第三章:思いがけない再会
突然、ガサリと雑草が動いた。雑草を踏みしめて、誰かが近付いてくる。
そのことに一番に気付いたのはチュチだった。鋭い鳴き声をあげたチュチに、ユノアもはっと顔をあげて、そちらに視線を向けた。
雑草を掻き分けて現れた人物を見て、ユノアは凍りついた。
四年の間、一度たりとも会ったことはない。その顔は、四年前とは比べ物にならない程に黒ずみ、やつれていた。
それでもユノアには、それが誰だかすぐに分かった。
それは、ゾラだった。
ゾラもまた、驚愕の表情で足を止めた。
擦れた声が、ゾラの荒れた唇から出される。
「…ユノア、か?」
二人は呆然としたまま、しばらくの間見つめ合った。
凍り付いていた時間が、再び動き始めた。
ユノアは恐ろしくなった。今にも、ゾラが怒りに顔を歪めて、ユノアに掴みかかってくるのではないかと思ったからだ。
ゾラがユノアの方へ、足を踏み出してきた。
ユノアは恐怖に顔を歪めて後ずさった。逃げなければと思っているのに、身体は振るえ、立つことさえままならない。
だが、ユノアのそんな様子見て、ゾラは慌てたように口を開いた。ゾラの口から出た言葉は、全く予想外のものだった。
「ユノア!逃げなくていい。俺はもう、お前に危害を加えたりしないから…」
自分が耳にした言葉が信じられず、ユノアは俯いたままでしばらく固まっていた。恐る恐る顔をあげた視線の先で、ユノアの目に映ったのは、顔をしわくちゃにして涙を流しながら、憂いに満ちた目でユノアを見つめる、ゾラの姿だった。
「ユノア…。よくぞ、よくぞ無事で…」
自分を見つめるゾラの目は、過去にユノアに向けられていたものとは全く違っていた。
ユノアは唖然として、ゾラを見つめた。
ユノアから人一人分離れて、ゾラもガジュの樹によりかかって腰をおろした。
戸惑いながら、二人の会話が始まった。
「ユノア…。今まで一体、どこにいたんだ」
ゾラの問いに、ユノアはぎこちなく答える。
「…マティピに、いました」
「マティピ?この村から、そんなに離れた場所にいたのか…。一人で住んでいたわけじゃあ、ないんだろう?誰かに養ってもらっていたのか?」
「あ、あの…。実は…。村を飛び出した後、私は、ヒノト王様に拾ってもらったんです。ヒノト様が、私をマティピ王宮に連れていってくれたんです」
この事実には、ゾラは心底驚いたようだった。
「お、王様に!?何てことだ…」
ゾラはふうっと息をはいた。
「王様に会うという偶然さえ、普通なら有り得ないことだ。不思議な力を持ったお前が、王様と出会った…。とても偶然とは思えない。目に見えない何かが、導いているような…。…ユノア。やはりお前には、成し遂げるべき運命があるのだろう」
ゾラは、ぎゅっと唇と噛み締めた。
「…ダカンとカヤが死んでから、ずっと考えていたことがある」
ゾラの口から、ダカンとカヤの名が出てきたことに、ユノアは怯え、咄嗟に身構えた。だが、ゾラは淡々と続けた。
「どうして俺は…。俺達村人は、あの頃あんなにも、ユノア、お前のことを嫌っていたんだろう。俺達は、お前をこのファド村から追い出そうと必死だった。今考えると、あの時の自分の気持ちが理解出来ない。いくら不思議な力を持つとはいえ、今の俺なら、友人であるダカンが大切にしている子を邪険にするなど、決してしたりはしない」
ゾラが何を言いたいのか分からず、ユノアは黙り込んだまま、ゾラの言葉に耳を澄ませた。
「ユノアが大きな運命を背負ってこの世に生まれたのなら、お前にとってこのファド村での生活は、どんな意味があるのだろう。運命はお前に、ここでの生活で何を教えたかったのだろう。俺はずっと、そんなことを考えていたんだ…。一つは、ダカンとカヤがお前に注いだ愛情だろう。だが、それだけじゃない。この村でお前の心に刻み込まれたもの。それは、お前に向けられた俺達の憎しみと、お前が俺達に抱いた怒りだ。そうだろう?ユノア…」
ユノアは今や顔をあげ、じっとゾラを見つめていた。
ゾラも、ユノアの視線を受け止め、言葉を続けた。
「お前はこの村で、人の心の善と悪。最も大切なものと、最もおぞましいもの。そのどちらをも学び取った筈だ。それは確かに、これからお前が大業を為す上で、欠かせない重要な要素になるのだろう。偉大な運命の下に生まれて来た子の周囲にいる人間として、俺達は見事に、その役目を果たしたというわけだ」
そこまで言ってゾラは、乾いた笑い声をあげた。
