第三章:逃亡
今回の戦いで死んだ兵士の遺体が並べて安置されている場所に、ラピの家族はいた。家族だけではなく、近所の仲間も数人来ていた。どれも、ユノアには見覚えのある人ばかりだった。
ラピは、他の死んだ兵士達と同じように、粗末なむしろを被せられ、並べられていた。
ラピの家族と知人は、ラピの遺体に寄りすがり、声をあげて泣きじゃくっている。その様子から、ラピが家族から、どれだけ愛されていたか、どれだけ頼りにされていたのかが、痛いほどに伝わってきた。
ユノアとミヨは、物陰に隠れて、そっとその様子を窺っていた。
あまりに悲しい光景に、ミヨの頬にも涙が伝った。直視することができずに、ミヨは目を逸らした。
ユノアの目からも、涙が溢れ続けていた。だがユノアは、涙を拭おうともせず、悲しみにくれるラピの家族を見つめている。ユノアの首から下がっている、ラピの母親がくれたお守りを、ユノアは強く握り締めた。
ユノアは、今更ながら思い知っていた。ラピが、どれほどの期待を背負っていたのかを。ラピは、元々スラムに住んでいた人々にとっての、希望の星だったのだ。
ラピはいつも明るく、前向きで、大きな夢を持ち、それを叶えることができるだけの実力も持っていた。スラムに住んでいた人々にとって、ラピの未来こそが、生きる希望でもあった筈だ。
今、ラピの周りで泣き崩れる人々は、ラピを失った悲しみだけでなく、未来への希望を失った絶望とも、戦っているのだ。
(私は、…私は、何てことをしでかしてしまったんだろう)
ユノアは、ラピというあまりに大きな存在を死なせてしまった罪の重さに、もう耐えることは出来なかった。
突然、ラピの家族達に背を向けて走り出したユノアに、ミヨは唖然とした。
「ユ、ユノア!?どこに行くの?」
ミヨも急いでその後を追う。
ミヨが追うその先で、ユノアは一匹の軍馬に跨ろうとしていた。
「ユ、ユノア?」
ユノアが何をしたいのかが分からず、慌てふためくミヨに声もかけず、ユノアは馬を走らせ、ゴザから出て行ってしまった。
ユノアの乗った馬と、真っ白なチュチの姿は、あっという間にゴザから遠ざかっていく。
馬に追いつける筈もないのに、ミヨは必死にその後を追った。
「ユノアぁ!」
だが遂にユノアを乗せた馬は、遥か遠くへと走り去ってしまった。
未だ、重い空気に包まれたままのジュセノス軍陣営の中心にあるテントの中では、ヒノトが三鬼将軍を呼び、今後の方針について話し合っていた。
このまま、軍の主力をゴザに置くのか、それとも、マティピに引き上げるのか…。
己の自尊心、グアヌイ軍への怒り、勝利への執着…。様々な思いが交錯し、三鬼将軍の中でも、意見はまとまらなかった。
緊迫した討論の続くテントの中に、突如、少女の声が聞こえてきた。
「ガイリ将軍―!」
テントの入り口から飛び込んできたのは、ミヨだった。
突然のミヨの登場に、一同はあっけにとられた。
数秒の後、ガイリは立ち上がり、ミヨの前へと立った。
「無礼者!王の御前だぞ!」
ミヨは息を切らせながら言った。
「も、申し訳ありません…。でも、でも、将軍…。ユノアが…!」
ユノアと聞いて、ガイリの表情も変わった。ヒノトもはっと顔をあげて、ミヨに注目している。
「ユノアが、どうした?」
「…今、ラピの家族が来ていて。家族が悲しんでいる様子を見たユノアが、突然走り出して、それから、馬に乗って、ゴザから出ていってしまったんです!私、私、追いかけたんですけど、ユノアはそのまま遠くに行ってしまって…。どこに行ってしまったか、分からないんです!今、ユノアの精神状態は、普通じゃありません。もし、もし、ユノアに何かあったら…!」
ミヨの目から、涙が零れ落ちた。
「お願いです。将軍、ユノアを探してください!」
ガイリはうろたえていた。ユノアのことが気にはなるが、将軍である自分が、たった一人の部下のために、今ゴザを離れるなど、してはならないと思ったからだ。
決断を下せずにいるガイリの背中から、ヒノトが声をかけた。
「探しに行って来い、ガイリ」
思いがけない言葉に、ガイリは驚きの表情でヒノトを振り向いた。
「し、しかし、ヒノト王…。軍の一大事であるこのときに、将軍の身である私が軍を離れ、一人の部下を探しにいくなど…」
「…ユノアは優秀な兵士だ。多くの兵士の命を失った我々にとって、ユノア程の戦力は、とても貴重だ。ユノアを助けることは、軍を助けることにもなる。だから、行くんだ。ガイリ」
「…。承知いたしました。ありがとうございます、王よ」
ガイリは一礼すると、すぐにテントから出ていった。
三人の部下を連れ、馬に跨ったガイリは、心配そうなミヨの見送りを受けながら、ゴザから走り出していった。
テントの中に残ったヒノトは、黙り込んだまま、一点を見つめて動かなくなってしまった。
キベイとオタジは、今日はもう会議を続けることは無理だと判断し、そっとテントから出て行った。
一人残されたヒノトは、今にもここから飛び出して、ユノアを探しに行こうとする自分を抑えるのに必死だった。
ミヨから、ユノアがいなくなったという報告があったあの瞬間、飛び出さなかった自分を、褒めたいくらいだった。
己の心の望むまま、ユノアを探しにいきたい。だがそれは、してはならないことだった。
ヒノトは唇を噛み締め、ガイリがユノアを無事に見つけ、連れて帰ってくることを祈り、目を瞑った。