第三章:王の対峙
ゲイドへ侵入し、逃げ帰ってきてから、早五日が過ぎていた。
見張り台に立ち、ゲイドを見つめていたユノアその側に、ラピがやってきた。
「ユノア…。ゲイドの様子はどうだ?見えるか?」
「うん…。あの軍事場の中は見えないけど、でも、街全体が活気づいてる。もしかしたら、援軍が到着したのかも…」
「そうか…。やっぱり、ゴザに攻め入ってくるつもりなんだろうか…。まずいぞ。今のゴザの兵力じゃあ、グアヌイ軍とまともに戦うことも出来ない。マティピからの援軍はいつ到着するんだ」
珍しくラピは苛々している様子だ。
その時、一人の兵士が走りこんできた。
「おい!マティピから援軍が到着したぞ。ヒノト王が、直々に軍を率いて来られた!」
その言葉を聞いて、ラピはすぐに動いた。階段も使わず、見張り台から飛び降りると、凄い速さで走り始めたのだ。
ユノアも慌ててその後を追った。
ヒノトが率いて来た軍隊の兵士の数は、七万人に及んだ。ゴザの街で収容できる人数を遥かに超えており、軍隊は街の外に陣を張っている。
ユノアとラピが宿営地に戻ったとき、ヒノトはガイリのテントの前にいた。ガイリとゴザ市長が、ヒノトに礼をし、テントの中に招き入れている。
ヒノトの後ろには、キベイとオタジの姿も見える。これで、ジュセノス王国の三将軍が揃ったことになる。本格的な戦いを想定してきたヒノトの意気込みが窺える。
久しぶりに見るヒノトの姿に、ユノアの胸は大きく高鳴った。
その隣で、ラピが興奮した声を上げている。
「ヒノト王が直々に来られたんだ!グアヌイの奴ら、見てろよ!ジュセノス王国とグアヌイ王国。どちらが強いのか、はっきりと分からせてやる!」
ラピの言葉は、周囲にいた兵士の気持ちと同じようだ。
怒号のような歓声が、ヒノトに向けられている。
だが、ヒノト自身は穏やかな表情のまま、テントの中へと入っていった。
テントの中に入るなり、それまで冷静を保っていたキベイが、険しい表情でガイリに詰め寄った。
「…ガイリ。お前は一体、ゴザへ何をしに来たんだ?グアヌイ王国に、戦争を仕掛けに来たのか?」
今にもガイリを殴り殺してしまいそうなキベイの気迫に、ガイリは青ざめて俯いた。
助け舟を出したのはヒノトだ。ヒノトは既に椅子に腰を下ろして、落ち着いた雰囲気でキベイを見上げた。
「キベイ。それ位にしておいてやれ。ガイリは、グアヌイ王国の情報を得るという任務を果たしたんだ。ガイリのおかげで、得たものも大きい。それに…」
ヒノトは自嘲気味に笑った。
「…グアヌイ王国と戦うことは、避けられないことだったんだ。そのきっかけが何であろうと、大した違いはないだろう?」
キベイはガイリに向き直った。
「戦争のきっかけを作ったのがどちらだったのかというのは、重大な問題ですぞ。戦いの結果がどうなるにせよ、グアヌイ王国がどんな言いがかりをつけてくるか…」
収まりそうにないキベイの愚痴が、ぴたりと止まった。
ヒノトがキベイを睨みつけていたのだ。まるで、蛇に睨まれた蛙のようだ。さっきまでの勢いは何処へやら、キベイは息を飲んで凍りついた。
「…それくらいにしておけ、キベイ。今から俺達は、命がけの戦を始めるんだ。いつまでも愚痴を言って、闘志を殺ぐような真似はするな」
「…申し訳ありません」
そこへ、一人の兵士が駆け込んできた。
「ご報告いたします!敵に動きがありました。グアヌイ軍の一軍が、ゲイドの街を出て、こちらへと向かってきます」
ヒノトはすぐに立ち上がった。
颯爽とテントから出て行くヒノトに、キベイ達も着き従っていく。
ゴザの手前五百メートルの場所で、グアヌイ軍は動きを止めた。
ゴザの門が開き、ヒノトも一軍を率いてゴザから出ると、グアヌイ軍に相対した。
グアヌイ軍の先頭に立っているのは、紛れもなく、リュガ王本人だった。
ジュセノス国王と、グアヌイ国王。両者が軍を率いて相対した。それは、戦争の始まりを意味していた。
睨み合う二人の国王の間には、沈黙が流れていた。
その沈黙を破ったのは、リュガだった。
リュガは、にっこりと笑ってみせた。わざとらしく作り上げた笑みを顔に張り付けたまま、リュガは話し始めた。
「そなたが、ヒノト王か?」
「ああ、そうだ。リュガ王」
「…以前、ハルゼ王が死んだときに、それが我がグアヌイ王国のせいなのだと、難癖をつけてきた皇太子がいたな。あれは、そなただったか?」
