りは大分薄れたようだった。
二人は馬を全速力で走らせ、まっしぐらにマティピへと戻った。