第三章:呪縛から解放されるとき
ゾラはその場から微動だにせぬまま、ユノアの鳴き声を聞いていた。
さすがに疲れたのか、ユノアの鳴き声が弱くなった。
ゾラはゆっくりと口を開いた。
「ダカンとカヤが囚われてから死ぬ直前まで、俺はずっと側にいたんだ。俺達は二人を責め続けた。何故ユノアを育てたのかと。だが二人は決して謝ろうとはしなかった。俺はずっと苛々していたよ。一言でも謝れば、村人達の気持ちも落ち着いただろうに。二人の態度は、村人達の気持ちを逆なでするばかりだった。…ダカンとカヤは、お前を我が子として育てたことに、誇りを持っていたよ。二人はお前を、心から愛していた。二人が死ぬ直前に、俺はようやく、そのことに気付いたんだ。…お前達三人は、この世で一番尊い絆で結ばれていた。だから、ダカンとカヤは、死ぬ直前まで幸せだったんだと思う。ユノアを子供として育てたことを、あいつらは一度たりとも後悔したことはなかったんだ」
泣き続け、疲れきったユノアの身体は震えていた。膝を抱えたまま、ユノアはゾラの声を聞いていた。
「ラピというお前の友達も、きっと同じだと思う。ラピは、ユノアのことが好きだったんだよ。だから、守りたかった。ユノアに生きていて欲しかったんだ。ラピの願いの証として、ユノアは今、生きているんだ。ラピは一言でも、後悔を口にしたか?お前と出会ったことを悔やむような素振りを見せたのか?」
ユノアの脳裏に、ラピの死ぬ間際の姿が蘇る。血を吐きながらも、ラピはユノアの笑顔を望んだ。ユノアが笑顔を見せると、ラピは幸せそうに微笑み、そして死んでいったのだ。
ゾラの問いかけに、ユノアははっきりと首を振った。
「…ラピは、私と出会えて良かったって、幸せだったって…!」
ラピが自分を想ってくれた心が、今再びユノアの体を包み込んだ。そのあまりに優しく、切ない感覚に、ユノアの目にまた涙が溢れる。
「…そうだろう?それは、ラピの本心だよ。いい友達に巡り合ったな。…ユノア。ラピとの思い出を、心の負担にしてはいけない!お前がそんなことでは、お前を救ったラピの気持ちは、無駄になってしまうんだぞ」
だが再び泣き始めたユノアは、ゾラの願いに頷くことはなかった。
「私は、怖いんです。これから私が生きていくことで、私に関わる人々はみんな、不幸になってしまうんじゃないかって…。お父さんもお母さんも、ラピも、ファド村の人達も…!もう、こんなことは嫌です。私がいなくなることで、そんな不幸をもう作らずにすむならば、私は、そうしたいんです」
堅く縛られたユノアの心を目の当たりにして、ゾラはふぅっと溜息をついた。
「…あの、ダカンとカヤが死に、そして村人が死んだあの事件が、今もそんなにもお前の心を縛り付けていたのか。そうだよな。俺でさえ、相当に苦しかった。お前の苦しみを思うと、胸が塞がれるようだ…」
ゾラの目にも涙が滲んだ。
「そしてラピも、あの事件の被害者も同然だな…」
ゾラは目を閉じて、涙をぐっとこらえた。
「…俺は、あの事件のせいで、ユノア、お前が立ち止まるようなことにはなって欲しくない。そして、ラピのような被害者も、もう出て欲しくはない。それでは、本当にあのとき死んだダカンも、カヤも、村人達も、無駄死にになってしまう」
(どうすれば、ユノアの心を解き放つことができるんだ…)
ゾラは空を見上げ、ガジュの樹から送られてくる風を感じて、目を瞑った。
顔を伏せて涙を流していたユノアの耳に、ゾラの優しい声が飛び込んできた。
「もう、いいんだよ。ユノア…」
ユノアははっと顔をあげて、ゾラを見た。
ユノアを見つめるゾラの目は、哀れみと、思いやりに溢れていた。
「お前はもう充分に苦しんだ。お前は確かに罪を犯したが、それを償うだけ、お前は苦しんだんだ。もう、苦しまなくていい。もう、いいんだ…」
再びユノアの目に涙が溢れた。
「辛かったよな…。その年齢で、自分がいない方がいいんだと思うなんて、どんなに辛かったことか…。いくら運命だとはいえ、惨すぎるよな。もういいんだ。もう、苦しまなくていい」
ゾラの言葉はユノアの心に、水のように沁み込んでいった。
ゾラの言葉。こんなにも簡潔な言葉で、ユノアの心は一気に軽くなっていた。
もちろん、本当にユノアの罪が償われたわけじゃない。村人百人を殺してしまった重罪は、これからもずっと背負い続けていかなければならない。
でもユノアのその苦しみを、ゾラは分かってくれている。ユノアのしでかした酷い仕打ちを全てを知った上で、ユノアの味方になってくれたのだ。
それはユノアにとって、何よりも有難いことだった。
そして、許しをくれたのが、他ならぬゾラだったということが、ユノアの心をこれ程までに解き放ったのだろう。
涙が滝のようにユノアの頬を伝っていく。
「ゾ、ゾラ、さん…!」
涙声で、何度も途切れるユノアの言葉に、ゾラは耳を澄ませた。
「私は、ジュセノス軍の兵士として、これから、頑張ってみたいんです…。お世話になったヒノト王に恩返しをしたいし、私を応援してくれたラピの期待に、答えるためにも…」
「ああ…」
「いいんでしょうか?私に、兵士として戦うことが、許されますか?」
「…結局、自分の進む道を決めるのは自分しかいない。自分の選んだ道を信じるんだ。信じて頑張れば、必ずそれは正しい選択になる。…また、辛い道のりを行くんだな、ユノア。だが、お前ならきっと乗り越えていける。…頑張れ。頑張れ、ユノア」
ゾラの言葉に、ユノアは泣きながら、何度も何度も頷いた。
「ゾラ、さん…!」
止まらない嗚咽の中、ユノアは声を振り絞った。どうしても、ゾラに伝えなければならないことがあった。
「お父さんと、お母さんのお墓が、ガジュの森にあるんです。一番大きなガジュの樹の根元に、二人一緒に眠っています。どうか、行ってあげてください。ゾラさんが行ってくれれば、二人ともすごく、嬉しいだろうから…!」
それを聞いたゾラも頬にも、涙が流れた。
「…ああ!必ず行くよ。…そうか。ガジュの森に、ダカンとカヤは眠っているんだな。いい場所だ。人の世の騒がしさから遠く離れた場所で、さぞ心地よく眠っていることだろう。…ありがとう。ありがとう、ユノア」
賛辞の言葉に、ユノアは何度も首を横に振った。その言葉を、今の自分では受ける権利などない。
ゾラの優しさに答えるほどの立派な人物になりたかった。
ダカンが、カヤが、ラピが、天国で手を叩いて喜んでくれるような見事な人生を歩んでみたいと、心からそう願った。