ヒノトは返事をせず、リュガを睨みすえた。
「二年前、そちらの言いがかりで始まった戦争で、我がグアヌイ王国は酷い損害をこうむった。多くの兵士が死に、戦争にかかった莫大な費用のため、国の財政は今もとても苦しい。もちろん、ジュセノス王国も疲弊したはずだ。…それが、少しは反省して大人しくしているかと思えば、また戦争をしかけるような真似をするとは。ヒノト王は、よほど戦好きの王ならしい」
戦を始める原因は、いつもジュセノス王国側にあるのだというリュガの言い分に、ヒノトの周りにいたキベイ達兵士は、一気に殺気立った。ハルゼ王を殺した張本人のくせに、リュガからは、そのことへの懺悔など、微塵も感じられない。
リュガがここまで抜けぬけと言い切るのは、ヒノトを甘くみているからなのだ。いつもなら、一歩引いた態度を取ってきたヒノトだったが、今日は違った。
「リュガ王。今まで私は、両国の国民のためを想い、お前の身勝手な言い分や行動にも、目をつぶり、耐えてきた。だが、我慢も限界だ。リュガ王。お前は卑怯者だ。そのことは、お前自身分かっているのだろう?分かっていて、お前はわざと、戦争の原因をジュセノス王国のせいにしている。お前の卑怯な振る舞いを、もう私は許さない。…我が父、ハルゼ王を殺した大罪を、今度こそ、お前のその命で償ってもらう」
ヒノトの言葉を聞いている間、リュガの顔は青く、引きつっていた。リュガのことを「お前」と呼んだヒノトからは、リュガに対する侮蔑があからさまに感じられたからだ。
ヒノトの言葉が終わるや否や、それまで貼り付けていた笑顔などかなぐり捨てて、リュガは凶暴な顔を剥き出しにして言い放った。
「よかろう。望むところだ。グアヌイ王国とジュセノス王国の長い戦いの歴史に、今こそ幕を引いてやろう。豊かな国力の中で自惚れて育った若造の伸びきった鼻など、いとも簡単に折れるだろう。…ジュセノス王国にもたらされる富は、私にこそ相応しい」
ヒノトの反応も見ずに、リュガは馬を返し、ゲイドへと戻っていった。
グアヌイ軍が充分に遠くに離れたことを確認して、ヒノトもゴザへと戻り始めた。何度も卑怯な手を使ってきたリュガが相手なのだ。安易に後姿を見せては、いつ襲い掛かられるか分かったものではない。用心の上に、用心しなければ、と、ヒノトは思っていた。
ヒノトの隣で、キベイが感慨深げに呟いた。
「こんなにもあっけなく、グアヌイ王国との戦争が始まってしまうとは…。正直、戸惑っています。今まで王は、戦争をなるべく避けようとされていました。それが何故今回はこうも簡単に、戦争に踏み切られたのですか?」
その問いに、ヒノトは苦笑しながら答えた。
「実は、レダには、まだ戦争は早い。ガイリの起こした揉め事は上手く解決して、グアヌイ王国との関係修復をしてこいと、言われていたんだ。俺もまあ、幾らかはそのつもりでゴザに来たんだが…。まさかリュガが、軍を率いてやってくるとは思わなかった。あいつの顔を見た途端、俺の理性なんて、吹っ飛んでしまった」
リュガと直接対話をした興奮が徐々に冷めてきて、理性も戻ってきたのだろう。激情に駆られて戦争を宣言した後悔が、ヒノトの横顔には感じられた。
ヒノトの迷いを断ち切るように、キベイは力強く言った。
「私はせいせいしましたぞ、ヒノト様!リュガに対して、お前は卑怯者だとおっしゃったとき、これまで積もりに積もっていた鬱憤が、吹き飛んだ思いでした。…グアヌイ王国との決着は、いつかはつけねばならぬのです。我々は、共存できない。今リュガに会って、私はその思いを一層強くしました。憎み合う国がある限り、その二つの国に住む国民は不幸であり続けます。今こそ、不幸な因縁に終止符を打たなければ。ヒノト様が今決断されたのは、天から与えられた運命なのかもしれません。どうか心を強く持ち、我々を勝利に導いてください」
キベイの言葉に、ヒノトの顔に輝きが戻った。
「ああ、そうだな。もう後戻りは出来ない。戦いは始まってしまったんだ。始まったからには、勝利するために、全力をつくさなければ!…ゴザに戻ったら、作戦会議を開こう。リュガ王がいつ軍を率いてゴザに攻め寄せてきてもいいように、こちらも万全の構えで、グアヌイ軍を向かえ打つぞ!」
「はい、ヒノト王!」