第三章:ゲイドへ潜入せよ
ジュゼの率いる商団は、ゴザを出発し、ゲイドへと向かっていた。広大な乾いた平原で、動くものといえば、ジュゼの商団だけであった。
その道のりは、ジュゼ達にとっては慣れ親しんだものであった。ただ、商団の中に紛れ込んだ、新しいメンバーを除いては…。
商団の中には、普通ならゲイドに入ることなど有り得ない人物がいた。ジュセノス王国将軍、ガイリだ。
ジュセノス王国の中でも、最も重要な人物の五指に入るだろう、将軍ガイリが、敵国に潜入する。そんな無謀ともいえる計画を知らされたのは、一昨日のことだった。
ガイリと対面したことだけでも驚いていたジュゼだったが、この計画を聞いたときは、肝が冷える思いがした。
「な、んと、言われたのですか?ガイリ将軍が、ゲイドの街に入る、ですと?」
「ああ、そうだ。ジュゼの商団の一員に、俺と、数人の兵士を入れて欲しい。そうしたならば、ゲイドの鉄壁の門をくぐることも可能だろう。街に入ってしまえば、こちらのものだ。俺は兵士を連れて、ゲイドの街を探る。どれだけの数の将軍や兵士が駐屯しているのか。何か悪巧みをしてはいないか。その情報を、ヒノト王にお知らせする。そうすれば、ヒノト王が抱えている最大の悩みを和らげ、心の負担を軽くしてさしあげることが出来るだろう」
「ヒノト王様は、そんなにもお悩みなのですか…」
「ああ。何しろリュガ王は、今まで散々卑怯な手を使ってきた男だからな。今度は何をしでかすか、ヒノト王はさぞ気に病んでおいでの筈だ」
「そうですな…。リュガ王の統治下になってからというもの、私も取引をしづらくなりました…。ましてやヒノト王のご心痛を思うと、私も心が痛みます。…わかりました、将軍。下衆の身である私が王のお役に立てるなど、願ってもないことです。非力なこの身ですが、ぜひ使ってください」
まっすぐにガイリを見つめてきたジュゼの目を見て、ガイリはこのジュゼという男が信頼できる男だと直感した。
ジュゼの商団に紛れ込んだのは、ガイリ、そして、ユノアとラピだった。いかにも屈強な兵士を商団に入れるわけにはいかない。見た目はまだひ弱な子供だが、抜群の戦闘能力、そして、潜入捜査には欠かせない身の軽さを持っているユノアとラピは、最適の人材だった。
ジュゼの用意した衣服に着替えた三人は、すっかり商団の一員に溶け込んでいる。
ジュゼは、ゲイドの門をくぐる際の注意事項を三人にしっかりと話し聞かせていた。
「門をくぐるとき、門番によるチェックを受けなければなりません。門番と話をするのは、いつも私一人です。そのときあなた達は、とにかく俯いていてください。決して門番の目に止まらぬように、目立たずにいてくれれば、それで全て順調に行く筈です」
ジュゼが一番気を使ったのは、ユノアだった。目立たぬように、ユノアには黒いかつらと大きな帽子が与えられていた。
何度も繰り返しジュゼが注意をする間も、商団は平野を進み、ゲイドへと近付いていく。
遂に、商団はゲイドの入り口、鉄でできた大きな門の前へと到着した。
門の前には二十人もの兵士が立ち並んでいる。門の上の見張り台にも、何十人もの兵士の姿が見える。その手に持っているのは、敵を射るための弓だ。
商団は動きを止め、唯一人ジュゼだけが、兵士へと近付いていった。
兵士の中の一人が、前へ進みでてきた。
「ジュゼ。久しぶりだな」
どうやらジュゼとは顔見知りの兵士らしい。
「お前が来ないから、マティピの銘酒が飲めずに寂しく思っていたんだ。酒はもちろん、持ってきたんだろうな」
「はい、もちろんでございます。後でご自宅までお届けしましょう」
「そうか」
上級の兵士らしいその男は、嬉しそうに頷いている。よほど、ジュゼが来るのを心待ちにしていたらしい。
兵士達による、ジュゼの商団のチェックが始まった。ジュゼを覗く全団員は、皆頭を下げ、静止している。