「…なんて、な。こんなことを、何百回、何千回と、俺は考えてきた。だけど、全て言い訳なんだ。どうして俺は、ダカンにあんな仕打ちをしたのか。殺されそうになっているダカンとカヤを目の前にして、どうして身を張って止めることが出来なかったのか。自分の犯した愚かな行為を、何とかして正当化したいんだよ。…俺はやっぱり卑怯者だ」
ゾラは、寂しげにユノアを見た。
「…今日、お前を見て、本当に驚いた。そして、お前を見た俺の心に浮かんだ感情にもまた、驚いた。俺は本当に、お前が生きていてくれて、嬉しいと思った。お前が生きていてくれて、ダカンとカヤも報われる。本当に良かったって…。そう思ったんだ。心から、そう思ったんだ。言い訳ばかりしていたこの四年間だったけど、これだけは真実だ。…そう思えた自分が、嬉しいよ。俺の中にも、善の心はあるんだって、分かったからな」
ゾラの頬を、涙が伝った。もはやその目はユノアを見てはいなかった。視線を落とし、ゾラは誰に言うともなく呟いた。
「なあ、ダカン…。俺は、お前の友達に、戻れるかなぁ?」
そんなゾラの横顔を、ユノアはじっと見つめていた。
ゾラの発言に、ユノアはやるせない気持ちになった。
「そんな…。そんなこと言われたら、私はどうしたらいいんですか?私を育て始めたときから、お父さんとお母さんが死ぬことは決まっていたんだって、そういうことですか?」
ゾラは慌てた。
「い、いや…。そういうことじゃあ…」
「…私は、もう嫌です。これ以上、私に関わることで、大切な人達が死んでしまうのを見るのは嫌…。そんなことになる前に、もう、いなくなってしまいたい…」
ゾラは表情を引き締めた。
「ユノア…。何があった?誰か、大切な人が死んだのか?」
ユノアは膝を抱え込んで、その中に顔を埋めた。
か細く聞こえてくるユノアの声に、ゾラは耳を澄まさなければならなかった。
「…ラピは、大切な友達でした。私がジュセノス軍の兵士になってからは、ずっと私の側にいてくれて、どんなときも、私を励まし、背中を押してくれました」
ユノアが兵士になったという事実に、ゾラはまず驚愕した。さっき、ヒノト王の側で暮らしていたと聞いたばかりなのに。どれほど激動する日々を、この四年の間に切り抜けてきたのか。その苦労を思うと、ゾラの心は締め付けられた。
「私が、グアヌイ軍の兵士を殺すことが出来ずに、将軍から戦争への参加をやめるよう言われたときも、ラピは私を助けてくれた。将軍を説得して、私は、後方支援という形で、戦争に参加することが出来ました」
ユノアの話しているのが、つい先日起こった、ジュセノス王国とグアヌイ王国の全面戦争のことだと、ゾラはすぐに悟った。
(あの戦争に、ユノアが兵士として参戦していたなんて…)
ゾラは驚くばかりだった。
「でも、ジュセノス軍の作戦が失敗して、ジュセノス軍の別働隊は壊滅…。私達も、敵の兵士に襲われたんです。一緒にいた仲間はみんな、殺されてしまいました。でもラピは一人勇敢に戦って、敵を倒していきました。でも、そんな時にも、私は、敵を殺すことが出来なかった…!」
「何故…?」
ユノアの声は、涙声に変わっていた。
「私には、目の前の敵兵が、どうしても、私が殺したファド村の人達に重なって見えてしまったんです。私には、また村の人達を殺すなんて、出来なかった…!」
ゾラは絶句した。
「敵を殺すことが出来ずに、追い詰められた私を、ラピは庇って…!ラピの…、ラピの身体に、敵の剣が突き刺さったんです。私は目の前で、それを見ていることしか出来ませんでした。それでもラピは敵を倒して、私の命を救ってくれた。最後まで、私のことを心配して、死んでいったんです…」
ゾラは哀れみの表情でユノアを見つめるしかなかった。
「ラピは、ラピこそが、生きているべき人だったのに。あんなに期待されて、その期待に答えて。みんなに優しくて、みんなから慕われて…。私と出会ったせいで、ラピが死ぬ運命になってしまったのなら、もう私は、いなくなってしまいたい!ラピも…、お父さんも、お母さんも、私にさえ出会わなければ、幸せに生きていけたのに…!」
ユノアの鳴き声は、絶叫に変わっていた。
(どうして、私はまだ生きてるの?私と親しくしてくれた大切な人達は、私のせいで、死んでしまったのに!)
後悔と、絶望。ユノアの心は、今にも押しつぶされそうだった。自分が死ぬことで、ラピ、ダカン、カヤ、そして、ファド村の人達が生き返るならば、すぐにでもそうしたかった。