3.
あの男も、こうした心持ちになっのだろうか。
娘を慮る思念は、やがて自身の師の記憶へと移る。
その老人は、変わった人間だった。
呪われである自分たち兄弟を拾ったのもさる事ながら、生き様からして尋常ではなかった。彼の記憶を手繰れば、年齢にそぐわない、精気の横溢した眼光がまず浮かぶ。
その老人は如何に斬るかの工夫しか頭にない、世に即して言うならば悪漢の類であった。
天と地との狭間に住まう生物を、いや生物だけではなく現象事象の一切合財悉くを、斬断の対象としてしか見ない種類の狂人だった。
しかし彼が求めていたのは斬術の至芸であって、殺害はその結果でしかない。
おそらく師は一生涯、何故自分がそれほどに恐れられ疎まれるのか理解しなかったろう。そういう稚気があの老人にはあった。
自分たち兄弟を拾ったのもまた、その稚気による道楽であったのだろう。
衣食住を案じなくてよくなった代わりに、男と弟は一日中山を駆け回る事を命じられ、真剣を振るう事を強要された。
ある程度の体と技量が備わってからは、老人の斬術を叩き込まれた。教えられたのは如何に効率良く殺傷するかの技法であったが、しかしそれらは自分たち兄弟が始めて手に入れた人らしい暮らしでもあった。
その師が姿を消したのは、出会ってから十年ばかりの歳月が流れた頃だった。
「お前らの完成を見れねェのは無念だが、術の達者を見れば斬りたくなるのがオレの業だ。今別れるが幸いだろうよ」
そう言い置いてぶらりと立って、それきり戻らなかった。
最後に見た老人の背は、細く小さくなったように見えた。そしてまた、どこか丸くなったようにも、満足したようにも。
ふたり手を尽くして行方を探したが、師のその後が知れる事はなかった。
所業の是非はどうあれ、彼の存在がなければ自分は刃の握り方すら知らなかった。運命への抗い方などましてやだった。
もし師の気まぐれがなかったなら、自分の命は世界というガラスの表面を水滴のようにただ滑り落ち、傷のひとつも残せずに消えていたはずだった。
ならば、かの老人があの少女をも生かした事になる。
あの娘はいい娘だ。きっと自分の教授を踏み台に、正しく伸びているだろう。
それは太陽にすら恥じず向き合える、真っ直ぐな生き様であるはずだった。であるならば自分も、世界に某かを残せた道理になる。
人の軌跡は。
命の轍は。
こうして交わり、寄り添い、繋がっていく。
悪くないと思った。それどころか、ひどくいい気分だった。
今夜ばかりは酒が許されてもいいだろう。
満足めいた笑みでまぶたを開けて、彼は片手を上げ給仕を招いた。