だが、チェックといっても、名ばかりのものだった。積荷の中身を見ることもせず、団員にも一瞬目を向けただけだ。少し目を凝らせば、とても商人には見えない、鍛え抜かれた身体を持つ者の存在に気付いた筈だが…。
ユノアの美貌に気付いて下品な視線を向ける兵士はいたが、上官の目を気にしてか、声をかけることさえしなかった。
こんなにもチェックが甘いのは、ジュゼが上官だけではなく、下級の兵士にまで抜け目なく金銭を配っているためだった。
ガイリ達は全く見咎められることなく、ゲイドへの侵入を果たした。
ゲイドの街を歩きながら、ガイリは拍子抜けした声を出した。
「ジュゼを信頼してはいたが…。こんなにも簡単にゲイドに入れるとは思っていなかった。お前はいつも、あんないい加減な検問で、ゲイドに入っているのか」
ジュジは笑った。
「ええ、そうですよ。私の祖父の代から、ゲイドの役人とは癒着を持っていたのです。その私が今更、裏切るなどとは夢にも思っていないことでしょう」
ガイリは苦笑いだ。
「私としても、複雑だな…。こんなにも敵国に信頼されている男と一緒に、敵国の中を歩いているとは…」
「ははは…。私を信用されるかどうかは、将軍のお気持ち次第。今すぐゲイドから出たいと言われるなら、お手伝いしますよ」
「いや…。私はお前を信用すると決めたのだ。さあ、グアヌイ軍の宿営地に案内してくれ」
「承知いたしました…」
ジュゼが本当に味方なのか、実はガイリを欺いているのか…。その真偽は今は分からない。だがここは既にゲイドの内部なのだ。今はジュゼを信用するしかない。
ユノアとラピは一言も声を出すことなく、ただガイリの後に従っていった。
宿営地へと向かって街の中を歩いている間、ユノアは街の貧しい様子に驚いていた。
みすぼらしい商店がぽつりぽつりと立っているが、そこに置かれている商品はとても少ない。ほとんどが食料の店で、たまに装飾品の店を見かけても、既に使い古されたような衣服が置いてあるだけだ。店主もあまり売る気がないのか、声出しもせず、ぼんやりと座っているだけだ。
隣を歩いていたラピも同じ感想を持ったらしく、そっとユノアに耳打ちしてきた。
「驚いたな…。噂には聞いていたが、まさかここまで貧しいなんて…。俺達以前住んでたスラムの暮らしより、酷いんじゃないか?」
「どうしてゲイドの街は、こんなに貧しいの?」
「…グアヌイ王国は、作物の実りもジュセノス王国に比べるとずっと少なくて、その他に資源が取れるわけでもない。昔からずっと、豊かな国ではなかったんだ。それでも最近の貧しさは酷いらしいぜ。それもこれも、リュガ王が軍を増強させているせいさ。貧しい国民から更に税金を搾り取って、せっせと軍の規模を大きくし、高い線備品を買いまくってる。…だけどそれは、国民の望んでいることなのか?こんな貧しい暮らしを見れば、そうだとは思えないぜ」
ラピの言葉を聞きながら、ユノアはヒノトのことを思い出していた。
ヒノトはよく王宮から出て、父であるハルゼ王の教えに従い、国民の暮らしを見ていた。そして、こう言っていたのだ。
「民を幸せに出来ない王など、この世で最も愚かな存在だ。だから、街を歩いて確かめなければならない。皆、笑っているか。誰かと話をしているか。俯いて歩いている者はいないか。もし一人ぼっちで暗い顔をしている者がいれば、その者は不幸だ」
街の人々の表情を見ると、皆、暗く沈んだ顔をしている。未来への希望など、何も持っていないかのように。
ヒノトがもしこの国の王で、街の人々のこの表情を見たらどう思うだろう。自分の政治は間違っていると、自分を責めるに違いない。
リュガ王は、こんな街の人々の顔を、暮らしを、知っているのだろうか。知っていて軍隊中心の政治を続けているのなら、最低の国王だし、もし知らないとしたら、もっと最低だ。
ヒノト王とリュガ王を比較するならば、ヒノト王の方が優っている。ユノアはそう思った。